第6話 燦珠、友達が欲しい
温かい湯に浸かりながら、
一天四海一望無翳 見渡す限りの四方の海に影ひとつなく
満風受翼飛高到天 翼は風に乗って空高く舞い上がり
万里遥遠翼翻一動 千里の彼方もひとっ飛び!
星晶と演じることになった《
題材に沿った雄大な詞を舞と合わせると、本当に空を飛んでいる気分になるからとても楽しい。だから、練習を終えて汗を流している時でも、その爽快さの余韻に浸りたくなってしまうのだ。
(声域も広がったんじゃないかしら!? 前よりも高い声で唱えてる……!)
その星晶と組むためには燦珠はさらに高い声を出さなければいけないので、舞と同様、
(あの人が言っていた通りね)
父の説得に、
女が演じる男をより男らしく見せるには、より可憐で
実際、星晶と練習を始めてから、
実家では考えられない大きな
「──燦珠様。お召替えをこちらに置いておきます」
「え、ええ。ありがとう……!」
盛大に
「お召しになったらお髪を整えますので。外で、お待ちしております」
順番を気にしなくても良い快適な湯浴みの時間を、燦珠が中断したのは──着替えを差し出して平伏する
本来なら同じ目線で話すべき相手を見下ろす気まずさに、燦珠はまだ慣れないでいる。
「う、うん。すぐに上がるわ」
その少女は、燦珠に何も言わなかった代わり、着替えの一番上で艶やかに輝く
燦珠が合格を勝ち取ったあの日──皇帝の出題がもっと優しいというか易しいというか、分かりやすいものだったら、彼女も翡翠の花を得ていたのかもしれない。それを思わずにはいられないのだろう。
燦珠につけられた
* * *
実家にいたころも使用人はいたけれど、もちろん彼女の専属ではなかった。燦珠自身が、家事や舞台の手伝いに奔走することも多かった。
だから、年配の女性を使う立場になったらきっと居心地が悪かったことだろう。でも、同じ年ごろの少女ならそれほど気兼ねはいらないし、あわ良くば仲良くなれるかもしれないと期待したのだ。
『喜燕! 喜燕、だったわよね。試験の時に会った! 良かった、私、何も知らないでここに来たから──』
友達が欲しくて、とか。話し相手になってくれたら、とか。燦珠はそんなことを言おうとしたはずだ。同じ時に試験を受けた、いわば仲間を平伏させる申し訳なさに、手を差し伸べて立たせようとして──
『
でも、喜燕が築いた見えない壁に阻まれたかのように、燦珠の手は虚しく宙に浮いた。喜燕は顔を上げることさえしてくれなかったから、彼女の視点から見えるのは
燦珠の腰に咲いた
(そっか、もし踊れてたら、きっとこの子も……)
喜ぶ
あの場で出題に沿った演技を思いつけなかったのだとしても、それは喜燕の技量が劣るということにはならないはず。一瞬の閃きが試験の成否を分けたなら、燦珠はこの少女に恨まれていたりするのだろうか。
『ええと……でも、喜燕は役者でしょう?
『いいえ。
何とか歩み寄りたくて、共に研鑽する相手を増やしたくて。懸命に明るい声を出そうとした燦珠の努力は、喜燕のどこまでも硬い声に切り捨てられた。
『とはいえ、
気にしないのは無理難題というものだろうに、喜燕は言葉と態度の両方で燦珠を拒んでいた。だから、燦珠はそれ以上何も言えなかった。少なくとも、その時は。
* * *
喜燕は、水を含んだ燦珠の髪を丁寧に拭いて、
「ねえ、喜燕は舞が好きって言ってたでしょう? どの演目が得意とか、あるかしら」
髪を梳く喜燕の手が止まった気配がするけれど、気付かない振りで燦珠は続ける。
「私は、《
話しかけても喜燕は多くを答えてはくれないけれど、それでも身体を見れば役者、それも舞手だということは分かる。演目の名を挙げれば目が動くところも見たことがあるし、この子も絶対に踊るのが好きだと、燦珠は信じているのだけれど──
「《
喜燕の声はいつも淡々としていて冷めていて、踏み込まれることを拒んでいる。だから、燦珠の言葉は独り言に転じて虚しく消えていくだけだ。
「……楽しく踊るから上手くなるんじゃないかと、思うんだけど……」
正確さも大事ではあるけれど。父たちの見よう見まねで始めた燦珠と、師について教わったらしい喜燕ではまた話が別なのかもしれないけれど。
(正確さが第一、なんて教えるのはどこのどいつよ……?)
父たちの姿を見るに、たとえ師弟の間でも教えるのは技だけではない、はずだ。
舞台に立つ時の心構え、演目を読み解く知識、
どうも、喜燕の師の姿勢は燦珠が知る役者たちとは違う気がしてならないけれど──流派への批判はさすがに失礼だろうから口にすることも考えることも控えては、いる。
(役者同士なんだから、もっと仲良くできれば良いのに……!)
喜燕だけの話ではない。星晶とは練習の合間や前後に雑談もできるようになったし、
でも、それ以外の
難試験をただひとり合格した新参者であること。星晶、ひいてはその後ろにいる貴妃の
その辺りが組み合わさって、嫉妬というかやっかみの目で見られているような気がする。
(遠巻きにしてるより、正々堂々、競ったほうがお互い良いんじゃないの……!?)
戦を待ちわびる武人さながらに、燦珠は受けて立つ気満々でいるというのに。聞こえるような聞こえないような、絶妙な加減の囁き声だけが聞こえるのは
「燦珠様、出来上がりました」
「ええ……ありがとう、喜燕」
──と、喜燕に声を掛けられて、燦珠は危うく顔を顰めそうになっていたことに気付く。慌てて笑顔を纏って振り向けば、髪を結ってくれていた少女はあっさりと余所を向いていたけれど。
「こちらをどうぞ。
喜燕が差し出したのは、紅色の生地に金の草花模様が鮮やかな
燦珠は、香雪と共に華麟に招かれて
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