第5話 霜烈、翠牡丹を封じる
衣装のままで一日動き回っていた
「さすがに疲れたね。早く顔を洗いたい……!」
「
「まあ、
「ううん!
先ほどの熱演を思い出しつつ、燦珠がうっとりと呟くと──星晶はどこか凄みのある微笑で応じた。
「してないよ。芳絶さんに八つ当たりしたくて、胸を借りた感じ」
「え──」
思わぬ答えに燦珠が目を見開く一方で、なぜか星晶と喜燕は通じ合っているようだった。
「でも、即興であれだけ合わせられちゃうと負けた気がするよね」
「あの人、いつも余裕だから。すごい
「ね。たぶんね、あの人に当たっても仕方ないし」
「……え? 何があったの!?」
「大丈夫。私たちが勝手に怒ってるだけだから」
ふたりとも、燦珠にはにっこりと笑ってくれるけれど、やり取りはどう考えても不穏だった。でも、問い質すことはできなかった。
燦珠が口を開く前に、一行は楽屋に辿り着いてしまった。それに、雑談どころでない事件が起きていることが、すぐに分かってしまったのだ。
畳んで置いておいた自分の服を何度もひっくり返して、喜燕と星晶に手伝ってもらって楽屋の隅から隅までを探してから。燦珠は呆然と呟いた。
「えっと……私の
* * *
報告を受けた
事件のことは、それだけ早く秘華園中に広まったのだ。
(失くした……失くなった? でも、いつ、どうして……!?)
ふらふらと、雲を踏むような不確かな足取りで、燦珠は霜烈の前に進み出た。よほど急いで駆けつけたのだろう、ほつれた髪が額にかかり、頬も上気している。珍しく乱れた姿に、見蕩れることができれば良かったのに。最近は練習で忙しくて話す機会もなかったのに、久しぶりに纏まって言葉を交わすのが、こんな場面になってしまうなんて。
「
「はい。
霜烈の美貌には慣れたと思っていたけれど、冷たい目で厳しく問い質されると怖かった。それに、燦珠の耳には
「長公主様に取り入ろうとしたからでしょ」
「ええ。目に余ったんでしょう……!」
「楊太監は、あの子を
最後の言葉が一番痛くて、燦珠はいったん唇を結んだ。
(やっぱり皆、そういうことを思うのね……!?)
喜燕と星晶は、霜烈が燦珠に悪いようにするはずはないと、一生懸命慰めてくれた。でも、燦珠はそんなことを期待してはいない。期待してはいけないと、思う。
(知り合いかどうかで扱いが変わるのは、駄目よ……!)
秘華園が大事な霜烈のことだ。騒ぎを起こしたのが誰であろうと、公平な処分をするはず。正しい判断をするためにも、起きたことは正確に正直に伝えなければならない。霜烈の深い色の目を見上げて、燦珠は口を開いた。
「
これは、喜燕と星晶が証人になる。身内だろうと言われると困ってしまうけれど。その後は、演技の披露の間、楽屋には誰もいなかった。
「楽屋も、私の部屋も、何度も探したんですが、見つからなくて──」
語るうちに霜烈が眉を顰めていくのに胸を痛めながら、燦珠は説明を終えた。きっと、困らせているし怒らせている。長い指で顎を捉えて、いったい何を考えているのだろう。燦珠だけでなく、その場にいる
「……
「はい。ごめんなさい……」
「そなたたちも
霜烈は声も美しく、かつよく響く。
抗議や戸惑いの声が上がる中、いち早く挙手して発言したのは、星晶だった。
「貴妃様のお召しがあった時は、どうすれば良いのですか?」
「宮女や宦官と同じように、事前に申請と先触れを行うように。今夜のうちにも後宮全体に通達する」
「……分かりました」
鋭く切り返すような霜烈の答えに、星晶は軽く眉を顰めて頷いた。
(そんな。
霜烈の判断は正しい、とは思う。だからこそ星晶も引き下がったのだろう。でも、
「それではあまりに不便です……!」
「私たちは、何も悪いことなんてしません!」
不満の声が上がるのもまた、当然のことだ。
(そうよね、皆、何もしてないんでしょうから……)
燦珠の
「
「余った
氷の刃のような眼光を放つ霜烈に食い下がった
(それは、何にもならないわ……)
燦珠の
「失われた
分かってくれたのか、霜烈の迫力に気圧されただけなのか──発言した
「面倒くさいことになったね」
「燦珠のせいではないけど──」
「案外、どこかに紛れているんじゃないの?」
(だって、さんざん探したのに……!)
そうだったら良い、と。燦珠が誰より思っている。でも、口に出せる立場でない。だから燦珠はひたすら唇を噛んで、腹の中に渦巻く思いを呑み込んだ。
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