第3話 燦珠、褒美を得る
願うことは、決まっている。燦珠は大きく息を吸うと、腹に力を込めて高らかに宣言した。
「この人を、私にください!」
(……あれ?)
燦珠はすぐに、場の微妙な空気に気付いてしまった。
「……助命を願うだけで良かったのだが……?」
「よく考えるのだ。せっかくの褒美を無駄にしようとしているのだぞ」
激昂して立ち上がっていた皇帝は、怪訝そうに首を傾げながら玉座に戻った。そして、平伏した体勢から上体を起こしていた
(……良い考えだと思ったのに……)
気まずさを誤魔化すために平伏の姿勢に戻りながら、燦珠は伏せた面の影で唇を尖らせた。
「だって。どうせまた屁理屈を捏ねてどこかに行ってしまいそうなんだもの……!」
霜烈が勝手に自らの正体を明かし始めた時、燦珠はものも言えないほど驚いた。そして次に納得した。彼の言動のあちこちに感じていた違和感が、腑に落ちてしまったのだ。
(私になんてことをさせようとしてたのよ!)
彼を死なせる手伝いをしていたのかと思うと、血の気が引く──前に、操られていた怒りで全身が煮え
(絶対にまた唄ってもらうんだから! 私も、見て、聞いてもらうんだから!)
演じ手としても、観客としても。驪珠の渾身の演技を見て育った人を、逃がす訳にはいかないのだ。──だからやっぱり、燦珠の願いは変わらない。決意も新たに、彼女は膝でいざって皇帝に訴えた。
「ほかのものは要りません。
この御方は優しいから、叶えてもらえると信じたかった。足を折られた
「そのように簡単に──」
話の主導権を取り返そうというのか、霜烈はまだ何か言いかけたけれど──
「うむ。確かに何でも、と言ったからな。与えなければなるまい」
「陛下……!?」
力強く頼もしく、はっきりとした快諾の御言葉を聞いて、狼狽えた声を上げていた。正直言って、ざまあ見ろ、と思う。皇帝も燦珠と同じ思いなのか、先ほどまでと打って変わった上機嫌な調子の
「楊霜烈。そなたを
「はい!」
御言葉の後半は、燦珠に向けての説明だった。手厚い心遣いに胸を弾ませて、燦珠は勢いよく答える。次いで聞こえた衣擦れの音と影の動きからして、皇帝は再び立ち上がり、霜烈を見下ろしたようだった。
「秘華園を存続させたいのなら、人任せにするでない。過ぎた贅も、収賄の悪習も許さぬ。そなた自身であるべき姿に監督せよ」
「……私を生かしてはいずれ後悔なさるでしょう」
負け惜しみのような脅しのような呟きを、皇帝は鼻を鳴らして一蹴した。
「くだらぬ疑いに取り憑かれることを恐れるならば、諫めよ。醜聞や陰謀に脅かされることを憂えるなら、
静かで低い声の奥底に、けれど激しい怒りが聞こえる気がして、燦珠は思わず
(そりゃそうよ。なんだかすごく──失礼だったもの)
先ほどまでの皇族ふたりのやり取りは、言葉で斬り合うような緊迫感があった、と思う。それも、燦珠が口を挟む隙を見つけられなかった理由のひとつだった。どこがどう、とは庶民の小娘には上手く言えないのだけれど、たぶん霜烈は相当な非礼を、しかもわざと働いたのだ。
(それでも許してくださるんだから、やっぱり良い方だわ!)
とはいえ既に言質をいただいているから、燦珠は安心して傍観することにした。皇帝のお叱りはまことにもっとも、大事な場所を守るのに、人任せにして勝手に逝くなんて許されないのだ。もっと言ってやっても良いと思う。
やがて──霜烈が詰めていた息を吐くのが、聞こえた。それはたぶん、降参の合図。燦珠の視界の端で影が動いて、彼が深く平伏したのが窺える。
「……不明でございました。身に余る大役ですが、誠心誠意、務めたいと存じます」
「それで良い」
満足げに頷いた後、皇帝はやや声の調子を和らげた。
「最初の務めは
そう──
『あの方に耐えられるのかな』
香雪を貴妃に、という考えは、皇帝にとっても喜ばしいものなのだろう。華やかな席のことを語る声は、珍しくも意外なことに楽しげなものだった。
「そなたは今度こそ
「はい!」
「は──」
元気良く頷いた燦珠に対して、霜烈の相槌の声がやや引き攣ったのは、万寿閣の現状を思い出したからかもしれない。燦珠も直に見て知っているけれど、年単位で放置されていたというあの楼閣を手入れするのは結構な大事業ではないかと思う。
(余計なことを考えないように、しっかり働けば良いんだわ!)
あの大舞台で堂々と舞えるのは、燦珠にとっても光栄なこと。香雪のため、皇帝のために、今度こそ鳳凰の祝福の舞を披露できるよう──そのためにも、霜烈には頑張ってもらうことにしよう。
燦珠と霜烈、それぞれの反応を見下ろして、皇帝は微笑したようだった。双方に対して落ち着け、とでも言うかのように声の調子を改める。
「まあ、練習も準備もしばらくの猶予はあるだろう。──百日少々の後になる。秋の会になると心得ておけば良い」
「百日……?」
どうしてそんなに間を開けるのか、と。首を傾げた燦珠の横で、霜烈が身動ぎする気配がした。そして彼が上げた声は、いつになく硬い。
「服喪の後と、いうことでございましょうか」
後宮で生まれ育った人は、さすがに察しが良いのだろうか。服喪の間は慶事を避けるものと、言われてみれば燦珠にも分かるけれど──
(服喪? 服喪って誰の?)
「そうだ。
祝宴の話は、きっとこれを伝えるための前置きでしかなかったのだ。気付いた瞬間、燦珠は礼儀も忘れて顔を上げ、霜烈のほうを窺ってしまった。
「さようでございますか」
呟いた彼の横顔は彫刻のように整って、かつ平坦なもの。その裡にどのような感情が渦巻いているかを見せてくれてはいなかった。
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