「波」「聖職者」「ワックス」|三題噺

霧縛りの職工

「波」「聖職者」「ワックス」

 ――1/5――


 茹るように熱く日の長かった夏が過ぎ、一雨一度と冷えていく。


 木の温かみも薄れた本堂で、坊主が座禅を組み続ける。鳥や虫の声に草木の擦れる音、離れた道を行く走行音が耳に届く。引いては寄せる波のようだが、その心は凪いだままだ。



 ――2/5――


 深く息を吐いて坊主は薄目を開け本尊を眼に映す。瞑想が終れば、除けていた思いが去来した。脳裏には通り過ぎてきた荒波が浮かぶ。


「九つの波」というジンクスがあるそうだ。嵐は第一の波から徐々に強まり、第九の波を越えるとまた初めに戻るのだという。転じて人生の苦楽を現す言葉として使われている。


 だが坊主には鑑真の教えがある。


 航海技術の未熟な時代に4度海の暴虐に敗れ失明しつつも、10年目に日本への渡来を果たし仏教を伝えた鑑真だ。信仰だけではなし得ない、もはや信念というべき布教の意欲に溢れた唐代を代表する聖職者だ。


 彼が越えた逆波に比べたら、坊主が迎えた波のなんと小さな事だろう。



 ――3/5――


 世界に音を響かせる――。


 そう言って集まったはずの旧友とは高校へ進学してまもなく疎遠になっていった。音楽をやるのにはお金が掛かるし熱量もいる。子供だっていづれは気付くし、ひとり仏教系高校に通い始めた坊主と他の少年達で波長がズレるのは早かった。


 徐々に連絡が遅れ始める中、坊主は路上ライブを始めた。手元には出世払いで買ってもらった一本のフェンダーがあった。上手くいかなかった時に家を継げる様、進学先を選ぶのが条件だった。


 周りが色づき始め整髪料の扱いにこなれてくると、付き合い続けた彼女にも禿頭がダサいとフられた。バンドはソロになっていた。


 それでもギターを鳴らし声を張り上げていると、丸い頭でBoseを鳴らす姿がおもしろいと声をかけられデュオになった。そいつとの繋がりでデュオがトリオに、また繋がって元のバンドと同じだけになる頃には坊主は有頂天だった。


 自分たちなら何もかもが上手くいくと、髪を剃る前と同じように思ってしまっていた。


 学外のメンバーを口説いて意気揚々と乗り込んだ学園祭の舞台で、急に頭が真っ白になった。歌も演奏も滅茶苦茶だった。鼻高々な姿を見せようと誘った旧友が彼女を連れているのが視界に入った瞬間、歯車が狂ってしまったのだ。


 雑念に囚われた事が恥ずかしく、仲間と眼さえ合わせられなかった。



 ――4/5――


 出かける前に顔を洗おうとお堂から水場に寄ると、今度は自分の顔が眼へと反射する。楽器代の交換条件としてじゃない、いつでも仏僧になれるよう本気の修行に励んだ坊主の卵の顔だった。


 恥をかかせたのにバンドは誰一人抜けなかった。最初の話題は罰ゲームだったけれど、丸める頭がないので顔に墨を塗った。彼らに報いなければと考えた。日々の座禅は何のためか。両親との約束は単に課程を終えれば良かったのか。


 "坊主"は誰より"坊主"を目指した。


 坊主は棚から長く使っていない中身の残ったチューブを取り出し、それをそのままごみ箱に入れ手を合わせる。


 報いの時はやってきた――。



 ――5/5――


 剃髪してから使い道ない、最早無用な安物のワックス。

 誓約してから唱え続けた、菩薩に捧げるライム武器アックス


 書き続けてきたオリジナルソングス


 仲間が箱へ向かってんだ。サブスクの準備も終ってんだ。


 無無明むむみょう 亦無無明尽やくむむみょうじん

 乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん――。


 信じる音からまず修行。響く鼓動で伝わる交信。

 念じ続けた今こそ好機。ここで臆せばそれが死因――。


 今こそ俺の「第九の波濤」。壇上輝けみなの後光。


 止まる事ない世界の時計クロック


 留まる事なくLet's Rock!!



 終



 ***


 ここまでが本編となります。読んでいただきありがとうございました。


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 ラップはロックに入るのかと思ったらラップロックっていうミックスになるらしいです。他、仏教やラップ/ロック等々のカルチャーに関していくらか資料を探しながら執筆しましたが、誤解/無理解がございましたら文責は私にあります。

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