第8話 長公主、喜ぶ
麗人
(これはもう、もう一度
改めて
「
「当然でしょう? 星晶の相手役で、芳絶さんの娘の役よ!? 逃がすものですか」
公主を演じる
「いや、練習の一回くらいで配役は変わらないでしょ?」
何のことだろう、と思いながら。腹筋を使って身体を起こして指摘すると、姸玉も跳ね起きて
「公主役がいなかったら、誰か代役を立てるでしょ? 燦珠になる可能性は高いでしょ? で、長公主様がお気に召したらそのまま、ってこともあり得るじゃない!」
「そ、そう」
仮定に仮定を重ねた話だと思うけれど、練習を見学することにしたらしい明婉のほうを見てみると、確かに燦珠に注目している、かもしれない。
(そんな無理を言い出す方じゃないと思うけど……)
でも、燦珠が口を挟む隙もなく、姸玉はまくし立てる。
「
これまで燦珠が姸玉と話す機会はあまりなかった。だから公主役の淑やかな印象が強かったのだけれど。なかなかに野心的で積極的だ。
(ま、まあ
気の強さも、相手役や、舞台そのものへの思いも。そうと知ると、もっと仲良くなりたい、という欲も湧く。もう少し雑談をしてみたくて、燦珠は話題を広げることにした。
「あの……
「それは、まあ……うちの貴妃様はあんまり
「そうなの!?」
例の《偽春の変》では、銀花殿の貴妃董
目を見開いた燦珠に、姸玉は軽く肩を竦めて、声を潜めた。
「ほら、陛下のご評判は前々から聞こえていたもの。真面目で教養ある方のほうがご寵愛を受けられそうって、思うでしょ」
「ああ……」
燦珠も、
(下手なこと言ったら、自慢に聞こえちゃうよね……)
燦珠が言い淀んだ気配に気づいたのだろう、姸玉は困ったように微笑んだ。
「董家の若君が
前回の
「……香雪様の身内の方もいるそうだし。皆でお祝いできると良いねえ」
「ね」
燦珠と姸玉は、顔を見合わせてしみじみと頷き合った。
* * *
そして、燦珠は牡丹の花精のひとひらとして、群舞の練習の最中だった。彼女たちが取り囲む
『燦珠の舞には、恥じらいが足りない!』
公主役として、いったいどんな心構えで芳絶や
『普通はね、芳絶さんや星晶や、
(綺麗な人は、正面からじっくり見たいじゃない……?)
物陰から覗き見するように、なんて失礼にも思えるけれど。でも、可憐な公主を演じる姸玉の言うことだから──試してみよう。
扇を使った
(あ、どきどきしてきたかも!)
不意に何かを掴んだ気がした。芳絶の香気に酔わされているだけではなくて、もっと苦しさや切なさを伴って、胸が高鳴る──もしかしたら、これは恋という感情に似ているのかもしれない。
(うん、良い感じかも!)
昂ぶるのは心だけで、指先も視線も足の運びも、あくまで優雅に滑らかに。でも、きっと今の燦珠は皇帝を引き立てる豪奢で薫り高い花になれているのではないだろうか。
達成感は、燦珠の声にもいっそうの張りを与えて、
多么令人高興 何と喜ばしい
多么好的一天 何と美しいこの日
公主微笑如花 姫様はお喜び
主上很很満意 陛下もご満足
王朝必永興旺 末永く国が栄えますように
素晴らしい出来だったと、誰もが確信していただろう。演じる側の手ごたえだけでない、真正面の特等席で見ていた明婉の、真っ赤な頬が保証していた。か細く頼りなく儚げに震えていた声が、今は明るく弾んで、心からの讃嘆を紡いでくれる。
「
用意された椅子から立ち上がった明婉に、
「さようでございます。長公主様は、大勢での演技は初めてご覧になるのでしょうか。お楽しみいただけましたか?」
「ええ、とても……!」
明婉は、艶やかに香り立つ芳絶に対しての気後れを忘れるほど、興奮してくれているようだった。年相応にはしゃいだ様子は、始めて目にする少女らしい姿かもしれない。
(ひとりずつ演じるのと、大勢でのお芝居はまた別だものね)
端役らしく離れた場所で、燦珠がうんうんと頷いていると、そよ風のようにさやかな衣擦れの音が近づいてきた。
「ね、燦珠」
「長公主様……?」
長公主が纏う絹は、どれほど技術を凝らした薄い生地なのだろう。天女の羽衣のようで、華奢な方によく似合う──と、見蕩れる間に、明婉はそっと燦珠の耳元に唇を寄せた。練習場の誰もが、この方の挙動に注目しているけれど、燦珠にしか聞こえないであろう声量で、応える。
「燦珠。貴女は自分でここまでの道を拓いたのね……?」
「いえ──私だけでは、とても。教えてくれた、助けてくれた人たちに恵まれてのことです」
女だてらに舞台に立ちたくて、
(でも、なんで今? わざわざ私だけに?)
不思議に思いながらも、何となく声を潜めて答えると、明婉は小さな手を胸元でそっと握りしめた。
「それでも。女の身でも、できるということよ。……わたくしも、見習わないと」
「……あの?」
「もう少しで諦めるところだったの。でも、やってみなくては──貴女のお陰で、そう思えたわ。ありがとう……!」
明婉は、何かの決意を固めているように見えた。それ自体は、良いことなのかもしれない。でも、この方の立場を思うと手放しで応援して良いことなのかどうか。
「あの──天子様には」
「ちゃんとお伝えするわ。燦珠にも、誰にも何もお叱りがないように。ただ、もう少しだけ待ってちょうだい」
皇帝に相談してもらえれば、と思ったのだけれど。どうしてもう少しの間が必要なのか、気になったけれど。長公主に待て、と言われれば燦珠は従うことしかできない。
(……天子様もお忙しいんだろうし。科挙が終わったらお伝えするのかな……?)
明婉の悩みは、たぶん科挙に関するものなのだろう、という予感はある。
* * *
燦珠の
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