第5話 燦珠、新年を食す
年の初めの十五夜には、
皇宮においてもその倣いは変わらず、新年の慶賀の一環として、
「でも私、
贅沢な望みなのは承知で、それでも
勢い込んだ同意の声が、すぐ傍、同じ高さからふたつ上がる。同じく開脚して、かつ上体を床にぺったりとつけた
「分かる。食感がふわさくで美味しいの」
「踊る時にお腹が痛くなっちゃうかもだけど、食べたい!」
華やかな笑い声がはじけると、秘華園にも日常が戻ってきたようで、燦珠は安堵のような思いを噛み締める。
新年とはいえ秘華園に休みはなかった──というか、新年だからこそ、諸々の祝宴で演じるために
「
「ええ。屋台でよく見かけたりするんだけど……」
ひとり、腑に落ちない様子の
(
懐かしい屋台の味を舌の上に蘇らせたところで、燦珠はふと気付いた。
「……もしかして、後宮ではあんまり揚げ物って出ないのかしら……?」
秘華園で出される食事の質にも量にも、何らの不満はない。三度の食事に加えて、
後宮、引いては名家での暮らしが長そうな星晶に尋ねてみると、麗しい
「尊い方々のご体調のため、ということはあるかも……? 油もの、胃腸には良くないだろうし。特にお菓子は、わざわざ揚げなくても」
「そっかあ」
身体に悪くても食べたいのが揚げ物であり揚げ菓子なのだろうけれど。
(お仕えする身で、我が儘を言ってはいけないわね……)
一介の
いつの日か、皇帝が揚げ物に嵌ってくれたなら。後宮の献立が一変することもあるのだろうか。でも、確かに偉い方々は体調に気を配るべきなのだろうし、何よりあの方が節度を忘れるなんてありそうにないし。となると、里帰りというか市井に下りる機会を待つほうが早いかもしれない。甘味と揚げ物への未練を断ち切って、燦珠は練習に専念することにした。
* * *
数日後──燦珠は、秘華園の奥に位置する
(いったい何の用事なのかしら!?)
訝しみながらも、美貌と美声の人に会うのが楽しみで。燦珠は跳ねるように約束の場所に向かい──
「揚げた
「え──嘘。誰から? 買ってきてくれたの? あ、まだ温かい……!」
これもまたとても珍しいことに、霜烈の姿よりも声よりも、彼に手渡された土産のほうに夢中になった。油紙と、さらに布で包まれてもなお
燦珠の驚きようと喜びように満足したのか、霜烈の口元も綻んでいた。蕩けるような笑みを浮かべた唇が、蕩けるような声を紡ぐ。
「星晶から聞いた。
「うん……ありがとう!」
抱えるほどの
いつもの
「美味しい……! これを食べると新年って感じがするわ! ──ね、楊太監は食べないの?」
つい、ふたつ、みっつと続けて食べてしまいそうで、けれどそれは意地汚くて恥ずかしいから。尋ねてみると、霜烈は笑顔のまま首を振った。
「私は揚げたてをもらったから、良い」
「揚げたて……!」
火傷を覚悟で揚げたてにかぶりつくのも、素敵なことだ。霜烈がそういうことをするのも意外だけれど可愛い気もするし──
(この人が買い食いだなんて、絶対に目立ったでしょうね……!)
屋台の主やほかの客の驚く顔を想像して微笑んだところで、燦珠はふと首を傾げた。
「あれ、太監でも、まだ市井に下りることがあるの? ──と、春節を過ぎても、まだ
「……後宮の中で
「え?」
そっと目を逸らして小声で漏らした霜烈に──ふたりきりなのに──どこか人目を憚る気配を感じて、燦珠は固まった。
「
言われてみれば、
「えっと……天子様やお妃様方のための食材、なのよね? 商売になるほど余るの?」
「なぜか余るらしい」
真顔で呟いた霜烈は、疑問に思っている様子ではなかった。つまり、仕入れの段階で横流し前提の量が発注されている、のだろうか。
「そういうの、良いの?」
「良くはないと思う」
「そう、よね……」
「私も最初はたいへん驚いた」
霜烈がしみじみと述べたのには、非常に含蓄がある。皇子様だった人が、後宮の真っ只中で割と大規模な不正が行われているのを知ったなら、それは驚くだろう。
「とはいえ、貴人には出せない端材もあるのだろうし。厳しく取り締まっては飢える者も出かねないし。宮女や宦官全体の待遇に手を入れるとなるとあまりにもことが大きくなるし──」
だから黙認するしかない、ということになるらしい。秘華園の
「……そこのところ、皆には内緒で分けることにするわ……」
膝に抱えた
「星晶あたりは察していそうだが、そうしておいたほうが良いと思う」
「ああ……星晶も、揚げた
話が繋がった、と思って燦珠は微笑んだ。後宮での密かな商売を知っていれば、そして伝手があれば、好きなものを好きな時に食べることも不可能ではないらしい。華麟を主に
(でも、それなら星晶に渡したほうが早かったんじゃ……?)
謎が解けた、と思った瞬間に、またひとつ謎が生まれたのだけれど。
「そうかもしれない。──そろそろ行ったらどうだ? 今なら冷め切る前に渡せるのではないか?」
「そうね。せっかくだから温かいほうが良いものね……!」
重要な任務を与えられて、燦珠は疑問を胸のうちにしまうことにした。温もりの残る甘い香りを大事に抱えて──立ち上がりながら、笑う。
「本当にありがとう! 皆には、楊太監からってちゃんと言うからね!」
霜烈は、燦珠と並んで歩くことをしない。彼を早く仕事に戻してあげるためにも、急いで立ち去ったほうが良いだろう。
(皆、きっと喜ぶわ……!)
友人たちの笑顔を楽しみに、燦珠は纏わりつく
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