第4話 燦珠、迷走する
何より──
(私──
人に見せるためのものではないから、屋内ではなく、庭園の一角が今日の練習場だった。衣装も、動きやすい
いまだくすんだ色の空に彩を添えるのは、膨らんだ梅の
(あれから一年経つんだ……)
懐かしさに口元が綻ぶのを自覚しながら、
(次は、《
秘華園に入って、最初に教わった演目。そして初めて人と一緒に舞う喜びを知った演目だ。相手役の
(うん、やっぱり楽しい……!)
大空から下界を見下ろす鳳凰の舞だけあって、跳躍の多い演目なのだ。人の小娘の身でも、回転と跳躍を繰り返し、自らが巻き起こす風に乗って舞うのは大空を飛翔する心地がする。雄大さと軽やかさ──これもまた、燦珠は振り付けを存分に踊りこなすことができているはず。
「……でも、色気が必要な演目ではなかったのよね……」
ひと通りの振り付けをなぞり、身体は温まった。けれど今ひとつ得心がいかなくて、燦珠は息を弾ませながらひとりごちた。
即興で歌詞と振付を変えた、《
(隼瓊
芳絶の言葉は、向いている演目だけやっておけ、という意味だったのかどうか。それは、不得手なものを無理に頑張るのは無駄なのかもしれないけれど。でも、
(《
酩酊した美姫を真似て、幾度か危うく揺らいだ回転を舞ってみる。
「あとは──」
それでも、回転の渦の中から、もうひとつ、演目が浮かび上がった。それを舞うべく、燦珠は呼吸を整える。見たのはたった一度だけれど、忘れようもなく目に焼き付いているから、振り付けをなぞることはできるはずだ。
「──ふっ」
軽く息を吐いてから、足の爪先を高く、頭上まで跳ね上げる。同時に背を反らせ、腕を翻して
酔わされた
あの時見た
(絶対違う! 私だときっとすばしっこい子狐に見えてる!)
ひとしきり舞っても納得がいかなくて。燦珠はもどかしさにその場でぴょんぴょんと跳ねた。振り付けを再現することはできる、そのための筋力や柔軟性もある。でも、記憶にある名手の舞と彼女自身のそれとは、何かが決定的に違っているのだ。
「もう、嫌になるわね……!」
腹の底から叫んだのは、自分に気合を入れるためのものだった。それも、燦珠は本気で自己嫌悪に陥ったりしない。ただ──答えの見えない落ち着かなさを、吐き出したくなったというだけだった。
「ご、ごめんなさい。覗き見るつもりでは、なくて……」
なのにか細い声に謝られて、燦珠は飛び跳ねた。いつの間にか、彼女の練習を誰かが見ていたらしい。ひとりで踊っていた者が、突然大声を上げたのだ。気付かれて叱責されたのだと思ってしまったのかもしれない。
「う、ううん! 独り言なので!」
慌てて声のしたほうを振り向いて──燦珠は、目を瞬かせた。
(……誰? こんな子、いたかしら?)
燦珠の大声に、跳び上がったところ、なのだろうか。両手を胸の前で組み合わせてふるふると震えていたのは、彼女よりひとつふたつ、年下に見える少女だった。秘華園の
不思議に思って装いに目を凝らせば、顔立ちにも佇まいにも品があるし、髪を飾る宝冠は玉を散りばめた豪奢なもの、衣装の美しさ精緻さも目を奪う。
「あの……誰かに御用ですか? 呼んで来ましょうか?」
……ということは、
「誰に、ということはなくて……」
その少女は、困ったように首を傾げた。野の花が風に揺れるようで、頼りなくも可憐な風情だ。しっかりと守って差し上げたくなるけれど──そのためには、もう少しはっきりとものを言っていただかなければならない。
「えっと──じゃあ、
「いえ……あの、そんなに大げさでなくて良いの」
可憐な少女は困ったように眉尻を下げて、またふんわりと揺れた。と、思いきや、後ろを振り向いて、控えていた侍女らしい者とひそひそと相談を始めた。侍女のほうも主人と同じ年ごろの少女だけれど、主人よりもずっとしっかりしていそうだった。
(妃嬪の方々も、色々なのかしら……?)
「……貴女にお伝えすることに決めました」
「はい」
なので、少女がようやく意を決したように口を開いた時、燦珠はにこやかに頷いた。細い肩に力が入っているのが見て取れたから、安心して差し上げたかったのだ。
「先ほどの舞は、とても素敵でしたから。ええと、色々に感じが変わって、同じ人ではないようで──すごかった、です」
「恐れ入ります。ありがとうございます」
手で何かを
「わたくしも、貴女のようになりたいです。秘華園の、
「え──あの……妃嬪の方が、
けれど、続けて言われたことに笑顔で応じることはできなかった。さすがに、聞き返してしまう。芝居も歌舞も、素敵なものだ。誰だって、
(あれ? 昔はあったんだっけ? えっと、でも、ご実家とか大丈夫なのかな? 天子様は、何て仰るかな……? っていうかこの方、今まで何かやったことあるのかな。こんな細い声なのに……?)
応援したいのはやまやまだけど、咄嗟に浮かんだ疑問と懸念だけでも、何だかものすごく大変そうな気がした。でも、口にしたらこの少女は泣き出してしまうのではないか、とも思えた。ただでさえ大きな目が潤み始めて、唇をぎゅっと結んでいるのに。
「この御方は妃嬪などではありません」
「あ──そうなんですか?」
と、侍女が口を挟んでくれたから、燦珠は安堵の息を吐いた。
(じゃあ、どなたなんだろ?)
でもまあ、妃嬪でないなら厄介なことにはならないかもしれない。──そう思ったのは甘かったのを、彼女は一瞬の後には知ることになった。
「この御方は、
「……え?」
「なので、必ずお望みを叶えて差し上げなさい」
「ええええええええ!?」
燦珠が上げた悲鳴は初春の空に吸い込まれ、芽吹いたばかりの新芽を震わせた。
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