第3話 長公主、翠牡丹を強請る
(あり得ないわ)
仙娥が窘める言葉を探す横で、幼い
「もちろんですわ。陛下におねだりなさるとよろしいと思います」
「予備の
子供の考えなしのへつらいに、声をまったく尖らせないのは難しかった。なぜか過剰に皇帝の寵を受けている、汚らわしい
(死ねば良かったのに! 陛下が加減させたのではないでしょうね……!?)
兄の趣味を疑われているとは知らない明婉は、機嫌を損ねた風もなく、
「では、貴女たちの誰か。わたくしに
「それは──」
「それならお兄様を煩わせずに済むでしょう? わたくしの持っている宝飾と交換で構わないわ。好きなものをあげるから」
顔を見合わせて言い淀む
「ねえ、誰か……?」
不服そうに首を傾げる明婉の呟きに、華麟の軽やかな笑い声が重なる。
「長公主様。
「まあ、
にこやかに、けれどきっぱりと言い切った華麟の非礼に、鶯佳は驚いたように非難がましい表情を向けた。仙娥も、まったく同じ思いではあったけれど──
(駄目よ。
咄嗟に胸を過ぎった拒否感の強さに、仙娥は自分自身で驚いた。なぜ駄目なのか、と自問して、長公主には相応しくないからだ、と思い出すのに数秒を要する。
興徳王や皇帝の機嫌を損ねるのを恐れれば、迂闊な発言はできないはずなのに。幼い鶯佳は、例によって悩む素振りもなく舞台のほうへ身を乗り出した。
「
「どうでしょうか。貴妃様と長公主様のたっての命とあれば、従わない訳には参りませんが──」
幼い主の無体な命に、今日も皇帝役を演じていた
(……これで、長公主様は満足なさるかしら)
わたくしは良くないと思ったのですけれど、と溜息を吐けば体裁は保てるだろうか。仙娥が脳裏に巡らせた打算は、けれど明婉の弾んだ声によって狂わされた。
「そうだわ、どうせなら
「──は?」
不意に抱えの
「長公主が、公主役の
「私、ですか──」
姸玉の視線が揺れて、仙娥を窺う。主の意を尋ねるのは当然のことだ。でも──従順なはずのその視線が、彼女の神経に障る。さざ波だった胸を、同輩の貴妃たちがさらにかき乱す。
「董貴妃様、よろしいのでは? 長公主様のお望みですよ?」
「ほかの殿舎のことには、わたくしは口出しいたしませんわ。董貴妃様のお好きなように」
白々しいと、思った。万事解決とばかりに笑顔で促す鶯佳も。高みの見物の体で突き放す華麟も。仙娥に、姸玉の
「──貴女たち、何のつもりなの。わたくしを、陥れようというの」
低く呟いて左右を睨めつければ、それぞれ違う反応が帰って来る。
「そんな。どうして……!?」
「まあ、無礼な。この場を設けたのは長公主様だということをお忘れなく」
鶯佳は悲しげに眉を下げ、華麟はわざとらしい驚きの表情を見せる。──否、わざとらしい、だろうか。
(謝貴妃はいつもこう、かも……? 無作法なほどはっきりとものを言う女。何もかも芝居だと思っていそうで、品がない……馬鹿みたいな格好で……)
だから、露見したと思うのは、まだ早いのかもしれない。それに、華麟の言葉も、一応間違いではないのだ。競争相手の貴妃同士と違って、明婉が仙娥を陥れる理由はないのだから。ならば──仙娥は、わざわざ隙を見せてしまったのかも。
(落ち着いて……慎み深く賢明に振る舞うのがわたくしの常でしょう。長公主様を
浅く、深く。仙娥が息を吸って心を落ち着けようとする間に、明婉は彼女のほうへ駆け寄ってきた。
「どうなの、董貴妃。貴女からも姸玉に言ってくれないかしら。それとも、駄目? わたくしのお願いを聞いてくれないの!?」
「そのような、ことは──」
軽々しい振る舞いの小娘の後ろには、皇帝とその父がいる。明婉の高慢なもの言いに気圧されて、仙娥は思わず横に首を振っていた。言質を得るや否や、明婉はそれこそ舞うように身を翻し、再び姸玉に詰め寄る。
「では、あとは姸玉次第ね!? わたくしからあげる宝飾を、ふたつにしても良いわ。好きなものを選ばせてあげるから」
「たいへんもったいない仰せです、長公主様。ですが──」
跪くというよりはもはや平伏しながら、姸玉はちらりと仙娥のほうを盗み見た。ほとんど床の低さから見上げる目線は、卑屈で訴えかけるようなもの。この娘が以前見せた怒りや非難──主に対してあるまじき生意気さは、ない。けれど、あの時と同じように仙娥を苛立たせる。
(どうしてわたくしを見るの! 上手く言い訳なさい……!)
姸玉は、優れた
「私の
姸玉は、さらりと仙娥を裏切った。言い辛そうに口ごもりながら、
(罪? 糾弾?
悟った瞬間に、仙娥の頬は怒りと屈辱によって熱くなった。見た目にも朱が上ったのだろう、姸玉の目に愉悦の色が浮かんだのを、仙娥は確かに見た。
「
あんな小さな翡翠の細工を借りただけのことが、主を裏切るほどの怨みになり得るのだろうか。呆然とする仙娥の耳を、姸玉の明瞭な台詞の声が通り抜けていった。
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