第3話 燦珠、赤面する
貴妃たちが会話に花を咲かせる間も、
「なんて透き通った声……!」
「
「ね、視線も指先も!」
「神経が行き届いてるよね!」
ふたりが熱い眼差しを
(本番は
先帝は、お気に入りの
(
今回は、秘華園が晴れの、そして
ひと通り
「
秘華園には美声の人がたくさんいるけれど、
今日も皇帝に特別に賜った
「ああ、
「大問題だ」
にこやかに応じた芳絶に、霜烈は眉を顰めたようだった。いくらか距離があるから、燦珠には彼らの表情はよく見えない。
(盗み聞きをするつもりは、ないんだけど……)
燦珠だって、同じ役どころの舞手たちと振り付けの確認だとか間合いの調整だとかをしないといけない。実際、喜燕と頷き合って、離れたところで
「皇帝役にしては色気が過ぎる。なぜそなたが皇帝役なのか考えよ」
「陛下と年が近いから、だろう? だから
燦珠が手を振ると、花精役の少女たちも同じ動作で応じてくれた。彼女たちも視線が泳いでいるから、霜烈と芳絶の組み合わせは誰にとっても見ものらしい。
(楊太監から見ても、芳絶さんは色気があるのね?)
芳絶の演技で心を乱したのが燦珠だけでなかったなら安心、だろうか。目も耳も肥えた霜烈が観てもそうだというなら、芳絶はやはり並みの
とはいえ、芳絶の答えは霜烈には不満だったようだ。季節を冬に戻すような、冷え冷えとした溜息が聞こえたかと思うと、低い、言い聞かせる調子の声が続いたから。
「それが分かっているならば、見る者はそなたと陛下を重ねるのだと理解できよう? 不敬にならぬよう──」
と、そこできゃあっ、という甲高い声が上がったので、燦珠は思わず声のほうを振り向いた。周囲の少女たちが一斉に歓声というか悲鳴を上げた理由は、ひと目で分かる。燦珠も、気付けば同輩たちに倣って手を口元にあてていた。
(わあ……わあ……!)
芳絶が、霜烈の唇に指先をあてて黙らせていたのだ。
かたや、
注目を一身に集めたことに気付いたのか、どうか。芳絶は、香り高く開く花を思わせる笑みを綻ばせた。
「無難に抑えた演技を披露するほうが不敬というものでは?」
「芳絶……!」
悪戯っぽく囁かれて、霜烈は整った眉を跳ね上げた。苛立ちを露にしてなお、美しい声と唇で彼が何を言おうとしたのかは──燦珠が聞くことはできなかった。
「
間近に、彼女の名を呼びかけられたからだ。
「
高い──そして同時に気の強さも窺える声は、四人目の貴妃が発したものだった。
後宮に送り込まれるだけあって、愛らしい少女ではあるのだけれど。言葉を掛けられたのも、これが初めてのことだけれど。燦珠はこの御方が苦手だった。
(この御方が、あれをさせたのよねえ……?)
燦珠が秘華園に入ったばかりの時、鳳凰の衣装を損なわれる事件があった。その犯人が楓葉殿の抱えの
とはいえ貴妃は貴妃だから、と。燦珠を含めた
「楊太監は芳絶のものよ。悔しいでしょう」
そのひと言を残して、鶯佳は侍女を従えて去って行った。この後の練習や確認に貴妃が立ち会う必要はないから、殿舎に帰るのはご自由に、というものだけど──
「何、今の」
「……何だろうねえ」
喜燕はむっとした様子で唇を尖らせたし、燦珠も苦笑するしかない。ほかの
(周貴妃様、私のこと覚えてたんだ)
余所の殿舎の
(でも、どうして悔しがるって思ったんだろ? っていうか、楊太監と芳絶さんって……?)
鶯佳に気を取られた間に、綺麗なふたりのやり取りはどうなっているだろう、と。視線を巡らせようとした燦珠の袖を、喜燕が強く引いた。
「楊太監も楊太監よ。なんで燦珠を放ってあの人と……!」
「えっと、演技の話は仕事だから、だよね?」
秘華園を掌握する
「それにしても近すぎるでしょ!」
「でも、お似合いだよね。ふたりとも綺麗で背が高いから」
周囲の耳を憚ってか、霜烈と芳絶は今は声を落としてやり合っていた。相変わらず、眉を顰める霜烈を、芳絶が揶揄うような気配だけが伝わってくる。何を話しているかは分からないけれど、見た目にはたいそう豪華に美しく、贅沢な一対だった。
(うん、やっぱりお似合い。すごく、綺麗……)
燦珠が感嘆の溜息を吐いた時──
「燦珠は余裕だね。私のほうが我慢できそうにないのに」
閃く白刃を思わせる鋭い声が、彼女の耳元で囁いた。探花の衣装のままの星晶が、なぜか相手役を放って燦珠たちのところにやって来たのだ。
「……余裕って?」
眉を顰めた苛立ちの表情でさえ、綺麗で格好良いのは星晶も同じ。そして、彼女が言うこともまた、訳が分からなかった。
けれど、星晶の答えを聞く前に、またひとり、新たな人影が燦珠のもとに現れた。
「燦珠、私のお妃。さっきは可愛かったよ」
霜烈との話を終えたのか、芳絶の艶やかな笑顔が間近に咲き誇っている。うっとりと見蕩れることができれば良かったけれど──星晶と喜燕が纏う空気に、瞬時に棘が生えた気がするから、何だか怖い。芳絶のほうは、刺すような眼差しも憧れの眼差しも、泰然と受け止めているけれど。
「あ、ありがとうございます……?」
「綺麗なお花に囲まれて演じるのは楽しいよね。引き続き、頑張って欲しいな」
先ほどは霜烈に触れていた芳絶の指先が、燦珠の頬をそっと撫でていった。触れられたところが、焼かれたように熱い。
(えっと、花精役への激励のお言葉? なら、分かるけど……!?)
芳絶は、花精を務める舞手たちにも平等に笑顔を向けて、歓声を上げさせている。最初に燦珠の名を呼んだのは気まぐれで、大した意味はないのだろうか。でも──
「余計なお世話かもしれないが、良くないことを考えているかもしれないと思ったんだ。だから、念のため言っておくね?」
「はい」
真剣な面持ちで覗き込まれて、燦珠は背筋を正した。背の高い芳絶が、わずかに身体を屈めて語り掛けるのは、きっと大事なことに違いない。
(まさか、楊太監について何か……!?)
視界の端に、星晶と喜燕も身を乗り出すのを捉えながら、燦珠は芳絶の間近な美貌、その迫力に耐えた。惹き込まれて見蕩れるだけでなく、花弁のような唇が紡ぐ言葉を、聞き逃すまいとして。
「色気とは、身体をくねらせれば出るというものではない」
そうして、囁かれたのは思ってもいないことだった。間の抜けた声が、燦珠の唇から漏れる。
「はい……?」
「変に意識するとかえって動きが歪むから。君の良さを伸ばしていこう。ね?」
言うだけ言うと、芳絶はもう一度微笑んでから燦珠たちに背を向けた。燦珠の頬が羞恥に熱くなったのは、たっぷり数秒経ってから、言われた言葉をどうにか呑み込んでから、だった。
(……バレてた)
(恥ずかしい……!)
どうしようもない衝動に駆られて、燦珠は頭を抱えて天井を仰ごうとした。その拍子に霜烈と目が合って──そして、すぐに顔を背けられたのが、何だか悲しかった。
「何、今の」
喜燕がもう一度呟いた声は、一段と険しさが増して鋭かった。
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