第5話 燦珠、嫁に行く?
「《
聞いたことのない名だ。
ならば新作なのか、後宮というか
(どんな舞なのかしら!?)
尋ねようと燦珠は大きく息を吸った──けれど、
「隼瓊! それは、そなたと
「残念ながら違います、華麟様。それは《
長い
男ならあり得ない距離の近さも接触も、女の
「なんだ……わたくしの
「認めておりますよ。ただ、燦珠は驪珠に比べるには若すぎますから」
知らない演目に知らない人の名が出て、燦珠と、そして
新参者たちが置いて行かれているのを察してか、星晶がまたも良い間を見計らって説明してくれる。
「
「《
「へえ……!」
熱のこもった星晶の語り口に、華麟のうっとりとした眼差しに、がぜん、燦珠の興味もかき立てられる。
長寿の象徴である鶴は、姿も優美だし鳴き声も美しいし、なるほど慶賀の席の演目には相応しい。きっと、神々しく
(それは私も見たいわね……!)
当事者の意見は、と。わくわくしながら隼瓊に視線を向けると、彼女は苦笑して軽く首を振った。
「あの時は、私は添え物に過ぎませんでしたから。
「それなら、良いけれど。わたくしね、皇太后様に今の秘華園にも良い
白く細い指を拳に握った華麟が高らかに宣言した。
前半は分かるとして──最後は、何と言っただろう。燦珠と香雪は同時に、かつ同じ角度に首を傾けた。目を合わせれば、互いに同じ疑問を抱いているのも、分かる。
「……およめさん?」
「ええ、そうよ!」
恐る恐る尋ねた風情の香雪に、華麟は一分の迷いも躊躇いもなく大きく頷いた。
燦珠たちの戸惑いは、気付いていただけていないらしい。胸の前で手を組み合わせた貴妃の、夢見るような目が捉えるのは、彼女の
「舞台の上で何度も共演する
分かったような、分からないような演説を聞いて、燦珠はそっと星晶を窺った。
(──と、仰っているけど?)
燦珠は嫁に行く気はない──というか、いくら格好良くても星晶だって若い娘なのだろうし。お見合いめいたことをされても困るのではないだろうか、と思うのだけれど。
星晶は口の端を少しだけ持ち上げると、声に出さずに合わせて、と囁いた。どうやら、いつものことらしい。
なので、燦珠は華麟に恭しくお辞儀した。
「ええと……光栄でございます、
「ええ! よろしくね、燦珠」
「は、はい」
未婚の身で姑の圧を負わされたのをひしひしと感じながら、燦珠はどうにか笑みを保った。父が懸念していた偉い方々の無理難題にも、色々な形があるらしい。
(謝貴妃様は……確かに良い方ではあるようだけど)
星晶が主を評した言葉は、本心なのか苦肉の策なのか──
「──あの、
星晶と
どこがどれだけ劣っているのか、手本を見せてはもらえないのか、気になって仕方がない。
何しろ燦珠は、女の役者を目のあたりにしたのもつい最近のことなのだから。自分がどの当たりの水準にいるのか、自分の目で確かめたいと、思ったのだけれど──
「ああ……。驪珠は亡くなっている」
ごく平坦な声と表情で告げられて、燦珠は頭から冷水を浴びせられた気分を味わった。
立ち竦む彼女を余所に、隼瓊からは責めたり悲しんだりする気配はなかったけれど。でも、隼瓊の眼差しはここではないどこか彼方を見つめているのがありありと分かる。
「《
隼瓊はきっと、驪珠という人が舞っているのを時を越えて見ているのだ。どれほど美しく妙なる舞だったのか、どれほどかけがえのない存在だったのか。
だって、華麟の言葉を借りるなら、夫婦のように近しい関係だったに違いないのだ。それこそ
「……すみませんでした。大切な方、だったんですよね……」
燦珠が呟いて初めて、隼瓊は今に立ち返ったようだった。この娘は誰で、どうしてここにいるのだろう、と言いたげに軽く眉を寄せてから──微笑む。
「なに、彼女の名が今も語られるのを聞くのは私にとっても嬉しいことだ。そう……ちょうど、名が一文字重なっていることでもあるし。驪珠を目指して励むのは良いことだろう」
燦珠の頭を撫でる隼瓊の手が、彼女の肩にまたひとつ
(亡くなった後も語り継がれる名優は、そうはいないわ……!)
男だろうと女だろうと関係なく。燦珠が究めようとしている道の遥か先に、
* * *
《
これもとてもめでたい内容だから、何らかの慶賀の席で演じられたのだろうと燦珠は思う。
華麟と香雪が──というか、主にひと通り熱弁して気が済んだらしい華麟が着席したのを見計らって、隼瓊は舞の伝授を始めた。
「燦珠は柔軟性も筋力も十分、一方でしなやかさはまだ途上だから、回転や跳躍を増やす振りにしてみようと思う」
「はい、
では、伝説の
父に跳ねっかえりと言われた彼女には確かに足りないところだから、心しなくては、と。真剣に頷き、師の動きを食い入るように見つめながら燦珠は肝に銘じた。
「まずは上空を舞う振りからだ。鳳凰が追いかけっこをするように時間差で回転する。番なのだから互いを見つめ合って──」
燦珠がまったくの
だから、星晶と並んで舞い始めて燦珠が目を瞠ったのは、また別のところに、だった。
(ああ──私、誰かと踊るのも初めてだった!)
早く回れば良いというものでもないし、がむしゃらに高く跳べば良いというものでもない。
隣で踊る星晶と、同じ速さと同じ角度、同じ高さでなければならない。
走る歩幅も調節して、距離も近すぎず遠すぎずを保たなければ。自分ひとりの見目を気にするよりも、ずっと難しいのは確かなのだけれど──
(でも、楽しい!)
翼に見立てた腕を伸べたまま回れば、その風を受けたかのように星晶が跳ぶ。
宙に浮いた両脚を時間差で回転させる、それこそ空中で遊ぶ鳥さながらに軽やかな、見事な
着地した星晶を追って燦珠も跳び、彼女の
互いの動きが連動して、場面を作り上げていく。絡み合い、交錯する手や脚が物語を紡いでいく。ひとりで踊るよりもふたりで踊るほうが、舞が生み出す世界はずっとずっと広く高く広がっていく。
「燦珠、さすが」
「星晶こそ……!」
弾む呼吸の合間、跳躍や回転のすれ違いざまに囁き交わす距離は近く、吐息は熱い。
胸が弾むのは、激しい運動が理由に決まっているのだけれど、それだけではないと、思い違いをしてしまいそう。
舞や芝居の相手役のことを妻や夫に喩えるのも、そう的外れではないのかもしれなかった。
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