第8話 皇帝、幕を下ろす
今日の
(よくもまあ色とりどりに揃ったものだな)
玉座から見下ろす者たちが纏う
文官の
(腐敗は後宮に限ったことではないのだな)
「そなたたちの願いは分かっている。あの者は既にこの場に召した」
「ご英断、誠にもったいなくありがたく存じます」
言葉だけは
(そのような手口を通してなるものか)
皇帝を脅し、黒いものを白と言い繕うなど。
「ちょうど、
「は……?」
敷物に額を擦りつけた瑞海王の背が、揺れた。顔を上げて彼の表情を窺い、真意を問いたいのに叶わないのはもどかしかろう。あの夜の
「しばし、待て。すべてはあの者が参ってからだ」
色とりどりの袍が、不安によってかさざ波立つのを見下ろして、翔雲は薄く笑った。
ほどなくして、陽春皇子は
「
皇室の系譜を統括する
脅迫でも泣き落としでも、立場が認められれば勝ちだ、と考えているのだろう。王に封じられて領地を得れば、そこを足がかりに勢力を築ける。一度決めたことを覆すのは外聞が悪く、さらなる反発も呼ぶだろうから、と。まったくもってその通り。──だから、偽物の仮面は徹底的に剥ぎ取って叩き壊してやらなければ。
「よく参った」
例によって勝手に従兄弟呼ばわりされた不快感を隠して、翔雲は表面では鷹揚に頷いた。彼の挙動に、平伏した者たちの注意が集まっているのが、ぴりぴりとした緊張として感じられる。
「遠方からそなたを訪ねる客が現れたのでな。会わせてやろうと考えたのだ」
「は──?」
陽春皇子が間の抜けた声を上げたのは、翔雲の機嫌が良いのを不審に思ったのか、それとも客の正体を判じかねたのか。──どちらでも、どうでも良いことだ。彼の隣で、
「
その名を聞いた瞬間に、陽春皇子の喉から声にならない悲鳴が漏れた。平伏した諸官皇族らは、まだ気付いていないだろうが。だが、官位も爵位も帯びないただの庶人が皇宮にいることへの驚愕と動揺が、沈黙の中にも確かに広がっている。
「
「は──」
何を命じるかはあらかじめ言い含めていたとはいえ、ただの平民が皇宮の絢爛と居並ぶ諸官皇族の威容に圧倒されないか、不安ではあった。だが、さすがに名の知れた役者は肚が据わっているのだろう。
「わたくしめは、
平伏した者たちが上げるどよめきに被せて、翔雲は声を張り上げた。
「その不肖の弟子とやらは、そこの者で間違いないか? ──双方、顔を上げよ!」
皇帝の命に応えて、
「お前は……」
「
「で、出鱈目だ!
師の糾弾に対して、陽春皇子──
「陽春殿下は、役者に身を
瑞海王も、必死に抗弁を試みるが──
「
許しなく顔を上げ、発言までした無礼に、翔雲はさらなる証拠を突き付けて報いてやった。詐欺師ふたりの顔が紙の色に漂白されていくのを見て、近ごろの鬱憤がようやく少しだけ晴れる。後ろに額づいた者たちが平伏した姿勢が許す限りで目線を上げ、様子を窺おうとしているのも見てとれるが──こちらの無礼は、まあ大目に見てやろう。
「
翔雲に睨め下ろされた
「俺は……私は!
蒼白になって震えながら、それでも最大の庇護者にすぐに思い当たる狡猾さはさすが、なのだろうか。とはいえ皇太后に口を挟ませると面倒になるのは分かり切っている。翔雲は有無を言わせず刑吏を呼ぼうとしたのだが──
「あ、あの。
歪んだ鞠のような体形の
「後にせよ」
「いえ!
翔雲が短く吐き捨てたのに被せて、瑞海王が喜色に満ちた声を上げた。皇帝と皇族の間でおどおどと視線をさ迷わせることしばし──隗太監は、肥えた身体を投げ出し、床に口づけるような態勢で奏上した。
「陽春殿下の陵墓を建てるように、と……」
弱々しくくぐもった宦官の声が立ち消えた後、沈黙が降りた。誰もが声もなく表情も動かさず固まっている。顔を顰めて宦官を見下ろす翔雲も
(
戸惑いの後に、翔雲はようやくそう了解した。陵墓は、言うまでもなく貴人の霊を安らがせるためのもの。陽春皇子を偽物と認め、死罪はやむを得ぬことと受け入れた上で、せめて丁重に弔えと言うことなのか、と。その上で、了承できることではとてもなかったが。
「馬鹿げたことを。大罪人の死体は埋葬を許さず打ち捨てるものだ」
「あの、いえ……そうではなく」
隗太監の顔から滴った汗が、敷物に染みを作っていることに気付いて翔雲は眉をいっそう顰めた。そもそもさして信頼していない宦官だが、重大事を扱う場に割って入ったことくらいは分かるだろうに。この歯切れの悪さは何ごとか。だが、翔雲が咎めるよりも隗太監が再び口を開く方が早かった。
「その、
聞けば、言いあぐねるのも当然の荒唐無稽な話ではあった。だが、だからこそ皇太后が言ったのだろう、と信じられる。裁きを妨げようとして思いつけることではないし──そもそも、隗太監は翔雲が帝位にあるのを疎んじているのだろうに。
どういう訳か、皇太后は突然に目を醒ましたのだ。愛した皇子を死んだと認めた。ならば、もはや偽物が顧みられるはずもない。
「私はまだ生きている! ここに、こうして!
もはや陽春皇子の仮面を完全に剥ぎ取られた
「ひどくお嘆きで取り乱しておられるとのことで……誰にもお会いになりませんでしょう」
「馬鹿な……」
その呟きには、翔雲も心から同意するが。皇太后の思い違いさえなければここまでの大事にはならず、皇太后を憚っての手ぬるい取り調べにずっと歯噛みさせられてきたというのに。今になって突然目を醒まされても反応に困るというものだ。ただ──これで不快極まりない茶番劇に幕を下ろすことが、できる。
「この者は罪人として取り調べる。異存がある者は申し出よ」
徒労感に
前途に待ち受ける面倒ごとを思って苛立つ翔雲は、心中で唸る。
(
そんな都合の良いことが起きるとは信じがたい。皇太后は何かを見間違えたに違いない。たいそう美しく、
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