四章 悪意の蛇、絡みついて牙を剥く
第1話 燦珠、嵌められる
最初から、何かおかしいとは思っていた。
ずっと纏わりついていた違和感は、背を丸め腰を屈めた
鏡のように磨き上げられた
(……なんで、こんなに人がいるの……?)
玉座の下段に、後宮の
(これじゃ、まるで──)
香雪も、強張った横顔からして何も知らないらしい。不安は募るいっぽうだけれど、とにかくも皇帝の御前では相応しい礼を尽くさなければ。燦珠が、女主人と息を合わせて艶やかな
「
皇帝の言葉を受けて、立たされたままの格好になって落ち着かない燦珠の前に、宦官が跪いた。彼が頭上に掲げる盆には、確かに翡翠でできた牡丹の細工物が載っていた。大きさも形も、確かに
(どういうことかって言われても……)
困惑しながら、燦珠は首を振る。問われたことの意味も分からないし、何よりも否定しなければならないことがあったのだ。
「あの、これは私の
「さもあろう。その
手ぶりも交えて説明しようとしたのを遮ったのは、低く険しい男の声だった。それも、皇帝のものではない。
驚きに目を見開きながら声のしたほうを向くと、皇帝の傍らに、龍をあしらった黄色の
(
混乱しながらも結論に至ったのとほぼ同時に、興徳王は
もはや彩り美しいだけの糸の塊になり果てたそれを掲げた興徳王は、なぜか得意げに胸を張っている。
「この時期に、印刷局の周囲での不審な物品の動きは見過ごされぬ。
この場の空気の張り詰め方も、
「それは──」
美姫の驚きの喘ぎに、興徳王は満足そうに頷いた。次いで、わずかに笑んだ唇から呪文めいた言葉を
「
呪文──燦珠にとってはそうとしか聞こえない音の連なりの意味を、香雪は理解しているのだろう。もとより白い横顔が、みるみるうちにいっそう白く青褪めていくのが怖かった。
何かとても重大なことなのだと、それだけは分かってしまうから。興徳王の声の大きさも鋭さも、増していくばかりだから。
「博識な沈貴妃には明白であろうが、まさしく
科挙の問題、と聞いて、妃嬪の間にも悲鳴のようなざわめきが起き始めた。彼女たちも、呼ばれた理由を聞かされていなかったのかもしれない。
(私だって、今、やっと分かったけど!)
そして、かけられた嫌疑を理解したところで、咄嗟に反論が出るはずもない。燦珠だけでなく、香雪も息を呑んで立ち竦み、興徳王の糾弾を浴びるだけだ。
「失くした、という
雷鳴のような怒声に、打たれたように首を竦めた時、興徳王と同じくらいに険しい、けれどいくらか冷静な若い声が割って入った。
「実際の問題文か否かは、
皇帝が、父君に逆らって燦珠たちを──主に香雪を、かもしれない──庇ってくれたのだ。ずっと難しい顔をしていたのも、疑いではなく苦々しさが理由だったのかもしれない。
(天子様は分かってくださってる!)
愛する御方からの弁護は、燦珠以上に香雪の力になったのだろう。折れそうに見えた細い背がす、と伸びて、凛とした声が響き渡る。
「燦珠の──この者の
「む……」
香雪の毅然とした反論が届いたのか、それとも悪あがきにしか見えなかったのか。興徳王が、
「香雪様──もしや、父君の御為にこのようなことを……!?」
興徳王と香雪の間を遮るように、妃嬪の列から飛び出したのは、
「父君の教えた方が会試に臨んでいらっしゃるとか。その方の合格を、確かなものとするために──高潔と名高い沈
袖で目元を覆う仙娥を見下ろして、燦珠は呆気に取られていた。心外な疑いへの怒りや不安よりも、恥ずかしさというか居たたまれなさのほうが、今は勝る。
(うわ、棒読みだ……)
わあわあと、泣いていると思わせたいであろう声を上げてはいるけれど、仙娥の言葉は嗚咽に詰まることなく、しかも説明的だった。まるで
(って、いうことは)
と、不意に恐ろしいことに気付いて燦珠は血の気が引く音を耳元に聞いた。
仙娥の言葉は、明らかな台詞だ。つまりは、あらかじめ考えて、覚えてきたものだということ。燦珠と香雪にかけられる疑いを、この方は知っていたのだ。それが、意味するのは──
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