第6話 燦珠と喜燕、千里を越えて
皇帝の寝殿である
当然のことながら、
「
失礼な感想はともかくとして、燦珠は喜燕と声を揃えて拱手の礼で応じた。
「はい」
皇帝は、今宵は香雪を召し、香雪は
とはいえもちろん、武器を隠し持っていないか、喜燕が舞で使う双剣は確かに芝居用の作り物であるかは念入りに
「着替えと
身体検査が終わって、
その言葉と同時に、黒衣の宦官たちがすっと動いたのは、先導してくれるということだろう。控室というのか、楽屋というのか──とにかく、しかるべき場所へと。
「……
ふたりの背を、隗太監の不思議な高さの声が追いかけてきた。
そうだ、先帝の御代ならば、夜ごと
太監は単に往事の華やかさを懐かしんでいるのか、それとも秘華園に集まる利権を欲しているのか──燦珠には分からない。
分かるのは、太監が言ったのが余計なお世話だということだけだ。
「気負わせなくても良いじゃない、ねえ!」
「ね。でも、燦珠はかえって燃える
対して、
「まあね。喜燕は、大丈夫?」
けれど、燦珠に応える喜燕の微笑は、余裕たっぷりのものだった。しかも、力強く頼もしくもあって、格好良い。
「
「じゃあ、私の
今宵のふたりの舞は、香雪から皇帝への贈りものなのだ。あの御方の真心を、難局にある皇帝に伝えるための。ならば、彼女たちが見つめるのは相手役のさらに先、観客でもある。そう、分かるように演じなければ。
燦珠と喜燕は微笑み合って、力強く頷いた。
* * *
空が完全に闇に染まったころ、燦珠と喜燕は、
庭園を望む比較的大きな房室は、本来は私的な宴会に使うものだろう。けれど、ここ百年ほどは、もっぱら
吉祥の模様を描いた透かし格子からは、月と星に輝く池の水面の煌めきと、春を盛りと咲き誇る花の香が入って来る。室内の装飾も、もちろん贅を凝らした煌びやかなもの。四方の壁面は四季折々の美が精密に描かれて、いかなる季節の席にも相応の興趣をもたらすのだろう。
不遜を恐れてほんの一瞬しか目を向けることができなかった天井でさえ、金銀で彩られた瑞獣と瑞鳥の装飾が縦横に飛び交っているようだった。
けれど──絢爛豪華なこの
「そちらの娘は初めて見るな。
「はい。喜燕と申します。軽やかな舞が得意で──
皇帝の声を聞くのはこれで三度めだ。これまでで一番柔らかく穏やかに聞こえるのは、やはり香雪がいるからだろう。
香雪が皇帝の
「先日の舞は──予定になかったのだろう。練習の成果を見せられぬのでは、
「もったいないお心遣いでございます。あの……わたくしからの捧げものでもございます。どうか、お気に召しますように」
「うむ、楽しみだ」
香雪の言葉に、皇帝は優しく頷いた。
燦珠の衣装のことも覚えてくださっているらしいのは驚くし、とても公正な、ありがたい御言葉ではある。けれども楽しみだというのは誇張だろう、と燦珠は推し量る。
寵姫からの贈り物だから嬉しいのであって、歌舞を楽しみにしている訳ではないのではないか、と。
(見せてやろうじゃないの……!)
香雪だって、教養溢れるお嬢様、なのだ。書画や詩歌で想いを伝えることもできたはず。それでも燦珠と喜燕に頼ってくれた──
「
「互いの
「はい!」
声を揃えて応えてから、燦珠と喜燕は立ち上がり、それぞれの配置についた。
喜燕が
《
最初は無音の中で、喜燕が──彼女が演じる
二本の剣を重ねて右手に掲げ、
銀に塗られた剣身が三日月のような閃光を描き、柄を飾る黄色の房が躍る。戦況が激しくなるにつれて動きも速く、激しくなり──奮戦する夫を、彼方の妻の
我与君生別離、各在天一涯 生きながら貴方と別れて
希望君也在仰望同様的月辰 どうか貴方もこの夜空を見上げていますように
喜燕が演じる
銀の剣身が一閃するたびに敵を斬り倒していくのが観客にも見えるだろう。
一方で、伴奏たる燦珠の──
君在睡覚、在戦斗 貴方は眠っているの、戦っているの?
也許在想我 私を思ってくれているかしら
即使相隔幾千里 彼方の距離を越えて
我一直想着君 いつも貴方の無事を祈っています
何度目かの回転の瞬間に、喜燕はこれまで片手に束ねていた双剣を、両手に持ち替えた。
観客を驚かせたことで力を得たのか、喜燕はひと際高く跳び、
敵を薙ぎ払い──反撃を剣先を地について耐え、そこから斬り上げながら、
通宵達旦我唱我舞 夜を徹して舞い、踊りましょう
以便嫦娥作為祭品 月の女神への捧げものとして
以便君免受任何害 貴方に加護がありますように
燦珠の声が細く高く歌い上げ、喜燕が双剣を構えて
これで、《
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