第7話 燦珠、練習に励む
片足を掴んで頭の高さに掲げ、もう片方の足を屈伸させる──
(うん、今日も万全!)
ぶれることなく立てているのを確かめて、燦珠は内心快哉を上げた。
広い練習場に、今は燦珠はひとりきりだ。《
(ひとりでも、喜燕とふたりでも──練習場を広く使えるなら、それはそれで!)
そう自分に言い聞かせては、いるけれど。内心では怖かった。嫌われていたらどうしよう、ではなくて、満足な練習ができなかったら申し訳ない、と。同じ役柄の
「あの、燦珠……? ここにいると聞いて──」
だから、練習場の入り口に人影が見えた時、燦珠は喜びに跳ねた。ちょうど軸足が伸び切った時、
「だ、大丈夫なの……? そんな格好で──」
今にも卒倒しそうな顔色で震える
「え? えっと、はい。大丈夫です」
咄嗟のことなので、
「よ、よく喋れるわね……?」
「はい、あの……
恐怖に満ちた眼差しを向けられて、燦珠もさすがに気付いた。たぶん、世間には足を頭の高さに上げられる人間は多くない。長公主のお付ともなると皆無かもしれない。
(そっか……いきなり見ると怖いんだ……)
少し、しょんぼりとしつつ──野の花のように可憐な御方を怯えさせないよう、燦珠は掲げていた足をそっと降ろした。そして、その場に跪いて首を傾げる。
「何の御用でしたでしょうか。これから練習なんですけど、ご覧になりに……?」
明婉の背後を窺うと、秘華園の責任者であるはずの霜烈も、年長者の
(まるでお忍びみたい……? 時間も早いし……)
もちろん、秘華園に来るには
「い、いえ……あの、立ってちょうだい。秘華園が、大変だったのでしょう? わたくしの我が儘のせいだと、
「ああ……」
「わたくしに、何かできることはないかしら。自由に出歩けないのは困る、でしょう? 行きたいところがあるなら、わたくしが一緒に行けば良いかしら? お兄様もお父様も、それなら何も仰らないでしょうし。……あの、お願い。本当に立って欲しいの……」
もう一度促されて、燦珠は躊躇いながら立った。燦珠の背丈は、明婉よりも少し高い。貴人を見下ろすのが不敬、というよりは、何となく圧を与えてしまいそうだった。
(お優しいのは、天子様にそっくりかも、だけど……)
「長公主様。それは、不公平というものです。甘える訳にはいきません。
明婉の申し出を受けては、霜烈の配慮を無にしてしまう。
「でも。わたくしは貴女を困らせてばかり。そもそも最初から──」
にこやかに軽やかに言ったことで、明婉の怯えを解くことはできたらしい。それでも納得には至っていないようだから、燦珠は無礼にも長公主の言葉を遮って、微笑んだ。
「とても嬉しくて光栄でした。
明婉のあの願いごとは、何かしらの口実だということは、気付いているけれど。口実に選んでもらえたこと、それ自体だって誇らしいだろう。燦珠の舞を見た時のこの御方の高揚は、嘘ではないと分かっている。だから燦珠も、嘘ではなく明るく笑うことができる。
「本当にお気になさらないでください。私、困ってはいないですから」
「でも」
「
「大事な──進士への
そうだ、そもそも明婉は、今回の状元──主席合格者に嫁ぐために上京したのだった。
(えっと……でも、長公主様はお嫌、なんだよね?)
触れたくない話題だったのではないか、と。燦珠は慌てて弁明の言葉を探した。でも、彼女が口を開くより先に、とても良い香りの声がその場の空気を華やがせた。
「とても良い心がけだね、燦珠」
「──
いつの間にか練習場を覗き込んでいた芳絶は、常のように男装の
「貴女は──女将軍役の?」
芳絶の美に当てられたのかどうか、明婉も眩しそうに目を細めている。
「
滑らかに跪く芳絶の所作も流麗で、なぜか花が咲き乱れるのさえ見える気がした。でも、見蕩れるばかりでもいられない。燦珠は慌てて膝をついて、綺麗な人に目線を合わせた。
「あの、どうして……?」
「花精役の子たちで練習をするのだろう?
「それは……えっと」
正直に言ってどうだろう、と思う。もちろん、本番と同じ人数で、同じ配置ができるに越したことはないけれど。芳絶の香り高すぎる色気にどう立ち向かえば良いものか、まだ答えが見つかっていないのに。
(あと、それに──)
いまだ閑散とした練習場を見渡して、燦珠は声を潜めた。
「あの、ほかの子たちが来るか、分からなくて」
「半分くらい連れてきたけど。来ていないのは誰かな」
「はい?」
立ちながら背後を見やる芳絶の視線を追えば、頬を紅くした
(どっちが花だか分からないけど……人を集めるために、来てくれたの?)
芳絶がいれば若い
「燦珠! ちょっと、これ、何!?」
「あ、喜燕!」
と、燦珠の耳に、今度は慣れ親しんだ友人の声が飛び込んでくる。時間通りに練習場に現れた喜燕は、芳絶と明婉目当ての人だかりに道を塞がれているようだ。
(私も、何だかよく分からないんだけど──)
でも、ちょうど良い時間で、人数も揃っている。長公主という、願ってもない観客までいる。それなら言うことはひとつだけ、だろう。
「練習、始めよっか!」
「は?」
満面の笑みで宣言した燦珠に、ようやく人垣を抜けて来た喜燕は、驚いたように目を見開いた。
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