第15話 屋台に突っ込む電動バイク

 人生とは思い通りに行かない。

 中島みゆきの『シュガー』という歌があって、その中で、人生は2番目の夢だけが叶う、と歌われている。確かに私も、2番目の夢ばかり叶ってきているのかもしれない。

 10代、20代とその時代を支える骨柱のように、夢を持ち続けてきたが、1番目の夢は叶ってこなかった。ただ、2番目以降の夢は叶ってきている。2番目の夢がかなうだけ、運がいいのかもしれないと、葬祭の仕事を境に思うようにはなっていた。

努力はしていない。うまく言えないが、まんざらでもなかったよね、この人生、と棺桶に入る際、思えないと自分が浮かばれないと思って躍起になって、地元に帰ってきた後、突っ走ってきた部分がある。

 全ては、あの棺桶から聞こえた声のせいだ。

 たった3万日しかない命。折り返し地点を迎えてきて、徐々に軌道修正を加えながら、まんざらでもなかった人生へ着地できるようしているようなところがある。

 だからこそ私は今、好きな旅をしながら、1番目の夢が叶わなかった埋め合わせをしているのかもしれない、と思うこともある。

 それほど1番目の夢は私の中にしこりを残しているし、それを叶えることができなかった自分を恥じている部分もまだある。

 

 土産物屋の名コンビを見た後、ちょっと現実に戻ってしまい、自分との対話がバイク走行中に始まっていた。

 だからバガンで2番目に高い寺院ゴドーパリィン寺院、釈迦の髪の毛が収められていたという伝説のあるシュエサンドパヤーを訪れても、仏塔の前で首長族のコスプレをしながら屋台を出していた女性しか印象に残らなかった。

首のサイズに無理があったからあれは天然ではない。

 現実を引きずりながら訪れた9か所目、タヤマンヂー寺院。ここは幽霊寺院とも言われている。それは寺院を建てた人物の悪行に関係している。パガン朝第5代国王となったナラトゥーが、自分が国王になるために、父と兄を殺したという伝説が残っているからだ。夜になると幽霊が出ると、地元ではもっぱらの噂。怖いわーと思って散策していたら、嫌な胸騒ぎに襲われる。

 あ・・・・。Eバイクのカギがない。

 落とした?

 つけっぱなし?

 急いで寺院周辺を探す。それでも見つからず、足早にバイクの元に戻ると…鍵が付いたままだった。ほっと一安心。

「取られないように見張っていたよ!」

とバイクの近くで屋台を出していた女性に声をかけられた。そんなことを言われちゃ、何か買わねばならない。お礼に、ココナッツジュースをオーダー。1500チャット。嫌な汗と、暑さの汗が混じり、体はべとべと。よく冷えたココナッツジュースで体を冷やす。

 しばし店の女性と歓談。

 ここ数年で結構、観光客も増えたという。そして欧米人はみんなEバイクで回りたがるから、Eバイク屋も増えたそうだ。そこそこ疲れる乗り物だから気を付けてね、と言われ、さよならした。

 また砂漠のような砂の中をよろよろと走り始める。5分ほど走ると、10か所目スラマニ寺院が見えてきた。ここは仏像よりも、人々や象の姿が描かれているフレスコ画の方が興味深く見ごたえがある。

 お…少しずつ旅モードに戻ってきたぞ。

 まだ日が高い。現在14時過ぎ。このままバイクを返すのも、もったいない。1日レンタル料を払っているし、電力もあと半分ぐらい残っている。

 バイクにも慣れてきたし、思い切って、ニューバガンエリアまで飛ばすか。

 と決断し、走ること10分。集中力も切れていたのだろう。運転にも慣れて、天狗にもなっていたのだろう。もちろん緊張感による疲労の蓄積も否めない。

 私は初歩的なミスを犯した。アクセルとブレーキを間違え、屋台に突っ込んでしまったのだ。

 鍋には火がかかっていたものの、とっさに店の親父が、奇声を張り上げながら突っ込んできた私を、思い切りバイクごと蹴りとばしてくれて、油が大量に注ぎ込まれていた寸胴鍋から遠ざけてくれた。

おかげで私は済んでのところで、鍋に突っ込むことはなかった。バイクは横転し、私は樹にぶつかって、大木と抱き合うような状態になったけど。

 歯がビーバー状態の親父は、歯茎をむき出しにして笑いながら言う。

「屋台に突っ込んでいたら、ファイヤーショー!」

 要は、私が火だるまってこと。ミャンマーの屋台は油料理ばかりだもん。

 怖いわぁ。即手当てを行う。

 ふくらはぎは青あざだらけ。でも骨折なし。もちろん、膝などはそこそこ出血していたが。

 親父さんの機転の利いた行動と、神のご加護のおかげだ。

 親父さん、ありがとう。

 懲りるか…と思いきや、まだ走らせる私。

 なんかこの事故で付き物が取れたように、体が軽くなったような気がして、最後のスポット、ダマヤッズィカ・パヤーは予定通りいくことにした。

 事故現場からここまで30分走らせてきて、ようやく到着。ちょくちょく道の隅っこで止まりながら、地球の歩き方に記載されている地図で場所を確認しながら来たので余計時間がかかったと思う。チョット股が痛い。半日以上バイクにまたがっていた疲労もあるだろうが、明らかに事故の後遺症だ。

 ここは見ごたえがあった。来てよかった。

 外観は一瞬、イスラムのモスク建造物に見えるが、れっきとした仏塔だ。

 1196年・・・日本では鎌倉時代。ナラパティスィードゥー王によって建てられた寺院である。顔もきりっと引き締まった完成度の高いが高い仏像が出迎えてくれた。

 ゲートには、ライトアップされたパヤーの写真も飾られていた。夜の方がもっと見ごたえがあるなぁ。これもなかなか幻想的で美しい。私のドライビングテクニックでは夜間走行は不可能だから、一生涯、生で見ることはできないだろうな。

 ダマヤッズィカ・パヤーで丁寧な参拝を終えて、また40分ほどかけて宿へ戻る。

 宿前にあるレンタル屋へバイクを返却。17時前だったので、レンタルバイク屋のおやじには、『もういいの?』と言う表情を浮かべられた。どうも、欧米人観光客は夜間も借りるようで、この時間帯の返却はまれらしい。

 無事に帰還した記念に1枚撮影して頂く。ホント死なんで良かった。


 私は今夜の夜行列車でミャンマー第2の都市、マンダレーへ向かう。 Eバイクでの大冒険を終えて、すぐにシャワーを浴びて、身支度を整える。チェックアウト後だったものの、シャワーは、御厚意で無料で借りることができた。

 宿のロビーにはカフェも併設されているから、今夜の夕飯はここで済ませようと着席すると‥‥。

 サンセット&サンライズツアーのガイドさんであるマリオさんと再会することになった。

 マリオさんは怒っていた。そりゃ、そうだ。私がサンライズツアーの途中で姿を消したからだ。トイレに行きたいから帰った、あなたを探してもいなかった、多くの人がいて見つけられなかった、と言っても怒りは収まるところを知らなかった。

 ソーリー、ソーリー、と全く反省していないような単語を連呼するしかない状況に置かれている私を助けてくれたのは、リゾート地に行くような格好をした女性だった。

 すごく早い英語をマリオさんに向けて放ち、マリオさんは席を立ってどこかへ行ってしまった。でも私のポンコツヘッドは、彼女が何を言ってマリオさんを退治したのか、全くリスニングできていなかった。私は彼女に対しても、ソーリー、センキュー、とアホな音しか出すことができなかった。

 

 夜行列車の時間が21時だから宿で20時にタクシーを手配してもらう。 

それまでの間に、カフェで腹を満たす。今夜はスイカジュースと、シャンヌードル。シャンヌードルはシャン地方の麺なんだけど、こちらは汁なし。干し魚も乗っていて、これはこれでおいしかった。

 夕飯を食べ、タクシーが迎えに来るまでの間、助けてくださった女性と話し込んだ。私が英語が苦手だと分かると、中学生並みの英単語を使いながら、かみ砕くように私と向き合ってくれた。どこまでも親切な女性だった。

 この女性はシンガポールの方で、私がまだ旅をしたことがないキューバやメキシコの話を優しく語ってくれた。中南米、魅力的だなぁ。いつ、行けるのかなぁ。

 20時過ぎにタクシー(トゥクトゥク)が迎えに来て、女性とサヨナラする。そして、バガン駅に向かう。

 トゥクトゥクはなかなかのスピードを上げて走る。そして人を馬鹿にしたような冷たい風が容赦なく、私の頬を強打してくる。

 マリオさんの怒りだな、と思い、なされるまま抵抗することなく、私は駅までの20分を耐えた。



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