第6話 霜烈、招かれざる客に会う
とはいえ、住まい自体の居心地の良さと、訪れる客の好ましさはまったく別の話である。
「
その日、霜烈を訪れた客は、出された茶に手もつけず、
「この卑しい身に、どのような御用でしょうか」
ただ、面倒極まりない願いを言い出してくれた長公主に関わることだ。秘華園を預かる身としては警戒せずにはいられない。
「
案の定というか、梅馨は主の権力を振りかざす者特有の高慢さで切り出した。
「もったいない思し召しです」
霜烈の素っ気ない答えに、梅馨は軽く目を見開く。そのようなことはありません、と言わせたかったのかもしれないが、彼の知ったことではない。動揺してくれれば、その分扱いやすくなるというものだった。実際、梅馨は少々上擦った早口で
「……秘華園も動揺しているとのこと。ご自身のせいで、と思っていらっしゃるご様子もございます。ご心労を解くためにも、
「長公主様に関わりのあることではございませぬ。お気に病まれる必要はないと、お伝えくださいますように」
にこやかに、けれどはっきり伝えると、梅馨はあからさまにむっとした表情を見せた。長公主の機嫌を取ろうとしないのが信じられない、とでも言いたげだが──信じられないのは、霜烈のほうだ。
(
皇帝と長公主の父君は、皇族の責務を知る数少ない憂国の士だ。無論、先日皇帝が零したように、陰謀とまったく無縁であるはずもないのだが。それでも、自身の気持ちだけを理由に、理のある措置を覆そうとはしないはずだ。あの御方ならば、姫君の躾けも怠らなさそうなものなのだが。
「実際に影響が起きているではないですか。明婉様のご滞在中に、後宮が落ち着かぬのもご負担になります。だからこそ──」
「そこをご説明するのもお慰めするのも、近侍の方々の役目と存じます」
ますます道理から外れていく梅馨の主張を、霜烈は丁寧に、けれど冷たく遮った。そして、人に聞き入らせる力があるらしい声と抑揚で、ゆっくりとじっくりと言い聞かせる。
「気晴らしに
「……楊太監のご意向は承りました。明婉様に申し伝えます」
悔しげに吐き捨てて去って行った梅馨は、恐らくは言いつける、と言いたかったのであろう。だが、どうぞご随意に、というものだ。
長公主がさらに言いつける先は父の興徳王か兄の皇帝だ。前者ならば、秘華園の権限を制限する措置に賛同するだろうし、後者に対しては、
(あるいは、長公主様ご自身のご意向ではなく、侍女の暴走ということもあり得るか……)
主の意を待たずに、行き過ぎた忠誠心で気を回した、ということなら梅馨の強引さもまだ理解できるかもしれない。いずれにしても、後宮と秘華園にとって頭痛の種であることには変わらないのだが。
「厄介なことだ……!」
溜息を呑み込むべく、霜烈は冷めた茶を飲み干した。
* * *
次に
「
「開口一番、それか?」
その客──
「当然、落ち込んではいるよ。ただ、練習は怠っていないし君に泣きつく気配もない。とても良い子だね、あの子は」
「そう、か……」
芳絶の答えは、喜ぶべきもののはずだった。
だが、燦珠が彼に頼る選択を一切考えないのだとしたら──
(いや、それはそれで喜ぶべきだ。燦珠は私などに深く関わるべきではない)
順当な結論に至った、と思った瞬間、霜烈の耳に、とろりとした蜜を思わせる甘い声が悪戯に囁いた。
「残念そうに見えるよ」
「そのようなことはない」
「ふうん?」
強い調子の反駁に軽く肩を竦めると、芳絶は手近な椅子に勝手に座り、脚を組んだ。
男装に慣れた
(燦珠の舞がおかしなことになっていたのは、そなたのせいだ)
じっとりと睨む霜烈の視線を意に介さず、芳絶は大輪の花が香りと花弁を振り撒くような豪奢な笑みを見せている。
「燦珠に嫉妬を集めまいという、君の涙ぐましい努力には感服する。《
燦珠に公主役をやらせては、さすがに
「燦珠は私の慰めなど必要としない。それに、此度のことは狙いがあってのことだ」
「うん。
正当な外出はすぐに許可されるから問題がない、と霜烈が強弁したのは実は嘘だ。
恋人──相手は宦官だったり侍女だったりする──との逢引、
「燦珠の荷物に紛れ込ませれば、やっぱりあの子の勘違いだった、ってことにできるだろう。嫌がらせなら、それで十分なはずなのに」
「……分かっているのではないか」
犯人が名乗り出るとまではいかずとも、燦珠の
(犯人は、此度の措置で不都合を
どうするつもりだ、と目で問うてくる芳絶は、すでに霜烈と同じ結論に至っているようだった。ならば、対策を示すのが
「犯人が
「
芳絶は、
「現段階では、何かあるか?」
「そうだね──
割と深刻な苦言が跳び出したので、霜烈は額を抑えた。芳絶は苦笑で済ませているが、舞台の上で私情を隠せないのは褒められたことではない。が、原因は恐らく彼自身にあるのだろう。
(言いたいことは想像がつく──が、燦珠にわざわざ説明することでもないだろうに)
彼と燦珠の関係は、何ものでもないのだから。事実、彼と芳絶が間近に顔を寄せ合っていても、燦珠が気にした風はなかったのを確かめて、安心していたところだというのに。思わぬ伏兵があったものだ。
苛々と、指先で額を叩きながら、霜烈は呻いた。
「……私が言っても聞くまい。
「頼んだよ。しかし、まあ──」
軽く笑った後、芳絶は表情を真剣なものに改めた。そうすると、眼差しの強さと端整な顔立ちが、いっそう際立つ。その目が、遥かな時を越えた光景を見ているのだと──視線ひとつで見る者に悟らせるのは、やはり
「私があの子たちくらいの年のころも、あんな目で見たり見られたりはあったものだ。だが、それは
霜烈も、彼女が語る時代のことはよく知っている。ほかならぬ彼自身もその渦中にいたのだから。芳絶が、髪型だけは女の結い方をしているのも、兄たちのいずれかと縁があったのかもしれない、と考えてもいる。だが、それは口にはできぬこと、詮索すべきでないことだ。
だから黙して聞いていると、芳絶は少しだけ口元を緩めた。
「それが今では、
容姿について触れられるのも、小娘たちの姦しさに巻き込まれるのも、霜烈の好むところではなかった。だが、芳絶の言葉の趣旨はそこにはないことは、分かる。
「私もそのように思っている」
よって霜烈は静かに頷いて同意を示した。
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