第7話 喜燕、密かな初舞台
ほとんど即興で舞台に向かう
燦珠の
そして、
(直前で曲まで変えるのは確かに危うい……だから、燦珠の言う通りにすれば最小限の変更で済むのかもしれない、けど……!)
直前で振付を変えた燦珠に、変更は比較的少なくしたとはいえ、その相手役と合わせなければならない星晶に。歌詞は小娘三人が頭を寄せ合って考えたもの。
さらには、皇帝や皇太后の御前で、失態が許されない場面なのに。
衣装を損ねた者たちへの怒りによってか、ふたりとも気力というか闘志満々の面持ちだったけれど。果たして上手く行くのかどうか──祈ることしかできない身が、もどかしくてならなかった。
ひとり楽屋に取り残されると、燦珠の憤りの叫びがじわじわと喜燕の胸に刺さっていく。
『それでやるのが足の引っ張り合いだなんて馬鹿みたい。みんな──もっと真面目に
燦珠の傍についてからというもの、喜燕は夜も眠れぬほどに思い悩んできた。
でも、それは彼女が言うところの足の引っ張り合いのためでしかなかったと、気付かされてしまったのだ。
(私は──
きっと、
汚い手段に訴えようと思いついた時点で、喜燕は役者として負けたのだ。
そう教えられたのだからしかたない、だなんて言えるはずがない。
燦珠に薬を盛らなかったことを、誇れるはずもない。
追及する時間がなかっただけで、燦珠は喜燕の悪意に気付いたのだろうし、巡り合わせによっては燦珠の舞台を台無しにしたのは彼女だったのかもしれないのだから。
損なわれた衣装で、それでも胸を張って舞台に臨む燦珠は、眩しかった。同じくらい輝かしく、なんて望まない。どうすれば、せめてあの眩しさを直視できるのだろう。
唇を噛んで、考え込む──喜燕の脳裏に、ある考えが閃いた。
(今の秘華園は間違っている……なら──)
正さなくては。舞台に立つことができない、役者の資格もない喜燕にもできることはあるだろう。
* * *
喜燕はまず、衣装を保管する倉庫に走って、使う予定もないのに消えているものを確かめた。そのうえで、深刻な表情を装って
「ねえ、《
「え、どうして……?」
「うちの燦珠様の衣装が、ね。それで落ち込んでしまわれて」
少しでも燦珠を知っている者なら信じるはずがない出鱈目を聞かされて、けれど
同時に、
「だけど、大事な日に穴を空ける訳にはいかないでしょう」
声を潜めて、周囲を窺って。いかにも身を乗り出して聞きたくなるような加減にできたと思う。
「だから、ね? 星晶様だけでも、お得意の演目でどうにか、って──」
鳳凰の羽根を
種を撒いた後、喜燕は燦珠の隣の星晶の楽屋で待った。いくつかの演目の調べや客の歓声を遠くに聞くことしばし──扉が、勢いよく開かれた。
慌ただしい足音と共に飛び込んできたのは、甲高い声と色鮮やかな
「星晶! 大変なことになったわね! でも大丈夫、私が──」
ただ、声は先ほど彼女を突き飛ばした者のそれだったかもしれない。とにかく──
「今日はそなたの出番はないはずだが。なぜそのような格好を?」
もちろん星晶は、とうに燦珠と共に舞台袖に向かっている。
空いた楽屋で待っていたのは、
「それは──あの」
隼瓊が今日演じたのは
正義を表す黒い
──では、実際に身に覚えがある者ならどうだろうか。
「星晶の相手役が急に出られなくなったと聞いたから……だから、代役を」
飛び込んで来た時の喜色満面の体から一転して、その
哀れな様子、なのだろうか。けれど、燦珠の心中を思うと喜燕は同情する気にはなれなかったし、隼瓊の声も眼差しも、氷の刃のごとくに冷たく鋭かった。
「そう。衣装が損なわれたのだ。何者かによって。……ずいぶんと手回しが良かったな?」
まるで準備して待ち構えていたようだな、と。隼瓊の言外の言葉は、彼女の
「わ、私がやったと仰るのですか!?」
血の気を失っていた
「その
確かに、声を聞いたと言っても証拠にはならないだろう。そもそも、喜燕はこの女が衣装を損ねた現場を見てはいない。ただ、隼瓊の心証を悪くすることで牽制になれば、と思っただけで。
話の流れによっては、喜燕のほうこそ他人を陥れようとしたことにされかねなかったのは承知している。ただ──
「あの」
この
「私が燦珠の
ここは星晶の楽屋で、隣にいるのは隼瓊なのに。
「それは……っ」
もちろん、それも十分に弁明が可能だった。たまたまそう思い込んだだけだと、言い張ることもできただろう。
でも、そうする代わりに、その
「……熱意が余ってのことでした。
だから、燦珠の衣装を損ねたのか。あるいは、だから代役の可能性に駆けつけたのか。
自白とも言い訳ともつかないもの言いに、
「そなたを演じさせなかったのは相応の評価だと弁えよ。事故であれ故意であれ──欠員が出たからといって代役が務まるなどと、勝手に判断してはならぬ!」
「……は、はい……」
泣き落としが通じないのを察したのだろう、その
その無様な姿は喜燕の胸に痛みを覚えさせた。哀れみというか、恐れによる痛みだった。ひとつ間違えば──燦珠に会わずに秘華園に入れてしまっていたら、自分もああなっていたのではないか、という。
(ううん、私はもう、あいつと同じだ……)
演じたかったから、だなんて。他人を陥れる理由になりはしないのだ。すでに
「……
「燦珠も、自分の油断だと言っていました。それに──衣装がなくても、ちゃんと演じていると思います。あのふたりならきっと、大丈夫……あの、
伝授した隼瓊に無断で振付を変えたのは、叱責されるべきことだったかもしれない。隼瓊自身も出番があったから、許可を取る時間がなかったのも事実なのだけど。
燦珠と星晶のため、喜燕は必死に言い募った。そんな彼女を、隼瓊は興味深げな眼差しでしげしげと眺めて、問うた。
「《
「あの……趙家に仕える……
「ああ……」
喜燕が師事したあの老女は、かつて秘華園の
けれど、経験豊かな
「あの御方がそなたのような子を育ててくれるとは意外なこと。でも……嬉しい出会いになった。燦珠のためにも星晶のためにも、礼を言う」
「そんなこと……!」
けれど、隼瓊の手は素早く、そして力強く喜燕の腕を捕らえて引っ張っていた。
「では、急ごうか」
「え?」
どこへ、と。言葉にならない疑問を読み取ったのだろう。隼瓊は、今度は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「私に相談もなしで、あの子たちが何を企んだものやら──今なら、まだ間に合うだろう」
舞台の袖に向かおうと言われているのだと気付いて、喜燕の心臓は跳ねた。
そうだ、ふたりの順番が来る前に、ということであの
(燦珠たちの舞……見たい! 見なきゃ……!)
たとえ何もできなくても、心臓が破裂するような思いをするとしても、友の晴れの舞台は間近で応援しなければ。
「はい……はい!」
叫ぶように頷くと、喜燕は隼瓊と共に走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます