第7話 妃嬪同士、女の友情?
そして
舞台の背景がそのまま実現したかのような光景に、
(池を望む高台に、月見の
華麟は
古の美姫が蘇ったかのように、華やかに微笑んで燦珠と香雪を迎える彼女の横には、
「練習ばかりで
「お招きいただき、お気遣いいただき、ありがとう存じます、
もちろん、当世風に
「華麟と、名で呼んでちょうだい。──わたくしも、香雪様とお呼びして良いかしら」
「もちろんでございます。光栄に存じます」
「もう、堅苦しいんだから」
和やかな会話が交わされる卓に並ぶのも、庭園同様に精緻に整えられた、手の込んだものだった。
生きたような花鳥が細やかに描かれた茶器からは芳しい香りが立ち上る。えんどう豆の餡を練って固めた
市井にもある菓子も、こうなると宝石でできた装飾品に見紛うほどだ。
「燦珠が星晶の
そんな、触れるのがもったいないような菓子を無造作に摘まみながら、華麟は香雪に微笑んだ。少々怖い話の切り出し方では、ある。
(これは……寵愛争いという、やつ!?)
香雪は燦珠のことを気に懸けてくれるし、
燦珠が見聞きする限り、香雪への皇帝の寵愛は確かに篤く、三日とあけずに皇帝の寝殿である
「そのような──畏れ多いことでございます。わたくしは……あの、たまたま一時だけ
「安心なさって。わたくしは、毎日のように
頬を強張らせた香雪に、華麟は実に羨ましいことを言って華やかに微笑んだ。ちらりと星晶に送った視線の熱さを見れば、説得力もある。
「
今日の席の主題は、妃嬪同士の交流だ。
だから、華麟の言葉に微妙な含みがあるのに気付いても、燦珠はあえて尋ねようとは思わなかった。それに、気になる話題でもあるし。
(私、
「香雪様がいてくださって、わたくし、安心しているくらいなの」
密かに身構える燦珠にはおそらく気付かないまま、華麟は朗らかに笑う。香雪の不安を吹き飛ばそうとでもいうかのように。でも──彼女のぱっちりとした目は笑っていないような気がしてならなかった。
「陛下も素敵な方だけれど、星晶のほうがずっと素敵だもの。……気になるとしたら、陛下が秘華園をどうなさるか、ね」
華麟は、皇帝に近しい香雪に探りを入れているのだ。
(……天子様は、
香雪の気遣うような視線が、燦珠と星晶をそっと撫でた。小さく形の良い唇が、躊躇いがちに、開く。
「陛下は……燦珠を合格させてくださいましたわ」
「ええ、それが良い兆候であればと願っているの。陛下は、秘華園を無駄だと思っていらっしゃるようなのだもの」
精いっぱい言葉を選んだらしい香雪の答えは、華麟を納得させるものではなかったようだ。仕える御方が問い詰められる気配を察して、そして、聞き捨てならないことを聞いて、燦珠は思わず声を上げる。
「──私は、天子様に
怯えを含んだ香雪に、好奇心を帯びた華麟、純粋な驚きを湛えた星晶。
三人三様の視線に貫かれて、燦珠は少したじろいだ。霜烈相手には啖呵を切ってみせたけれど、それは彼なら
「あの、あんまりご存知なくて嫌われているなら、実際に見ていただければ違うんじゃないかと、思ったので……!」
言い終えると、その場の空気はふ、と緩んだ。大言壮語も過ぎると、咎めるよりは呆れるような気配が勝るのかもしれない。驚きから立ち直ったらしい星晶が、くすり、と控えめな笑みを漏らした。
「燦珠は野心家だね。私は……そこまでの覚悟も気概もなかったかもしれない」
「星晶はあんなに格好良いのに。天子様の御前で演じたことがないの……?」
目を瞬かせる燦珠の疑問に答えてくれたのは、香雪だった。
「陛下はお忙しいから。ご即位以来、季節ごとの後宮の行事も祝宴も、規模を抑えられていると仄聞しておりますが……?」
「そうね。わたくしの星晶を自慢したいのにつまらないこと」
寵愛よりも
「でも、だからこそ《
「皇太后様は、あの
驪珠の伝説の舞台は、先帝の六十の賀の折のものだという。ならばその折に絶賛したという皇后が、今の皇太后なのだろう。強敵の予感に拳を固めて応じると、星晶も大きく頷いた。
「たいそう目の肥えた御方であるのは間違いない。けれど、
「……なんで? 驪珠は、
でも、またも疑問が生える。華劇を愛する御方が優れた
「ああ──驪珠は、文宗様のご寵愛を受けて皇子を儲けたのよ」
「え──」
目を見開いた彼女の顔がおかしかったのか、驚かせたのに満足したのか、華麟は楽しそうに華やかな笑い声を上げた。そして、夢見るようなうっとりとした眼差しで、続ける。
「天子たる御方が、軽々に妃嬪以外を召すのは、本当は感心できないのかもしれないけれど。でも、驪珠がそれだけ美しかったということでしょう。容姿も、舞も。皇太后様がお許しになったほどに」
つまりは、夫の心を奪い、子まで生した女を許したからこその公平さ、ということらしい。それはそれで素晴らしい寛容さでは、あるかもしれないけれど──
「燦珠も、ご寵愛なんてどうでも良いと思っているようね」
「そうですね、私は
観客として以外の皇帝になんて興味がない。寝所に呼ばれるくらいなら練習させて欲しい。
……そこまでは、言わなかったけれど。香雪に問われるがまま、正直すぎる本音を漏らしてしまったことに気付いて、燦珠は慌てて両手で口を塞いだ。でも、香雪は儚くも美しい笑みを湛えて首を振る。
「良いのよ。そう……多くを望んではいけないのは分かっているけれど、華麟様や貴女のように、眩い方々ばかりを見ると、不安になって、しまうから……」
恋慕と羨望と、希望と不安と。切々とした想いがこもった香雪の声も表情も、
「香雪様は、陛下をお慕いしているのね」
「出過ぎたことでございます。でも……ええ、はい」
頬をほんのりと染めながら、小さく──けれど、確かに頷いた香雪の恥じらいもまた、愛らしく健気な美しさだった。絶対に演技としてものにしたい、と。燦珠は目に焼き付けようと息を呑んで見つめる。
「そんなこと……! 香雪様はお綺麗で清廉な御方。陛下のご寵愛も納得というものよ。さらに加えて皇太后様の覚えがめでたくなれば、誰も
「そう、でしょうか……」
「そうよ!」
香雪の姿は、きっと華麟の目にも好ましく映ったに違いない。この御方なら、香雪を題材に新しい演目を作らせさえするかもしれない。新参の嬪を慰め力づける貴妃の声は、偽りなく真摯なものだと聞こえた。
「だからね、後宮での振る舞いもわたくしが教えて差し上げる。
団扇を放り出して、華麟はそっと香雪の手を握った。恐らくは皇帝への想いとは違う理由で、香雪の頬がより紅く染まり直す。
「もったいないお心遣いでございます。お恥ずかしいことですが、わたくしの実家は財力も
「それも立派なことよ。だからこそわたくしも仲良くしたいと思ったの」
華麟は、香雪の手をよりいっそう力をこめて握ったようだった。妃嬪同士で見つめ合う形になって──そして、華麟の艶やかに紅を差した唇が、囁く。
「──見事な演技を見せれば、
「それは、あの」
香雪が──傍で聞いている燦珠も──目を見開くのを余所に、華麟はどこまでも晴れやかに微笑み、首を傾げる。
「お父上は
華麟は、
(そりゃ一族の娘を貴妃にしておきたいはずね!?)
心の中で叫びながら、世事に疎い燦珠もさすがに察してしまう。
祝儀とやらが、純粋に演技に対して贈られるだけのものではあり得ないこと。どの
そんなことが、今までまかり通っていたのだとしたら──
(そりゃ秘華園も嫌いになるでしょうね!?)
貴妃に対して
「わたくしね、陛下のことも心配ではあるの。
その言葉も、たぶん嘘ではないのだろう。華麟は、本当に優しい御方では、あるのだ。そしてだからこそ、皇帝は案じられるべき状況にいるのだと突き付けられた気がして、燦珠の背に冷や汗が伝う。
「わたくしたち、ずっと仲良くしましょうね。……何があっても」
念を押すように微笑む華麟がどんな事態を想定しているのか──考えるのが、怖かった。
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