第8話 霜烈、計画通り
「
皇帝は、短く告げると
これから、秘華園の別の場所で宴が催されるのだとか。余興として女の
だから──豪奢なのに閑散とした
「合格、したのよね……?」
「うむ。見事な演技だった。働き者の娘の姿が目に浮かぶようだったぞ」
「わ!?」
独り言のつもりだったのに。背後から不意に答えが返って来て、燦珠は跳ねるように立ち上がった。
もはや耳に馴染んだ涼やかな声の主は、振り向くまでもなく分かる。
「
とてつもなく高貴な御方は、庶民の暮らしを演じてもぴんと来なかったのでは、とか。自信満々で舞い始めた癖に、さすがに不安になり始めたところだった。
高揚によって頬が熱くなるのを感じながら、燦珠が拳を握って訴えると、霜烈はふわりと微笑んだ。
「まさか手を挙げる者がいるとは思っていらっしゃらなかったのだろう。全員を落とすための無理難題のおつもりだったはずだ」
「……はい?」
満面の笑みのまま、燦珠は実にさらりとした微笑を口元に湛えた霜烈と見つめ合った。あまりに予期せぬことを聞くと、人は表情を動かすことすら忘れてしまうものらしい。固まった彼女に、霜烈は白々しく首を傾げた。
「言っていなかったか?
「言ってないし聞いてない! っていうか、どうして……!?」
ようやく我に返った燦珠の大声に、霜烈は一歩退いた。耳を塞ぐ仕草をしながら、それでも聞かれたことには答えてくれる。
「
「奢侈、って──」
「芝居や役者に大金をつぎ込むのは惜しい、とお考えだ。まあ、それも一理あることではあるが」
「そんな……」
気付けば、
いずれにしても、余人に聞かせたらよろしくない、危うい話題の予感がして燦珠の背に冷や汗が浮かぶ。踊った後の爽やかな汗と違って、心地良いとはお世辞にも言えない。
「陛下は真面目な御方だ。かつ、
「
だって、こんな不敬な単語がさらりと混ざるくらいだし。絶句する燦珠に、けれど霜烈の声も笑みもどこまでも甘く優しく、得意げな気配さえ漂わせている。
「だから、
言われれば、何もかも腑に落ちる。燦珠を試験間近になって後宮に入れたのは、皇帝に知られることがないように。
皇帝が寵愛する香雪を積極的に守ろうとしないのも、不審に思ってはいたのだ。けれど、
何もかもはっきりした……のだ、けれど。
「なんだか、嵌められた気がするわ!?」
納得にはほど遠くて、燦珠は吼える。とてつもなく高価なのであろう敷物の上で、地団太を踏む。お前ならできると言われて喜んだのが、馬鹿みたいだ。結局のところ、大事なところを伏せられて、上手く踊らされていただけだったのだ。
唇を尖らせる燦珠になおも笑って、霜烈はその場に跪いた。高貴な人に対してするかのように、この上なく優美な所作で。。
「そなたは陛下の想定を超えたのだ。
いつもは見上げる場所にある綺麗な顔を、見下ろすというのはひどく居心地が悪かった。しかも、恭しく拱手なんてされて、率直な感謝の念を表されては。
「ちょっと……止めてよ……」
これも、霜烈の策のような気がしてならない。小娘には不釣り合いな敬意を見せて、狼狽えさせて、うやむやにしようというのでは、と。でも、霜烈の甘い囁きは、燦珠の警戒を軽々と越えて彼女の心をくすぐるのだ。
「此度だけで、御心を完全に変えられることはないだろうが。だが、そなたは秘華園に席を得ただけで満足か? 食わず嫌いの
「……そんなはず、ないわ……!」
言わされていることに気付きながら、それでも燦珠の口は勝手に動いていた。
(そんなの、嫌よ……!)
彼女なら絶対にこう思うだろう、こう動くだろう、と。霜烈は見透かしていたのだ。演じるのは楽しくても、演じさせられるのはまったく違って面白くないし腹立たしい。
でも──それでも。燦珠の想いは本物で、心からのものだった。だから、反発を呑み込んで、彼が望むことを言ってあげる。彼女自身の、
「天子様に
燦珠の声は、天井の高い
「頼もしいことだ。そなたならばやってくれると、信じている」
そうして浮かべた彼の笑みは嬉しそうで晴れやかで、うっとりするような麗しさで──でも、彼の言葉を額面通りに受け取ることはもうできなかった。見下ろす眼差しは、どこか疑いを孕んでしまう。
(
どのように答えられようと、それこそ信じられないからあえて聞かないけれど。
(でも、秘華園を愛してる、って──)
男でも女でもない宦官が、愛を語るのは不思議な気もする。恋も結婚もあり得ないからこそ芝居そのものを、ということがあり得るのかどうか。
(……芝居好きなところだけは、信じても良いのかしら?)
いくら考えても、確かな答えが見つかるはずもない。ただ、信じたい、とは思う。至尊の皇帝を、後宮の在り方を、芝居によって変える、だなんて。とても畏れ多くて難しそうで──だからこそ楽しそうだと、思ってしまうから。
* * *
今話にて第二章・物語の起承転結の「起」が終わりました。次章より、本格的に後宮で活躍する燦珠の姿をお楽しみください。
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