五章 虚実、入り乱れて嘘を暴く
第1話 長公主、衣装を纏う
その日、
(……
招いたのは自分自身だとは重々承知していても、明婉としては、怖くて恥ずかしくて堪らない。当日になって、これから衣装に着替えるという段になってなお、そうだった。
侍女の
(とても大事なお芝居だもの。皆、もう準備をしているところなのに)
取りやめるなんて考えられない。楽しみにしている思いも、確かにある。でも、怖い。恥ずかしい。だから明婉は、先ほどから胸の前で手を組み合わせて、ぐるぐると歩き回っている。身体を動かしていると、まだ気が紛れる──ような気がしないでもない。
緊張に震え、吐き気さえ覚え始めた明婉の耳を、軽やかな笑い声がくすぐった。
「初舞台が大がかりなことになっておりますわね。羨む
「え、ええ……」
古風な
「わたくしにとっても、演じるのは初めてのことです。長公主様との共演だなんて光栄ですわ」
華麟もまた、今日の一幕の大事な役者なのだ。こよなく寵愛しているという
(優しい方、なのかしら)
明婉にとっては、今回が後宮に長く滞在するのは初めての機会だった。兄の妃たちの人柄を知る、良い機会でもあったのかもしれない。華麟の気遣いに感謝しながら、明婉は首を傾げた。
「謝貴妃は、
違う時代の絵画から抜け出したような華麟の出で立ちは、
明婉の素朴な疑問に、華麟は満面の笑みで応じてくれた。でも、花のような唇が紡いだ言葉は、輝くようなその笑顔ほどには優しくなかった。
「
「ご、ごめんなさい……」
では、華麟はさぞ明婉のことを苦々しく思ったのだろう。今日のことも、そもそも最初に
「主として良いところが見せられるのは嬉しいことですわ。……前は、星晶を見送ることしかできませんでしたから」
眉を寄せて唇を尖らせる華麟が言う前が何のことだか、明婉は知らない。昨年の《
(良いところ……そう、できることがあるのは素敵なことよ)
改めて自分に言い聞かせると、明婉の口元が自然とほころんだ。傍目にも緊張が和らいだのが見えたのだろうか、華麟が、今度こそ励ますような笑顔と言葉をくれる。
「わたくしは、途中までは観客ですもの。特等席で長公主様の熱演を拝見させていただきましょう」
「謝貴妃に満足してもらえたなら、わたくしも光栄です。……あの、頑張ります。燦珠のためにも……!」
明婉と華麟が、間近に顔を突き合わせて頷き合った時──まさに、その燦珠の声が明るく響いた。
「お待たせしました、長公主様! お着替えと
「ええ、もちろん」
意気揚々とした足取りで入室する燦珠の後ろには、衣装や化粧道具を携えた星晶と
「わたくし、男装をするのは初めてなの。どきどきするわ」
「別人になれるようで楽しゅうございますよ。お姿を変えれば、役を演じるお心構えもできましょう」
(本当に、わたくしではないみたい……!)
そして、しばしの後に差し出された鏡を見て、明婉は胸を弾ませた。
普段は結い上げて
鏡に映る明婉は、科挙を突破した
舞台の上では、自分ではないものになれる──そして、決してなれないものにも。一時とはいえ夢を叶えることも、できる。燦珠たちは、彼女にそう教えてくれたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます