第3話 私が旅に出る理由

「なぜ、そんなに乱暴な旅を続けるの?」

 幾度となく浴びせられた言葉の1つである。特に同性からよくぶつけられた。

 リュックサックではないにしてもスーツケース1つで動き回り、宿は1泊1000円程度の安宿を好み、水シャワーでも文句を言わず、他の国の人と同室の部屋を好み、衣類は洗濯で回していく旅スタイルである。

「そんな、外に干しておいて、盗まれないの?ランドリーサービスを使えばいいのに。」

「あなたの選んでいる国は、女性1人で旅をするには適していない国ばかり。怖くないの?」

挙句の果てに、

「犯罪に遭いたいの?」

 このストレートな言葉をぶつけられた時はさすがの私も絶句した。

 いやいや、犯罪に遭わないためにスカートで旅はしませんし、安心安全を考慮し、日本人評価の高い宿を調べ、あらかじめ予約してスタートさせますし、何よりも移動手段も調べつくした上で行程表も作り、日本で予約できるものはすべて予約して、出発するんですよ、という聞きようによっては、言い訳に聞こえるようなセリフをいつも寸でのところで飲み込んできた。

 私は性格上、この人に言っても理解は遠いだろうなと悟った相手に対して、説明を引っ込める癖がある。だから誤解されやすいし、変人扱いをよく受けてきた。

 元来、冒険心が強く、何でも挑戦したがりな面は幼い頃から持っていた。ただこの面に拍車がかかったのは、2011年の出来事が大きかったように思う。

 2011年3月11日。私の人生は180度変わった。こんなスマートな表現で済まされるほど、きれいごとではなかった。東日本大震災を皮切りに、方向転換を強制的に余儀なくされたのだ。この当時、そんな目に遭った人はごまんといたと思う。

 当時、私は東京に住んでおり、勤めていた会社は、この震災のあおりを受けて倒産し、私は路頭に迷うこととなった。預貯金もなかった私は、家賃の支払いにも悩むようになっていった。

 私は東京には、こだわって住んでいた。

 世間体を気にし、人の肩書だけであの人は偉い、勝ち組だと称賛する地方田舎根性が、反吐が出るほど嫌だった。私が育った地域はその傾向が強く、どこそこの高校に行って、大学に行ったあの子はすごいと、該当の子が何歳になっても学歴を讃える風潮があった。私はそこから逃亡するかのように、18歳の春、東京進出を果たした。

 たとえ震災に遭って、収入減を失おうが、私は東京にしがみつく気合は十分だった。

 しかし、日に日にささやかな預貯金が目びりしていく現状に、心もやせ細っていった。そんな私を見て知人は、ある仕事を紹介してきた。


 それは葬祭関係の仕事だった。

 東日本大震災当時、東北地方の葬祭施設は津波で大破し、そのエリアでお亡くなりになられた方のご遺体が、関東地方まで送られてくるという現象が発生していた。

 突然大きな需要が発生し、人手不足となった葬祭関係。素人でも何でもいいから欲しいという相手の要望に関し、藁をもつかむ勢いで私は飛びついた。

 与えられた仕事は、宰領と言う仕事だった。

 宰領とは火葬場で案内をしたり、火葬の立会をしたりする役割である。大型の火葬場では、1日に20件、30件という件数の火葬が行われていることも少なくない。  

 たくさんの控室があり、来場する人は全員が喪服姿であり、道がわからなくなることや、乗る予定のマイクロバスがどれだかわからなくなることが生じる。この混乱を最小限にとどめるためにいるのが、宰領である。

 もともと、宰領という言葉には、荷物を運搬する人という意味がある。昔の宰領とは、葬儀業者が葬儀の供物をリヤカーなどに積んで、葬列の先頭に立って火葬場まで行ったことから始まっているという。道々に物乞いが出たり、なかなかすぐに目的地に着かなかったりする中、いかに素早く、問題なく現場まで葬列を連れていくかは、宰領の腕の見せ所だったらしい。

 火葬場での動線案内と聞いて、それならできると思い、容易く引き受けた自分はバカだったと初日に気づくことになる。

 私に与えられた仕事の大半は、ご遺体の最後の立ち合いだった。

 3月末から4月半ばまでは特に、東北地方から運ばれてきた、津波の被害に遭われた方の立ち合いが多かった。津波に揉まれたご遺体は水分を多く含んでいるため、従来の火葬よりも時間を要した。

 予期せぬ出来事で親愛なる人を失ったご遺族の方は、火葬時間が長引くけば長引くほど、ずっとひどく泣き続けていた。

「普通はね、火葬炉の扉が閉まると、ご遺族の人も諦めがついてね、吹っ切れてといった表現の方がいいかな、結構すんなりと控室の方に行くんだが、今回はことがことだけに、みんな難しいねぇ。」

 お遺体は次から次へ運ばれてくる。ただでさえ焼きに時間がかかる水死体だ。火夫の方はしきりに、時間を気にしながら、

「24時間営業じゃないからさ、あんた何とかしてよ。それが仕事だろうよ。」

と右も左も分からない私に、困惑した表情を向けてきた。

 火葬炉に搬入される際、棺桶にしがみつき、

「私も一緒に焼いてくれ!」

と泣き叫び、棺桶から離れようとしない人を引きはがすのも、私の役目だった。

「あなたに何の権利があるのですか。」

 慟哭状態の方に胸を叩かれ、足元で崩れられた時、

「ありません。」

と答えることもできず、ただ立ち尽くす私に対し、火葬場の職員は、プロとして無の境地でいろ、と厳しく叱責を浴びせてきた。

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