だから僕はラノベ読者を辞めた
1990年代後半、ジュブナイルなどと呼ばれていたジャンルにライトノベル(以下、ラノベと略す)という名前が当てられ、なんとなく定義が確立してきたような時期を生きていた。僕の個人的な感覚だが、角川スニーカー文庫と富士見ファンタジア文庫が二強で、そこに新興勢力として電撃文庫が参戦したような時代である(コバルト文庫など、女性向けレーベルについては専門外なのでほとんどわからない)。購入しているシリーズの続編が出ていないか、面白そうな新作はないか、学校帰り、週に三度は本屋に立ち寄っていた。
僕の人生に影響を与えたラノベシリーズがいくつかある。一番に思いつくのは、『ブギーポップは笑わない』である。オタク趣味のくせに「キャラ萌え」文化にあまり馴染めない難儀な性格だった僕にとって、不可思議に冷めた世界で進行する「不気味な泡」の物語のありようは、まさに理想形だった。「こんな形のラノベが許されるのか」と衝撃だった。無論、他にも硬派なラノベは多く存在していることだろう。『ロードス島戦記』は古き良きファンタジーの王道のような作品だし、『ラグナロク』は死と隣り合わせの残酷な世界を「剣の一人称」という変格スタイルの硬質な文章で描き、萌えるという言葉の概念を置き去りにしている。ブギーポップシリーズは、広義の能力バトルものだが、時間軸や人間関係が妙なところで繋がる独特の構成と、独自の感性に裏付けられた警句と上遠野浩平によるあとがきで「世界の真理みたいなものを分かったっぽい感覚」を味わえることが一番の魅力だと思っている。正直、いくつかの概念については、未だに本当に世界の真理だと信じながら生きているので、僕はブギーポップチルドレンとして一生を終えることになるだろう。
僕は、自分の大好きな「ラノベ」というジャンルが、市民権を得られないことが不満だった。どうしても、オタクくさいものとして蔑まれていて、それが嫌だった。今よりも、オタクの肩身が狭かった時代である。ラノベは、隠れてこそこそ読むような代物だった。
ラノベ出身の作家が一般文芸に進出し始めて、僕は嬉しかった。ラノベが、世間にも認められたような、そんな気がしていた。有川浩、冲方丁、米澤穂信の活躍がラノベの地位を向上させ、より一般文芸に近いものとして扱われるのではないかと勝手に期待していた。けれど、別にそんなことはなかった。ラノベはラノベ、一般文芸は一般文芸。形成されていた独自の文化圏の境界は強固だった。一部の作家が自由に越境していただけで、世間の印象は変わらず、むしろガラパゴス化していく雰囲気さえ感じた。
そんな中で結局、一番変わってしまったのは僕だった。ラノベ出身作家が一般文芸に進出したのを機に、逆に一般文芸作品に目を通す機会を得た僕は、気づいてしまったのだ。文芸作品が別に高尚なものでなく、エンターテインメントとして楽しめる代物であることに。キャラ萌えに馴染めなくてストーリーの面白い作品を読みたいなら、一般文芸作品の方が親和性が高いということに。美少女キャラクターが表紙に描かれているラノベは、ブックカバーをかけて隠れるように読まなければならないが、一般文芸の文庫本なら平然としていられることに。趣味は読書ですと堂々と言えることに。
もともと、ラノベのはしりとなった「ジュブナイル」はティーンエージャーを表す言葉である。単純な話、僕は、歳をとりすぎた。
趣味だった小説執筆で僕が書く作品は、ファンタジーかホラーか、私小説風のメタフィクションか、大体、そのいずれかに当てはまる。理由は簡単で、「現実が描けない」からだ。現実世界の社会の仕組みをうまく把握できていないし、常識も持ち合わせていないので、リアルな現実世界を描くことが出来ない。ゼロから世界を構築して勝負するしかない。これは、近年、異世界ファンタジーが死ぬほど流行している要因の一つでもあると思う。書くサイドが、書きやすいのだ。誰も行ったことがないけれど、何となく想像できるフォーマットに乗っかった世界なら、書けるのだ。古き良きラノベの、学園ものや能力バトルものも、構造はそれに近い。学校なら、通っていた時期があるから何となく想像できるし共通のイメージもある。能力バトルの設定は、作者が自由に考えてよい。
だけど、僕は現実を生きすぎた。剣も魔法もない世界で、既に学生でなく、右腕に封印された力が目覚めることもない。精霊も妖精もいないし、毎朝起こしに来る幼馴染の少女だっていない。世界を裏から牛耳る組織のエージェントもいない。社会人として働きながら、妻子と暮らしている。職場の健康診断で毎年何かの数値がおかしいと指摘されるようになってきたし、賃貸マンションの賃料が値上げされないか心配している。現実は容易に空想を駆逐する。僕のジュブナイルは完全に終わった。
ここまで色々書いてきたものの、僕がラノベ読者を辞めた一番の理由は、「感想を言い合える仲間がいなくなった」ためでないかとも思う。数少ない趣味の合う友人達は、大学進学を機にバラバラになり、就職するとさらに会う機会が減った。親交は続いているが、どうでもよい話題で普段から盛り上がれるような環境下にはない(SNSの類をやっていれば、あるいはやりようはあったのかもしれないが、あいにく僕は一切やっていなかった)。僕は、自分の趣味を自分だけの理屈で選び始めた。出来るだけ、外面の良い内容に流れ始めた。僕の趣味は読書だと、胸を張って言いたくなってしまった。それだけの話だ。
『このライトノベルがすごい!』が刊行開始される頃から、徐々に熱心なラノベ読者でなくなり始めていた僕は、2000年代後半以降の有名なラノベ作品を殆ど履修しないまま、ただの厄介な回顧オタクに成り下がった。
精神世界はジュブナイルの価値観を引きずっているのに、賢しらに現実に順応したふりなんかして、あんなに大好きだったラノベの世界を愛せなくなるなんて、今の僕の中には何が残っているんだろう、と逆に不思議な気持ちになる。
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