第二十三話「こんなに傍にいるけれど」
翌日。俺は下校時刻を見計らって、冬華の学校へと向かった。
今日は千歳さんも万里江もいない。俺だけだ。
万里江から借り受けた英国製の小型車で学校の正門へと着けると、顔なじみの警備員さんが駆け寄ってきた。
「どうもどうも。お話は伺ってますから、駐車場の方へ」
「いつもお世話になります」
警備員さんとそんな会話を交わしながら、開けてもらった校門をくぐる。
冬華の通っている学校は、幼稚舎から大学まである大型校だ。そこそこしっかりした家の子でないと通えない私立校で、この通りセキュリティも厳しい。
事前に連絡していない来訪者は、たとえ親であっても入れてもらえないくらいだ。
来客用駐車場に車を停め、サイドブレーキを引く。
外は既に真冬の気温なので、エンジンを切らずに冬華がやってくるのを待った。
――と。
『ねぇねぇ。あれ、冬華さんのプロデューサーさんじゃない?』
『ああ、噂の……。なるほど、それっぽい人ね』
『今日はいつものマネージャーさんがいらっしゃらないけど、まさか二人きりでおでかけかしら? キャー!』
何やら、校舎の方からこちらを見ている女生徒が数人。
ひそひそと噂話をしているつもりのようだが、こちらに丸聞こえなくらいに声が大きい。
……あのくらいの年頃だと、普通はあんなものだろう。むしろ、冬華が落ち着きすぎているのだ。
そのまま、動物園の猿にでもなった気分のまま、待つこと十数分。ようやく冬華がやってきた。
今日の冬華は、学校指定の濃紺のピーコートに身を包み、首には鮮烈なピンク色のマフラーを巻いている。
よく似合っているが、元々小柄なこともあって、なんだかいつもより幼く見えた。
「すみません春太さん! 先生に引き留められてしまって……」
「大丈夫か? なにか、大事な話でもあるんじゃないか? 俺ならもうちょっと待っててもいいが」
「問題ありません。さあ、行きましょう♪」
冬華に促され、車を出す。
今日は冬華のリクエストで、少し遠出する予定だった――。
***
「わぁ……すごい景色! 見てください春太さん、富士山もあんなにくっきり!」
高速と一般道を乗り継いで、俺達は神奈川県の鎌倉市へとやってきていた。
海沿いにある公園からの景色は絶景そのもの。ほど近くに浮かぶ江ノ島と、遠くに鎮座する富士山が、夕日を受けて鈍く輝いている。
眼下には、東京では殆どお目にかかれない砂浜が伸び、左手には相模湾の海が広がっている。俺には潮の匂いがやや厳しかったが、冬華は気にしていない様子だった。
はしゃぐ冬華の姿を眺めながら、横目で周囲の様子を窺う。
既に夕暮れに包まれる時間だが、まだ人は多い。週末だからか、カップルの姿も目立つ。
ふと、「俺と冬華は周りにはどう見えているかな?」等と馬鹿なことを考えてしまい、慌てて打ち消す。
冬華は一応の変装をしていた。
制服は、ピンクのロングコートですっぽりと覆って見えないようにしてある。
頭には、やや大きめのチェック柄のキャスケット帽。顔も大きめの黒縁眼鏡で半ば隠してあった。
加えて、万里江直伝の「個性を殺す地味メイク」とやらで、顔の印象を変えてある――らしい。
俺の目から見れば、いつもの可愛い冬華にしか見えないのだが。
周囲が全く冬華に気付かないところをみるに、効果はあるようだった。
「冬華、寒くないか?」
「はい、大丈夫です。春太さんが用意してくれたこのコート、とっても温かいです♪」
「そうか。でも、これからもっと寒くなるだろうから、気を付けてな――それにしても、本当にこんな所で良かったのか? 海を見るだけなら、別の場所でも」
「いいえ、ここが良かったんです。実は冬華、鎌倉には来たことがなくて」
「へぇ、意外だな」
鎌倉は都内から電車で一時間ほどで来れる、身近な観光地だ。
海、山林、寺社仏閣におしゃれスポット。江ノ島があるのは隣市だが、江ノ電こと江ノ島電鉄に乗れば比較的簡単に行ける。
そういったロケーションから、テレビやCMの撮影にもよく使われている。
冬華が来たことがない、というのが少し意外だった。
「学校の友達とかと、遊びに来たりはしなかったのか?」
「はい。その……お恥ずかしい話ですけど、冬華、昔はお友達が少なくて」
「っ!」
「しまった」という言葉を慌てて飲み込む。
そうだ、そういえばヤイコが以前言っていたではないか。少し前までの冬華は、アイドルになることにしか興味のない女の子だったと。
当然、「友達とどこかへ遠出する」なんてことも無かったのだろう。
「中学に上がった頃からアイドルの養成場に通っていたので、放課後に誰かと遊ぶなんて、したことがなかったんです。今思うと、少し勿体無いことをしたなって」
段々と夕闇に沈んでいく江ノ島と富士山を眺めながら、冬華が呟く。
そういえば、彼女がこんな話を俺にしてくれたのは、初めてだ。
「それでも、最近はクラスメイトともよく話すようになったんですよ? 冬華がアイドルだから物珍しいというのもあるのでしょうけど、皆さん親切にしてくれています。ケータイの連絡先も、この半年ほどでとっても増えたんです」
「学校、好きか?」
「はい、とっても♪」
「じゃあ……折角出来た友達と別れるのは、やっぱり辛いよな」
「……そう、ですね。少し寂しいです」
冬華が俯きがちに呟いた、その時。彼女の心中を表すかのように、辺りが一段と暗くなった。本格的に太陽が沈んできたらしい。
街灯が点灯し始め、人工的な光で俺達を照らし出す。
「もう、日が沈んでしまうんですね。――まるで、世界が影絵になったみたい。街灯の明かりが無かったら、冬華の顔も、春太さんの顔も、全部分かりませんね」
「黄昏時ってやつだな。昔の人は『誰そ彼』……つまり、『誰ですか貴方は?』って尋ねる頃合いって意味で、そう呼んでたんだっけか」
「相手が誰なのかも分からなくなる。それは、少し寂しいですね。――ねぇ、春太さん」
冬華が俺に向き合い、一歩近づく。
白い吐息がかかるほどの距離。
そのまま、長い長い時が流れた。
それは数十分だったかもしれないし、数秒間だったかもしれない。
全てを塗りつぶす黄昏時の中で、俺達は互いの顔もよく見えぬまま、無言で見つめ合った。
「もし、この黄昏時が永遠に続いたとしても、春太さんは冬華のことを、見付けてくれますか?」
そんな、謎かけ言葉のような、あるいは祈りのような問いかけを口にする冬華。
街灯に背を向けた彼女の表情は、逆光になっていてよく見えない。
「……たとえ黄昏時の中だろうと、暗闇の中だろうと、きっと冬華のことを見付けるよ。俺は、冬華のプロデューサーだからな」
自然と、そんな答えが口から出た。
それはきっと、冬華が求めた答えではないことを察しながら。
果たして、俺の言葉に何を思ったのか。
冬華はその場で振り返り、太陽が沈んでしまった方を見つめながら、言った。
「春太さん。冬華、アメリカへ行くお話、受けようと思います」
「……そうか。決めたんだな」
「はい。今、決めました」
夕日の名残が全て消え失せ、辺りが夜の闇に包まれる。
うっすらと浮かび上がった冬華の表情は、満面の笑顔。まるでステージ上で見せるそれだった。
「――一気に冷えてきたな。そろそろ帰ろうか」
「はい♪」
どちらともなく歩き出し、駐車場へと向かう。
冬華は、いつぞやのように腕に縋り付いたり、手を繋ぎたがったりはしない。
無言で、笑顔のまま、俺の隣を付かず離れずで歩く。
帰りの車中、俺達は無言だった。
話さなければいけないことが沢山あるはずなのに、何も浮かばなかったのだ。
(本当に、これで良かったんだろうか?)
そんな自問自答が頭から離れない。
先程の冬華は、俺に引き留めて欲しくてあんなことを言ったんじゃないのか、と。
プロデューサーとしてではなく、一人の男としての気持ちを聞かせて欲しかったんじゃないか、と。
自惚れにも似た確信が、俺の中に渦巻いていた。
来年早々からの半年間。それが、アメリカでの撮影期間だ。
二十五歳の俺にとっての半年間は、長いようで短い。恐らく、あっと言う間だろう。
だが、まだ十六歳の冬華にとっては、長い長い、長すぎる半年だ。
少女が変わり、成長するには十分な程に、長い。
きっと、戻ってくる頃には、冬華はまた全く別の冬華になっているのだと思う。
――そして、俺は冬華の、その成長過程に立ち会うことは出来ないのだ。
マイケルのオッサンの話では、冬華の渡米中、俺は「会長案件」とやらに従事することになるらしい。
冬華の付き添いとして渡米出来るのではないか? という淡い希望は露と消えていた。
冬華を手放したくはない。
一緒にいたい。一緒にいて、彼女が成長する姿をこの目で見守りたい。
そう伝えれば、きっと冬華は受け入れてくれる。アメリカ行きを断って、日本で俺と過ごすことを選んでくれるはずだ。
だが、それは「アイドル・村上冬華」にとって大きな損失だ。
それくらいに、今度のアメリカ行きは彼女のキャリア形成上、重要な意味を持つのだ。
俺のワガママで、それを潰してはいけない。何より、「冬華のプロデューサー」としての自分が、それを許さない。
もし俺が、あと十歳……いや、六歳ほど若かったら、自分の気持ちを優先していたかもしれない。
行かないでくれと冬華を抱きしめて、引き留めていたかもしれない。
もしくは、先程から国道沿いにチラチラと姿を現しているいかがわしいホテルに連れ込んで、無理矢理に自分のものにしていたかもしれない。
しかし、今の俺はそんな向こう見ずで自分勝手で無責任な小僧ではない。
冬華のプロデューサーとして、彼女を、そして彼女を取り巻く全てを守る責任がある。
年長者として、冬華を支え導く役割がある。
だから、この胸に渦巻く痛みは呑み込んで。
冬華自身の傷心も覆い隠したままにして。
彼女を飛び立たせるのだ。
俺は、冬華のプロデューサーなのだから。
***
冬華がアメリカ行きを了承したことで、全てのスケジュールが加速していた。
レギュラー番組の殆どは、降板ではなく「お休み」という形になった。冬華が帰国次第、最優先でスケジュールを確保させてほしいという、テレビ局やラジオ局の要望から、そういうことになったようだ。
マイケル会長の抜け目ない所は、渡米後もネットを通じた番組出演が可能なよう、ヴァンデンバーグ側と契約していたことだ。
映画の撮影や研修の時間以外は、日本に残してきた仕事に費やせるようにしたのだ。
これで、冬華が半年間丸々、日本のメディアから消えることは回避された。
冬華のアメリカ行きには、千歳さん他、数名のスタッフがマネージャー兼ボディーガードとして同行することになった。
――千歳さんは若い頃に留学経験もある。英語は堪能だし、あちらの文化にも詳しい。
おまけに、嘘か実か、留学時代に「銃を持った複数の強盗を素手で制圧した」という逸話まであるのだとか。
ヴァンデンバーグ側スタッフにも知り合いがいるらしく、「チトセがいるなら安心だな、ハッハッハ!」等と言われたとか言われてないとか。
俺と万里江も、新しい仕事を任されることが決まり、目が回るような忙しさになっていた。
来年の四月を目途にデビューさせる予定の、新人アイドルグループのプロデュースを任されたのだ。俺と万里江が、共同プロデューサーとなって、一から育て上げることになる。
既に顔合わせは済んでいる。メンバーは冬華よりもやや年上の少女達だ。
どの娘も、才能は有りながらもデビューのタイミングを逃し続け、今まで燻っていた。
「必ず売り出さなければ」という使命感が、俺と万里江の肩に重くのしかかった。
――冬華とは、あまり話せていない。鎌倉へ行ったあの夜から、何となくギクシャクしてしまっていた。
お互いに割り切ったつもりでも、どこかしこりが残ってしまったのだ。
だが、もしかするとこちらの方がいいんじゃないか、とも思う。
以前のように長い時間を共に過ごしていれば、どうしても未練が募る。すっぱりと割り切って、彼女を送り出した方が、気持ちは揺れないはずだ。
お互いに。
だが、きっとそれは「逃げ」だったのだろう。
俺は単に、自分の気持ちを誤魔化したかっただけなのだ。
そして天は、そんな俺にとんでもない罰を与えた。
クリスマスがいよいよ一週間後に近付いた、ある日の夜のことだ。
自宅で新曲の制作作業に勤しんでいると、万里江から電話があった。
――俺が作業中の時、万里江は気を遣って文字メッセージだけを送り付けてくることが多い。それなのに、電話。
おかしな胸騒ぎと共に電話を取った俺の耳に飛び込んできたのは、万里江の悲痛な叫びだった。
『は、春太……! 冬華ちゃんが、冬華ちゃんが、事故に――』
気付けば俺は、部屋を飛び出していた。
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