第7話 長公主、秘華園に入る
あり余った菓子を
「
「ええ。でも、お菓子を渡してもらうことはできるでしょうから」
どうも、この侍女は燦珠のことを、というか秘華園や
(貴女のお兄様にとっても大事なことだものね、分かっているわ)
梅馨の兄の
(でも、彼女たちの芸も、すさまじい鍛錬の賜物でしょう? 科挙の勉強に劣らないくらいの……)
心中で呟く言い訳は、口に出すことはできなかった。秘華園への肩入れも、科挙への興味も、
「お兄様の御言葉を伝えてあげたいの。彼女たちも、不安でしょうから」
だから明婉は、当たり障りのないことを口にして
* * *
秘華園に着いて燦珠の居場所を尋ねると、意外にも練習場にいる、と言われた。
「練習……しても、良いものなの? 咎められたりはしない……?」
素直に喜ぶには、今の燦珠の置かれた状況は危ういもののはずだ。不安に駆られた明婉が問いを重ねると、対応した年配の
「ほかの殿舎の
「そう、なの……?」
いったいどういうことなのだろう、と首を傾げながら。明婉は燦珠がいるという練習場に案内された。
先日、《
(……どうして?)
公主役を演じていた、若い
「燦珠。あの、そこの者は……
咄嗟に事情を問える相手は、この場には燦珠しかいなかった。か細く震える声での切れ切れな問いかけは、情けなくなるほど頼りなくて支離滅裂だっただろう。でも、燦珠は顔を上げて、輝くような笑顔を見せてくれた。
「はい。
「……なぜ、一緒にいるの。何が起きたか、お兄様から伺ったわ……?」
燦珠の声は、いつも通りはきはきとして明瞭で、耳に心地良いし聞き取りやすい。けれど、何を言っているのかは分からなくて、明婉の混乱は深まるばかりだった。彼女が何を言おうとしたのか、そんなに分かりづらかっただろうか。
(貴女の
眉を顰めて黙り込んだ明婉の心の声を聞き取ったかのように、
明婉が思わず俯こうとした時──燦珠が、ずいと彼女のほうへ膝を進めた。
「──長公主様。今もまだ、
「え……?」
明婉には分からないやり取りの結果、
「私たち、董貴妃様にお見せする芝居を考えていたところなんです。《
「え、ええ。そうでしょうね……?」
当たり前のことだ。だからこそ、明婉も燦珠たちに兄の言葉を伝えようとしたのだ。皇帝は、秘華園に悪意を持っていない、練習の成果を披露する機会を取り上げたりしない、と。でも、この
「だから、姸玉は違います。公主の役をもらっているのに、悪いことに関わるはずがないんです」
「あ──」
目をきらきらと輝かせて、燦珠は先ほどの明婉の問いにようやく答えてくれた。早計に疑って狼狽えたのが恥ずかしくなるほどの、眩しい確信に満ちた眼差しだった。それほどに真っ直ぐに信じられる理由は、
「それでも、我が主には罪があるのかもしれません。それなら、正さなくては同輩にも
凛と訴える声は、不思議と明婉の心に染み入った。件の姸玉なる
(
それだけの
「……わたくしに、何かできるのかしら。聞いてくれたのは、そういうことよね?」
「幾つか筋を考えたんですが、無理があったり強引だったりして、なかなか決まらなくて。もしも長公主様が役を引き受けてくださるなら──」
燦珠が言い切る前に、梅馨と明婉、ふたりの声が重なった。
「無礼な。この御方をどなたと──」
「やりたいわ。やらせてちょうだい」
あるいは、燦珠を遮る梅馨を遮って、明婉が言い切った。膝をついて燦珠に目を合わせ、その手を取りながら、眉を顰めた侍女に懸命に訴える。
「お兄様のご負担を減らすことにもなる、でしょう? 董貴妃が、自ら罪を打ち明けてくれるようにする……そんなことができる、のね?」
言葉の後半は、燦珠に向けたものだ。悪事の自白が得られるなら、兄としても願ってもないことに違いない。いったいどうすれば良いのか、さっぱり見当がつかないけれど。でも、明婉と幾つも違わない娘は、首を大きく上下させてしっかりと頷いた。
「はい!」
「わたくし、貴女たちのように舞ったり唄ったりできないのよ……?」
「でも、長公主様にしかできない役なんです」
あまりの即答ぶりは、むしろ明婉の不安を搔き立てた。念を押すように打ち明けると、またも輝くような笑みで返される。とても眩しくて綺羅綺羅しい──明婉の不安を消し去るような、晴れやかな笑顔。
「大丈夫。しっかりお教えしますし、演じるのは楽しいものですから。どうか、信じてくださいませ……!」
その眩しさに魅了されたのだろうか。演じてみたい、という欲求の火が、明婉の胸に確かに
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます