六章 権謀術数、饗宴を為す
第1話 星晶、密かな願い
なお、皇帝と
そして、朝の早さは秘華園においてもさほど事情は変わらない。
無言の掟が支配する後宮の通路から、
そんな中で、燦珠たちが求める相手を探すのは簡単だった。
稽古を中断させる非礼を詫びてから、燦珠は昨夜あったことを報告した。偽の陽春皇子が語る出自のこと、役者崩れならば彼女の父の人脈で身元を辿れるかもしれないこと。
(星晶は──
謝貴妃
「──という訳なので、
陽春皇子を偽物と断じる隼瓊は、彼の機嫌取りに
(でも、理由があれば話は別、よね……!?)
「それはできない」
例によって年齢を感じさせないすらりとした
「え──」
にべもない返事に一瞬だけ絶句してから、燦珠は慌てて食い下がった。真意がちゃんと伝わっていないのか、あるいは実力が足りないと思われていないのかと疑って。
「あの人のために唄ったり舞ったりする訳じゃないんです。あくまでも、情報を集めるためで……! あの、私じゃ色気が足りないですか……? 何か、演じてみますか!?」
後宮内での移動にあたって目立たないように、今の燦珠は娘らしく短い対襟の
舞踊には向かない格好ながら、説得に必要ならと腕まくりをしようとした燦珠を、けれど隼瓊はそっと手を伸ばして止めた。
「そのようなことは──多少は、あるが。そなたは男の気を惹くつもりで舞ったことはないだろうから。だが、そなたならばそのように演じることは難しくないだろう」
技量を認められたことにひとまず安堵しつつ、許可が下りない理由を判じかねて燦珠は首を傾げた。残る理由として考えられるのは──彼女の身を、案じてくれているのだろうか。
「危険も、承知の上です。悪いことに芝居を利用しているなんて……!
「そう……誰も、可愛い娘たちを
燦珠の考えは、半ば当たって半ば外れていたようだった。隼瓊は、危険を軽視してはいないけれど、必要なことだと理解してくれている。
「陽春は、本当に利発で愛らしくて……。皇后様の膝にいても、
……それに、整った唇の間から漏れる呟きは、こんなに悔しそうなのに。彼女にとっては、これはただの陰謀ではない。亡くなった子供の死体を掘り起こして操り人形に仕立てるようなひどい侮辱のはずだ。
「じゃあ、どうして──」
「そなたは目立ちすぎている。選考の時も、《
「え、そうなんですか!?」
焦れて、地団太を踏みかけていた燦珠は、思わぬことを聞かされてきょとんと目を瞬かせた。
(うーん、《
いつもの稽古も見られているなんて気付いていなかったし、そもそも想像だにしていなかった。まあ、それくらいなら燦珠だって父の弟子たちに対してしていたし、隼瓊にしても咎めていなかったのかもしれない。
でも──それなら確かに、彼女の面は割れている、のだろうか。
「陥れるまではいかずとも、競争相手は気になるものだ。──だから、そながた
「あの、では私が行きます。私なら、燦珠ほどは目立っておりません」
喜燕がすっと手を挙げると、隼瓊は彼女の顔をしげしげと眺めてから軽く頷いた。
「そうだな。喜燕ならまだ安心かもしれぬ。あるいは、信頼できる子を選んで声を掛けるか──」
「でしたら、私ではいけませんか?」
でも、この場にはもうひとり聞いている者がいたのだ。涼しげな声がさらりと割って入るまで、きっと誰もが忘れていたのだけれど。だって、宴席で男に取り入ろうという話題だから、彼女を意識していなかったのも無理もないはずだった。
「星晶……! でも、貴女──」
「私も、女だよ? こんな
髪を男の
一応は内密の話を憚ってか、少し離れた場所に下がっていた星晶は、長い脚を踏み出して隼瓊の前に進むと、首を傾げた。
「私が女の姿をすれば、誰も気づかないのではないでしょうか」
「それは……そう、かもしれぬが。
しきりに瞬きをした隼瓊は、星晶が女装した姿を思い浮かべようと苦労していたのだろうか。燦珠も同じ思いだったから、混乱するのも分かる気がする。
初めて出会った時以来、星晶はあまりにも自然に格好良かったから、つい、本当の性別を忘れてしまう──というか、彼女は単純にひたすら綺麗な存在で、男とか女とか考えていなかった、というほうが正しいだろうか。
「説得します。たっての願いだと、おねだりすれば聞いてくださると──寵愛に
とにかく、晴れやかに笑う星晶は、これまで見た中でも一番綺麗な表情を浮かべていたかもしれない。
きっと、彼女だって芸が無力であることに悩んでいた。主の表情を本当に晴れさせることができないのを、憂えていた。だから、できることがあるかもしれないと知って奮い立ったのだろう。
「私だって、一度は女を演じてみたいと思っていたんです」
あるいは、頬を染めて悪戯っぽく呟いたのが本音なのか。いずれにしても、またとない心強い味方が現れたのだ。
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