第20話 万国共通語はボディランゲージ

 DMM英会話を休会・再開を繰り返し取り組んできたものの、全く身についていない。

 別段、向こうが悪いわけではない。先方のフィリピン人、アフリカ系講師は一生懸命だ。では、なぜ身に付かないのか。それは私が日ごろから使う機会がないからだ。たまの長期旅行でも勉強の威力を発揮できないのは、日頃から実施訓練をしていないからに過ぎない。

 よく学校現場でも話して笑われてきたが、例えばコンビニは英語しか使えません、日本語禁止です、とかになったら多少は、日本人は英語を話せるようになるのではないか、と。ただ、この論を発すると、

「いやいや、話せない人はコンビニに行かなくなり、そこの売上下がるよ。」

それに高齢社会なんだから、と歯を出して笑われた。確かにそうだ。

 なんとか英語を話す機会を維持しないと、と思うが難しい。いっそのこと、海外就職も視野にいれなければと思うくらいだ。

 それにしても今回のミャンマーイングリッシュは、聞き取りが難しい。ミャンマー語+英語の発音だから、全て単語が濁って聞こえてしまう。おそらく向こうの人も、日本語+英語の発音で話す私の言葉も聴き取れていないんだろうなと思う。お互いに酷いものを差し出しながらコミュニケーションをしているのだから文句を乗せちゃいけないと思うが、ん??ん?と思うことも多く、今回は特に意識してスルーしながら旅を続けてきた。


 けんちゃんと大森君と私で回ることになったミングォンと言う町。まずは入域料の支払いへ向かうも、そこから躓く。言葉が通じない。リスニングできないならば『入域料は5000チャット』くらいボードに書いておいて欲しい。それくらいの親切さはサービスとして必要だろう。島民に取って、入域料は貴重な収入源である。通じないのは決して日本人の私たちだけではないはずだ。

 たが、よく分からない中途半端な英語コミュニケーションはここで一旦中断した。ここからは3人で観光だから日本語オンリーである。

 見慣れるまで、違和感がありすぎて好きになれなかったが、ブッダが悟りを開く際に、蛇(ナーガ)が雨から守ったとされる伝説の像や、川岸にあるサットーヤパヤーと順調に回っていく。パヤーのその両脇には、崩れすぎて、岩にしか見えない、守り神の2匹のライオンの像が大人しく鎮座していた。どうやら、この2匹のライオンが、お寺を守っていたらしい。

 その昔、コンバウン王朝のボード―パヤー王が、1辺140mの正方形の敷地に土台は72m、高さは150mの世界最大の仏塔を作ろうとした。完成していたら世界最大級のものになっていただろうが、王様が死んでしまい、中断したまま今日に至っている。王が死んでとん挫するくらいだから、王も人望がなかったんだろうな。

 1839年に大地震があり、亀裂が入ってしまったため、今は展望台へは上がれない。修復もする気がないのか、金がないのか。

 久しぶりに話す日本語で会話も弾む。様々な建造物に鋭く突っ込みながら、カンカン照りの中、軽快な足取りで進んでいく。次に、この街で有名な坊さんが展示されているという、ミングォンパヤーの右隣にあった僧院にもご挨拶に向かった。

 だが建物の中央に立たされていたその坊さんは、全身、金でコーティングされており、お笑い芸人の罰ゲームにしか見えない代物だった。このえらい坊さんも、これは望んでいないと思う。讃える方向が間違っている。まぁともかくミャンマー人は金が好きだと言うのはよく理解できた。塗り方が雑なのが気になったが・・・。

 さっさと次へ行こう。

 1808年にミングォンパヤーと一緒に造らせた、ミングォンの鐘を打ちに行く。こちらは何とか完成したようだ。外径5m、重さ90トン。ひびの入っていない鐘としては、世界最大級を誇る。中にも入れると言うので入らせてもらったが、世界から訪れた観光客による落書きのせいで、下品な内装になっていた。諦めたのか、消そうともしていないようだ。落書きしないで!の注意書きも見当たらない。

 鐘の中は、ものすごく声が響く。耳が痛くなってくる。次々に観光客も入ってくるため、長居はできない。すぐに外に出る。

 出てきた後、すぐに棒の順番が回ってきたため、記念に一突きする。棒もいろんな方が突いているからか、先がつぶれてしまっている。これはコツがあって、強く突かないと音が鳴らない。けんちゃんたちに助けてもらいながら音を出した。

 メインストリートの終着地点に、最後の見どころ、シンピューメェが聳え立っていた。建物の前には、食べることに戸惑いを与えるようなレベルの露店も軒を連ねている。真横には、こぎれいなカフェもちゃんとあり多くの観光客は、ここで時間調整していた。要はミングオンには他に見どころがないからだ。

 私の好きな白い建物。青空の色が濃いから、白の色が際立つ。モスクと寺院を足して2で割ったような形をしており、多少ありがたみも伝わってくる。

 石で作られた階段が設置されいる。ただ幅が狭いためすれ違いもやっとの状態。また天井が低く、頭をぶつけそうになる。

「Excuse me.」

を連発しながら、最上階へ上がる。もちろん靴は脱いで上がっていくため。上に近づくにつれ、足元は熱くなっていく。

 ミングオンの街並みを見渡す前に、建物自体の汚れがきになってしまう。ここも昨日伺ったマンダレーのクドードォーパヤーのように、この乾季のうちに白を塗り直した方がいい。

 内部には適当に顔を整えたような仏陀が、明後日の方向を向いて座っている。

電飾で虐待はされていないから合格である。とりあえず手を合わせましょう。

 建物の外に出る。エーヤワディー川が見える。青空を邪魔するものがないって、すごく贅沢な景色だと思う。シンピューメェの裏手には、ガイドブックにも掲載されていないようなパヤーが見える。きっと地元の人くらいしか、手を合わせに行かないのだろう。

「パヤー(パゴダ)も教会と同じで、何度も見ていると全部同じように見えてくるなぁ」

と言う大森君の意見に皆頷く。程よく見る、ってとても大事だな。

 観光客の皆さん、特に欧米諸国から来たバイタリティ溢れる若者は、屋根によじ登ったり壁を上辺を歩いたりしながら、思い思いに写真撮影を行っている。インスタ映え?を狙っているのかもしれない。暑い中、ご苦労様。

 12時近くになりました。港へ戻りましょう。ほんと2時間で回れるこじんまりとした町だった。

 帰路の途中、外国人用のトイレがあり、借りていくことにする。400チャット。管理人もいる。金を取るだけあって、まぁ使えるレベルのトイレだ。掃除もされているようだった。

 トイレの横には養老院があった。これが養老院だ!と分かったのは、老人をもじった像が門の両サイドに設置されていたからだ。非常にリアルで誰が見ても分かるレベルで作られている。クオリティも高い。この像を作った人に、先ほどのクドードォーパヤーの仏陀も作り直してもらえばよいのにと思うほどだ。

 最後に、この街に1軒だけあるコンビニに立ち寄った。コンビニと言うより商店だなと言う作りだ。まずまずの品ぞろえであり、大半はお菓子だが日用品もある。 

 けんちゃんが、この先の旅に備え、この栄養ドリンクを購入した。タイ製品らしい。一口戴いた。リポビタンDのような味。夜、寝られるかな。

 2人は午後からも自転車をこいでマンダレーの街を走り回るという。そりゃ、栄養ドリンクも必要になるよね。店の前には、日本のトラックが停まっていた。大型バスだけでなくいろんな乗り物が輸出されているのは分かるが、日本で使用されたままの状態で使っている。要は塗装し直さないんだ。おしぼり屋のトラックだったが、ミャンマー人は、おしぼりは何か知っているのだろうか。

 出航5分前、ぎりぎりに港に到着した。さて乗り込みましょう。

乗り込む時も、さながら風雲たけし城。もちろん向こう岸についてから降りる時も板渡り。到着して、2人とお別れ。(縁だって、またヤンゴンでそのあと会うんだけどね。)

 ショートトリップ、ミングォン。なかなか楽しい街でした。





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積み荷のない船~暴走ミャンマー編~ ラビットリップ @yamahakirai

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