第7話 絶演、心を酔わす
我与君生別離、各在天一涯 生きながら君と別れて
希望君也在仰望同様的月辰 君もこの夜空を見上げているだろうか
彼女が演じる
夫への想いを胸に、神に捧げる舞は
派手な跳躍や速い回転もないけれど、だからといって楽だとか簡単だとかいうことは、決してない。
ゆるゆると足を運びながら、常に
在夢中抱着君、醒来識到孤臥 夢で会えても目覚めればひとり
不敢悲哀 けれど嘆くことはない
遠離戦戟君在笑容 君は健やかに微笑んでいるのだろうから
留まることなく流れる
頭上に大きく弧を描いては、天への切なる祈りを示し、螺旋のように身体に絡みついては忍び寄る不安と怖れを表す。さざ波のように揺れ──時に希望を見出しては、綻ぶ
喜燕の
在天比翼在地連理、無義無値 死して結ばれることに何の意味があるだろう
何当迫伏夷狄、再将回去到君 いつの日か敵を下し君のもとへ還ろう
最後に──ひと際大きく高く、背を反らせながら
その場に膝をついた燦珠の左右に、
* * *
舞い終わって、
肉の脂と、
きっと、ずっと
あるいは、観客のほうも、演者と同じくここにはない情景を見てくれていたのだろうか。ほう、と。皇帝が漏らした溜息が、舞の後でただでさえ高鳴る燦珠の心臓を跳ねさせた。言葉にならないその吐息に込められたのは、果たして満足なのか落胆なのか──
「芝居とは──
「あの……お気に、召しませんでしたでしょうか……?」
皇帝の第一声を聞いて、
「そのようなことはない! 見事な舞、見事な
「
少し異なる響きの衣擦れの音は、皇帝が香雪を抱き寄せでもしたのだろうか。何しろ
皇帝のお気に召したようなのも、ふたりが仲睦まじいのもとても素敵なことだけれど──ただ、少しだけ気恥ずかしい。
「俺も、弱気にはなっていたのだろうが。歌舞にこうも酔わされたのは初めてのことだ。そなたらは誇って良い」
自身を指すのに砕けた人称を使った皇帝は、確かに上機嫌のようだった。そう、確かめられて安堵しながら、燦珠はいっそう額を床に近づけ、感謝の意を示した。
(やった! やった! 認めていただけた! 酔わされた、なんて──最高の御言葉だわ!)
礼儀に
本当は飛び跳ねて喜びを露にしたいところだけれど、今は我慢しなくては。彼女たちはまだ、皇帝の言葉を賜る光栄に浴しているのだから。
「そなたらは清冽な味わいの美酒であった。
隼瓊や
彼女自身と喜燕の芸に対してだけではない、
けれど、酒杯を傾けたらしいわずかな間の後、皇帝は声を低く険しいものに改めた。
「だが、溺れる者にとっては酒は害悪だろう。さらには、その酒に毒を注ぐ者もいる」
皇太后の目を
(一緒にされちゃ困るわ……!)
せっかく
「
「さ、燦珠……」
許しを得ずに皇帝の御前で発言する不敬に気付いたのは、喜燕の震える声を聞いてから、だった。
直言ばかりか、声を上げた拍子に燦珠は顔を上げてしまっている。皇帝と、彼に寄り添う香雪が目を丸くしてこちらを見下ろしているのがなんとも気まずかった。
たぶん、こんな暴挙をしでかす者を、この方々は見たことがないのだ。
(ど、どうしよう……)
平伏し直して寛恕を乞うべきとは分かりつつ、燦珠が動けないでいると──皇帝は、苦笑を浮かべつつ軽く手を振った。
「良い。顔を上げよ。ふたりともだ」
言われて恐る恐る身体を起こした喜燕が、恨めしげにこちらを横目で睨んだのが視界の端に見えた。
燦珠は二度目になってしまったけれど、天を戴く御方のご尊顔はそうそう直視するものではないのだろう。道連れでとんでもない不敬を働くことになってしまった、と抗議されている気がした。
娘ふたりの顔をしげしげと眺めて首を傾げる皇帝は、間近で見ると整った容姿をしているとしみじみ思う。
霜烈の妖艶な美貌とは種類の異なる、精悍で爽やかな──
「ふむ、では、そなたらは
皇帝の下問は、燦珠たちを試すものだった。
「陽春皇子」を推したほうが得ではないのか、と。
今の皇帝を退けるということは、彼のやり方が気に入らないということであって──だからきっと、陰謀が成功すれば、これまで通りに芝居を収賄に利用し続けられるのだ。
だから
誰も皇太后に真実を告げようとはしないのも、怒りを恐れるからだけではないだろう。あえてあの方の誤解を深めるようにしている者も多いはず。阿片の酒とは、そういうことだ。
(一緒にされちゃ、困るのよ……!)
先と同じ言葉を胸の中で繰り返してから、燦珠は居住まいを正し、口を開いた。
「
客が役者の出来をあれこれ言うのと同様に、役者だって客を選ぶのだ。嫌な客に無理強いされれば、燦珠の父の
香雪のため、ひいては皇帝のために後宮に入っておきながら、皇子の偽物に芸を見せることなどできるはずもない。
「わ、私は──芸なくして
卑しい、だなんて自らを貶める辺り、彼女の
「なるほど」
「そなたらの言葉を聞かねば、
皇帝が目を向けた方角は、東。その先にある
放蕩を尽くす彼の姿を見ても皇太后の夢は醒めないのか、あるいは、誰もが「我が子」の帰還を祝ってくれていると、信じて疑っていないのだろうか。
「
「皇后の位にありながら御子を得られぬことも、我が子同様に慈しんだ御方を失うのも、耐え難いことと存じます……」
燦珠の目に映る皇太后は、ただの
香雪が声を落としたように、皇帝が哀れみの表情を浮かべたように。
たとえもっとも高貴な女性だろうと、
憂いを帯びた表情の香雪を抱き寄せて、皇帝は頷いた。
「うむ。だからこそ許せぬと、改めて思った。役者上がりの
「あの」
皇帝の言葉を遮るのもまた、とんでもない不敬なのだろう。でも、そうと分かっていても、燦珠はその罪を犯さずにはいられなかった。皇帝が言った中に、聞き捨てならない単語があったからだ。
「あの人は、役者だったんですか……!?」
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