第8話 霜烈、計画通り

燦珠さんじゅ。そなたを秘華園ひかえん戯子やくしゃとして召し抱える。しん昭儀しょうぎに仕え、引き続き研鑽けんさんに励むように」


 皇帝は、短く告げると香雪こうせつを含めた妃嬪を引き連れて退出していった。


 これから、秘華園の別の場所で宴が催されるのだとか。余興として女の戯子やくしゃが舞い唄うはずで、燦珠も観たかったし何なら出させてもらいたかったけれど、新入りの身でそこまで望めるはずもない。


 だから──豪奢なのに閑散とした大庁ひろまにぽつんと取り残されて、平伏した体勢から上体だけを起こして。恐る恐る辺りを見渡しながら、燦珠は呆然と呟いた。


「合格、したのよね……?」

「うむ。見事な演技だった。働き者の娘の姿が目に浮かぶようだったぞ」

「わ!?」


 独り言のつもりだったのに。背後から不意に答えが返って来て、燦珠は跳ねるように立ち上がった。

 もはや耳に馴染んだ涼やかな声の主は、振り向くまでもなく分かる。霜烈そうれつは、彼女の演技を見てくれていたのだ。


真的嗎ほんと!? あんまり呼ばれないから、私、天子様が鶏をご存知なかったらどうしようかと思ってたわ!」


 とてつもなく高貴な御方は、庶民の暮らしを演じてもぴんと来なかったのでは、とか。自信満々で舞い始めた癖に、さすがに不安になり始めたところだった。

 高揚によって頬が熱くなるのを感じながら、燦珠が拳を握って訴えると、霜烈はふわりと微笑んだ。


「まさか手を挙げる者がいるとは思っていらっしゃらなかったのだろう。全員を落とすための無理難題のおつもりだったはずだ」

「……はい?」


 満面の笑みのまま、燦珠は実にさらりとした微笑を口元に湛えた霜烈と見つめ合った。あまりに予期せぬことを聞くと、人は表情を動かすことすら忘れてしまうものらしい。固まった彼女に、霜烈は白々しく首を傾げた。


「言っていなかったか? 今上きんじょうの陛下は華劇ファジュも秘華園もお嫌いだからな。沈昭儀に戯子やくしゃをつけなかったのもそのためだろう」

「言ってないし聞いてない! っていうか、どうして……!?」


 ようやく我に返った燦珠の大声に、霜烈は一歩退いた。耳を塞ぐ仕草をしながら、それでも聞かれたことには答えてくれる。


奢侈しゃしにしか見えぬから、であろうな」

「奢侈、って──」

「芝居や役者に大金をつぎ込むのは惜しい、とお考えだ。まあ、それも一理あることではあるが」

「そんな……」


 気付けば、大庁ひろまにいるのは彼女たちふたりだけ。ほかの者は皇帝の移動に従ったのか、霜烈が何かしらの手回しをしたのか。


 いずれにしても、余人に聞かせたらよろしくない、危うい話題の予感がして燦珠の背に冷や汗が浮かぶ。踊った後の爽やかな汗と違って、心地良いとはお世辞にも言えない。


「陛下は真面目な御方だ。かつ、華劇ファジュには業余者ドシロートであらせられる」

業余者ドシロート……」


 だって、こんな不敬な単語がさらりと混ざるくらいだし。絶句する燦珠に、けれど霜烈の声も笑みもどこまでも甘く優しく、得意げな気配さえ漂わせている。


「だから、華劇ファジュといえば絢爛豪華な演目ばかりと思い込んでいらっしゃるだろうと予想していた。そして、ほかの候補者たちも。花旦むすめやくの基本を知らぬはずもないが、皇帝の前で演じるならば、やはり絢爛豪華な演目でなければと思い込んでいた。──合格できるとしたら、そなただけであろう」


 言われれば、何もかも腑に落ちる。燦珠を試験間近になって後宮に入れたのは、皇帝に知られることがないように。

 皇帝が寵愛する香雪を積極的に守ろうとしないのも、不審に思ってはいたのだ。けれど、華劇ファジュ嫌いなら役者も当然嫌いなはずで、だから役者をつけることで穏便に過ごさせようという発想にならないのも当然だった。


 何もかもはっきりした……のだ、けれど。


「なんだか、嵌められた気がするわ!?」


 納得にはほど遠くて、燦珠は吼える。とてつもなく高価なのであろう敷物の上で、地団太を踏む。お前ならできると言われて喜んだのが、馬鹿みたいだ。結局のところ、大事なところを伏せられて、上手く踊らされていただけだったのだ。


 唇を尖らせる燦珠になおも笑って、霜烈はその場に跪いた。高貴な人に対してするかのように、この上なく優美な所作で。。


「そなたは陛下の想定を超えたのだ。華劇ファジュとはこのていどのもの、というもうを啓いて差し上げたのだ。後宮にいて秘華園を愛する者としては感謝に堪えない」


 いつもは見上げる場所にある綺麗な顔を、見下ろすというのはひどく居心地が悪かった。しかも、恭しく拱手なんてされて、率直な感謝の念を表されては。


「ちょっと……止めてよ……」


 これも、霜烈の策のような気がしてならない。小娘には不釣り合いな敬意を見せて、狼狽えさせて、うやむやにしようというのでは、と。でも、霜烈の甘い囁きは、燦珠の警戒を軽々と越えて彼女の心をくすぐるのだ。


「此度だけで、御心を完全に変えられることはないだろうが。だが、そなたは秘華園に席を得ただけで満足か? 食わず嫌いの業余者ドシロートに芸を見せるだけで。寵愛争いに巻き込まれて、道具にされて」

「……そんなはず、ないわ……!」


 言わされていることに気付きながら、それでも燦珠の口は勝手に動いていた。


(そんなの、嫌よ……!)


 彼女なら絶対にこう思うだろう、こう動くだろう、と。霜烈は見透かしていたのだ。演じるのは楽しくても、のはまったく違って面白くないし腹立たしい。


 でも──それでも。燦珠の想いは本物で、心からのものだった。だから、反発を呑み込んで、彼が望むことを言ってあげる。彼女自身の、しるべにするためにも。


「天子様に華劇ファジュの良さを教える。芝居や舞を、面白いと思っていただく。貴妃様たちの戯子やくしゃにも負けないで、香雪様を安心させて差し上げる。……これが貴方の本当の目的!? 良いわよ、やってやろうじゃない……!」


 燦珠の声は、天井の高い大庁ひろまにふわりとした残響をもたらして、消えた。うたでもセリフでもない、ほとんど怒鳴り声の宣言なのに、霜烈は軽く目を閉じて聞き入るような表情をしている。


「頼もしいことだ。そなたならばやってくれると、信じている」


 そうして浮かべた彼の笑みは嬉しそうで晴れやかで、うっとりするような麗しさで──でも、彼の言葉を額面通りに受け取ることはもうできなかった。見下ろす眼差しは、どこか疑いを孕んでしまう。


真的嗎ほんとうでしょうね~?)


 どのように答えられようと、それこそ信じられないからあえて聞かないけれど。


(でも、秘華園を愛してる、って──)


 男でも女でもない宦官が、愛を語るのは不思議な気もする。恋も結婚もあり得ないからこそ芝居そのものを、ということがあり得るのかどうか。


(……芝居好きなところだけは、信じても良いのかしら?)


 いくら考えても、確かな答えが見つかるはずもない。ただ、信じたい、とは思う。至尊の皇帝を、後宮の在り方を、芝居によって変える、だなんて。とても畏れ多くて難しそうで──だからこそ楽しそうだと、思ってしまうから。





      * * *


 今話にて第二章・物語の起承転結の「起」が終わりました。次章より、本格的に後宮で活躍する燦珠の姿をお楽しみください。


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