第2話 燦珠、観劇する
黒衣を纏った美貌の男は、
男、と断じて良いかは微妙かもしれない。何しろ彼(?)は後宮に仕える
不躾だとは思いながら、
(道理で男か女か分からないと思った……!)
髭も皺も染みも見えない白皙の頬。切れ長の目は涼やかで、唇の形も整っている。
そこにいるだけで、辺りが一段明るくなるような、文字通りの輝くばかりの美貌。
まるで、
(あと……もっと思ってたのと違うっていうか……)
宦官で、
「えっと、
「それほど大したものではない。
いずれも宦官役には珍しく、演目の柱になる役どころだ。
「ふうん?」
対して、霜烈が挙げた
どこか泰然とした立ち居振る舞いの霜烈には、やはりどうも似つかわしくない。この男は、何というかもっと「デキそう」なのだ。
(奸臣役を挙げたらさすがに失礼だと思ったんだけどさあ)
それよりも、楊霜烈には聞きたいことがたくさんあるのだ。
「
燦珠の疑わしげな半眼を余所に、見目麗しい宦官は舞台に熱い視線を注いでいた。
舞台──ふたりは、
先ほどの騒動の後、出番を控えていた父の梨詩牙は、興行主や一座の者に拝まれるようにして
「役得って……つまり、私に声をかけたのは後宮のお役目の一環ってこと?
主役の身内の特権で、燦珠は
開演を楽しみにしている階下の客は、好き勝手に騒いでいるし、客引きの
「無論。人攫いではないのだから、経緯は漏らさず
「私は舞台に立てるなら何でも良いんだけど。でも、そうね。説明してくださったほうが安心ね。……後宮に女だけの
後宮とは皇帝に仕える
だから役者も女だけ、というのは道理にも聞こえるけれど。ごくわずかな尊い方々のためだけに、わざわざそんなものを作るだなんて、相当な贅沢ではないのかとも思うのだ。
「本当だ」
だが、楊霜烈ははっきりと頷いた。
白い顔を横から見ると、睫毛の長さがよく分かる。所作も、茶請けが
「
「
整った唇から、重々しい口調で卑俗かつ不敬な単語が漏れたから、燦珠は思わず復唱してしまった。霜烈の相槌もまた、重々しいものだった。
「そう。後宮に役者を呼ぶのでは飽き足らず、寝ても覚めても
「なるほど、重症ね……?」
毎日のように
「そこで、仁宗帝は後宮の妃嬪の中でも心得ある者に
「お妃様が、男の格好で!?」
燦珠の驚きの声を、高らかに鳴り響く銅鑼の音が掻き消した。
今日の演目は《
城塞に迫る夷狄の兵に扮した
「
「それは、そうね」
燦珠が頷くと同時に、客席が歓声に沸いた。彼女たちとのやり取りとは関係なく、芝居の筋は進んでいるのだ。
舞台の四方に散った
勇壮な音楽に合わせて隊列を変え、高さを変えてまた投げる──剣の軌跡は見事に交錯し、ぶつかることも床に落ちることもない。厳しい訓練の賜物であって、誰にでもできることではない。
(でも、私にもできるはずよ)
訓練に加わる機会さえもらえたならば。
燦珠の身体のしなやかさがあれば、手で放り投げるだけでなく、爪先で受け止めてから蹴り上げることだって、きっと。可憐な──といって良い容姿だと、彼女は自身を評価している──少女が難しい技を決めれば、客席はさぞ喜ぶと思うのに。
「とはいえ
「披露する……
燦珠の声に宿る真剣さと必死さに気付いたのか、霜烈は舞台から目を離した。吸い込まれそうな黒い目が、彼女の視線を受け止め──なぜか嬉しそうに、笑う。
「市井の
楊霜烈は、役者としても絶対に成功するに違いなかった。
滔々と淀みなく語る声の美しいこと、聞き入りたくなる抑揚に満ちていること、優れた
あるいは、燦珠にとって魅力ある内容だからそう聞こえるのか──どちらでも、良いけれど。
「舞台のほうが三階建てになった、大がかりな楼閣さえあるのだ。本物の虎を鎖で繋ぐこともあれば、大河を模して水を引き込むこともある。無論、頂点の舞台に立つのは秘華園の中でも選りすぐられた、ごく一部の者になるが──」
「なるわ、私。そのひと握りに。私ならできるから声をかけてくれたんでしょう?」
誘うように試すように覗き込まれて、燦珠は熱っぽく応えていた。愛の歌を唄う時のように。そして霜烈が彼女を見る目もまた、舞台の上で相手役に向けるかのような情感に満ちたものだった。
「そなたならばそう言ってくれると思っていた」
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