第4話 たった3万日しかない人生。
東北からのご遺体の運搬が落ち着いた頃、私はまだ火葬場にいた。次は最後の見送り人としての仕事を任されていた。
ご存じのように、東京は孤独死も事件も多い。孤独死で亡くなる方は、ご遺体の引き取り手がいない人が多く、葬儀屋から直接火葬場へ運ばれる人が大半を占めていた。私はそのように寂しく運ばれ、直葬されていく人の棺桶に花束を贈呈する役目を仰せつかっていた。
顔も知らない、どのような生き方をしてきたのか分からない、見ず知らずの人だ。お亡くなりになられた人だってそうだ。はじめましての姉ちゃんに最後の花束を贈られると予想だにせず、寂しい最期を迎えたのだ。
「そんなん、適当でいいんだよ!」
このようなご遺体に対し、どのような贈る言葉をつぶやき、花束を贈呈したらよいのか悩む私に、葬儀屋はいつも吐き捨てるように言い、投げるように花束を渡してきた。
葬儀屋にとっては日常の光景であり、直葬のため、一番金にならない仕事の1つである。ビジネスとして見た時、理解できなくもないが、冷酷な感情を含んでいる言葉を私は常に無視し続け、いつも花束を持ったまま最後の言葉を考えていた。しかし、いつも口から次いで出る言葉は
「人生、お疲れ様でした。」
だけだった。
事件性があり、酷い状態で発見されたご遺体は、棺桶から臭いが放出されないよう釘打ちがされており、もうお顔も見ることができない状態だった。
孤独死も、事件に絡まれ最期を迎えた方、誰一人とて、このような亡くなり方を望んだ人はいなかった、と言う点は同じである。
どのような人生だったのだろう。最後は何を考えたのだろうか。何が一番楽しかった思い出だったのだろうか。
棺桶を眺め、その方に思いを馳せれば馳せるほど、出てくる言葉は、
「人生、お疲れさまでした。」
だった。
5月のゴールデンウィーク明けだったと記憶している。数回目の釘打ちされた棺桶の宰領を担当することになった。
「あれさぁ、酷かったんだって。中央線で寝転がっていたんだってさ。それを始発便でぴしゃ。原形をとどめてないらしいよ。」
葬儀屋で働く人々は死体も見慣れているため、描写もリアルで生々しい。身内も見つからず、電車を遅らせた弁償費用はどうなるんだろうなぁ、と言いながら事務的に直送準備をして、
「おい、花束。」
と無造作に作られた花束をよこしてきた。
「次、詰まってからよ。サッサとやれよ。」
吐き捨てるように話すと、葬儀屋のスタッフは、次の現場へ向かって行った。
「ほな、お嬢ちゃん、いつも通り。」
ベテランの火夫は見慣れてきた私を、『お嬢ちゃん』と親しみを込めていつも呼んでいた。適当にさっさと済ませる宰領スタッフが多い中で、花束を手向ける際に悩んでいた私の姿が新鮮に映ったという。
白が多い花束を棺桶に置き、手を合わせ、言葉を考えていた時、
『俺のような人生を送るなよ。』
と不意に背後から、怒鳴り声が確かに聞こえた。
振り返っても誰もいない。いるのは目の前にいるベテランの火夫さんだけだ。
『人は死に向かって生きるんや。』
やはり誰もいない背後から声がする。急いで手を合わせ、何か言おうと口を開けるも言葉が出ない。首を絞められているような感触さえ覚える。
『たった3万日しかない人生。』
私は何も発せないまま、棺桶から離れた。足元から震えがゆっくりと駆け上がってきていた。
「お嬢ちゃん、なんか声が聞こえたんじゃないの?臨海斎場ではよくあるよ。」
目を細めて笑うベテラン火夫は、静かに火葬炉の扉を閉めた。
いつもはどんなご遺体と対峙しても、塩をたっぷりといれた湯船に浸かれば、心は落ち着いたが、その日は熱めのお湯に身体を沈ませても震えは止まらなかった。
ーあれは、ご遺体が話していた声だったのではないか。
臨海斎場でした予感は、時間がか経つにつれ、確信へと変貌を遂げた。そして私の身体はいつまでも氷のように冷え切ったままだった。
あの方は、どんな人生を送り、何を考え、何を食べて喜び、最後は何が引き金で線路に寝たのだろうか。それを思うと、眠れない夜を数える日が増えていった。それと同時に、自身の人生を鑑みることも比例して増えていった。
・・・・・たった3万日しかない人生。
この言葉が脳裏にこびりつき、いつまでも離れなかった。3万日を1年で割ると、約82年と出る。82年と聞けば長く感じる人生、しかしながら3万日と聞けばあっという間に感じる不思議さ。
震災直後の東京は、まだまだ雇用も復活しておらず、私は内定1つとれていない状態だった。つまらないプライドを振りかざし、東京にしがみつくことで、私は何か大事なものを見ないようにしてきたのではないか。
・・・大事なもの・・・それは、死に向かって進んでいく限られた時間。
命の次に大切な時間の存在に改めて気づかされた時、その気付くタイミングを待っていたかのように、携帯電話の音が部屋に響いた。
ブログを通じて知り合い、地元石川県からいつも、私の存在を応援してくれている人からだった。
「まだ内定がもらえていない状態だったら、あんた、教員免許あるって聞いとるさかい、講師ならいつでもあるから、戻っておいでや。」
この言葉を聞いたとき、何か肩の荷が下りたのか、膝から崩れ落ち地面に座り込んだことを、昨日のことのように鮮明に覚えている。やはり私はどこか片意地を張って、東京で生きてきたようなところがあったのかもしれない。
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