第二十二話「とんでユナイテッド・ステイツ」
合同ライブも無事に終わり、既に十二月。
街は次第に、クリスマスムードに包まれ始めていた。
「わぁ~! 見てください春太さん! イルミネーションが、まるで星空みたいに♪」
「おお、確かにあれは凄いな。そうか、もう十二月だもんなぁ」
テレビ局での収録の帰り道。いつも通りに千歳さん運転のワンボックスカーに揺られながら、冬華と流れゆく窓の外の風景を眺める。
ほんの束の間の、緩やかな時間だ。
冬華のスケジュールは今もぎっしりだ。年末までみっちりと詰まっている。
テレビ、ラジオ、ネット配信、ミニライブイベントに地方営業。冬華の体調も考えて、一日に何件も仕事をこなさなければならないようなことは無くなったが、それでも多忙には違いない。
友達と遊ぶ時間さえとれていないだろう。
一度、そのことについて、それとなく心配していると伝えたのだが、
『うふふ。冬華は春太さんと一緒にいられる時間が増えて、むしろ嬉しいですよ?』
ときたもんだ。照れるやらなんやらで、どういう反応をしていいのか分からなかった。
そして、冬華はそんな俺を見て、意味ありげに微笑むのだ。
なんというか、最近の冬華にはどこか余裕すら感じられる。
俺が自分から冬華のもとを離れることはない。その確信が、彼女に小悪魔的な余裕を与えてしまったのかもしれない。
「そういえば、春太さんはクリスマスイブはどうされるんですか?」
「イブ? イブも仕事じゃなかったっけ……?」
クリスマス周辺は、アイドルにとって書き入れ時だ。
テレビやラジオ、ネット配信では特番が増えるし、毎年のようにクリスマス・ライブを行うアイドルもいる。
……クリスマスぐらい、欧米人のように家族と過ごせばいいのに、等と思わなくもない。が、それは両親に勘当され、毎年ぼっちクリスマスを過ごしてきた俺に言えることでもないだろう。
「冬華ちゃんのクリスマスとイブの予定はオフよ、春太くん」
「え、そうでしたっけ」
ハンドルを握ったまま千歳さんが教えてくれる。
彼女の頭の中には、冬華のスケジュールが完璧に記憶されている。どうやら冬華のクリスマスの予定は空らしい。
つまり、プロデューサーである俺も、冬華に付き添う仕事はないことになる。
「そっか。当日は仕事ないのか。作曲の仕事の方も、今はオンスケジュールだしな……。多分、当日は暇だわ」
「そうなんですか? どなたかと、予定は……?」
「ないない。今から入れようにも、店の予約なんか取れないだろうし。そもそも、クリスマスを一緒に過ごすような友達連中はいないしな。皆、自分の仕事や家族や恋人優先だよ」
俺の交友関係は狭い。その殆どが、芸能関係者だ。
となると、自動的にクリスマス付近は多忙を極める人間ばかりになる。休みを取っていても、家族や恋人持ちが多いので、俺と過ごしてくれるようなモノ好きはいない。
「じゃあ、冬華のおうちに来ませんか?」
「……はい?」
「だから、冬華のおうちで一緒にクリスマスのお祝いをしませんか? 両親も春太さんに会いたがっていますし」
「え……。いや、折角のクリスマスの
「駄目なんかじゃないですよ~。父も母も、『彼はいつ、挨拶に来るんだ?』って、春太さんがうちに来てくれることを、楽しみにしてるんですよ?」
――冬華。それ、ご両親は全然違う意味で言っていると思うぞ?
そんな言葉を呑み込んで、思案する。果たして、冬華の誘いに乗って良いものか?
冬華のプロデューサーとして誘われているのなら、断る理由はない。冬華のご両親には何度かご挨拶しているが、自宅を訪ねたのは最初の一度だけだ。
大事な娘さんをお預かりしているのだから、手土産持参でご機嫌伺いすること自体はおかしくはない。
だが、もし冬華との仲を変に勘繰られていたら?
冬華の家は、昨今では珍しい厳格な家だ。娘がトップアイドルを狙える位置にいようとも、学業をおろそかにすることを許さない程度には。
その場で「責任を取るか死ぬか、どちらか選べ」くらいのことを言われるんじゃなかろうか。
「お嫌ですか?」
「い、嫌ではない! 全然嫌ではないぞ。でも、流石にクリスマスにお邪魔するのは、気が引けるというか」
「万里江社長もいらっしゃいますけど?」
「……えっ」
思わず言葉を失う。
どうやら俺は、とんでもない勘違いをしていたらしい。頬が赤く染まるのが、自分でも分かる。
自意識過剰にも程がある。何故、冬華が自宅に誘ったのが俺だけだと思い込んでいたのか。
てっきり冬華が「外堀を埋めに来た」のかと思ってしまっていた。恥ずかしい限りだ。
「そ、それじゃあ、お邪魔しようかな?」
「うふふ、嬉しいです! これで、これからは家族ぐるみのお付き合いが出来ますね? 春太さん♪」
「えっ……?」
何やら最後に不穏な言葉が聞こえたが、とにもかくにも、クリスマスイブの予定が決まってしまった。
当日は、何を着ていけばいいのだろうか? やはり白装束か?
そんな益体もないことを考えながらも、俺の心は少しだけ躍っていた。
冬華と、大切な大切な少女とクリスマスイブを一緒に過ごせる。そのことをこんなに嬉しく感じてしまうだなんて、自分でも意外だった。
(俺、やっぱりもう、冬華のことを――)
その先に続く言葉を、意図的に打ち消す。
今まだ、その時ではない。冬華が大人になるまでは、一人前の女性になるまでは、俺は見守る立場でなければいけないのだ。
たとえ、その時に彼女が選ぶのが、俺ではなかったとしても。
「春太さん、どうかしましたか? やっぱり、冬華のおうちに来るのは、お嫌でしたか?」
「まさか! むしろ楽しみでしょうがないさ!」
「良かった。うふふ、楽しみにしていてくださいね? 当日は冬華も、お料理を手伝いますから♪」
そう言いながら浮かべた冬華の笑顔は、窓の外のどんなイルミネーションよりも輝いて見えた。
――しかし、俺達の浮かれた気分は、この翌日に打ち砕かれることになる。
***
『ア、アメリカぁ!?』
「そ、アメリカよ。ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカ!」
俺達は、
メンバーは、俺、冬華、万里江、千歳さんの四人だ。他には、オッサン――マイケル会長と、その横に控えている、いかにも「秘書」と言った感じのスーツ姿の眼鏡美人がいた。
知らない顔だ。少しエキゾチックな容貌で、髪は黒いが目が少し碧い。
「アメリカの有名なプロデューサーからね、『今度撮影するショートフィルムのヒロインに、冬華ちゃんのイメージがぴったりなんだ、ハハハ!』って連絡が来たのよ。で、来年早々にでも、アメリカに来てくれないかって」
「いくらなんでも急すぎやしませんか? もう、冬華ちゃんの来年のスケジュールも埋まってますし」
万里江が当然のツッコミをする。
冬華には既に、レギュラー番組が何本もある。ライブイベントだって、既に会場を押さえているものがあるのだ。今更キャンセルなど出来る訳がなかった。
「そこはそれ、あちしが関係者に頭を下げるわよ! ――今回のオファーは、今の仕事を全部キャンセルしてもおつりが来るくらいのメリットがあるの」
「そ、そんなに凄い案件なのか?」
「それはもう。春太ちゃん、アリス・ヴァンデンバーグって知ってる?」
「ええと、確か欧米で活躍中の、若手映画監督だっけ? 今年もなんかの賞を獲ってたよな」
――アリス・ヴァンデンバーグは、新進気鋭の女性映画監督だ。
芸術性とエンターテイメント性を両立させた作品作りに定評があり、まだ二十代の若さで、既に大きな映画賞をいくつも受賞している。
世界的有名人だ。知らない方がおかしい。
「監督は、そのヴァンデンバーグなのよ。冬華をご指名なのは、正確には彼女なの。この意味、分かるでしょう?」
「……日本や東アジアだけじゃなく、欧米やその他の地域にも冬華を売り込むチャンスだって、言いたいのか?」
「イグザクトリー! その通りよ!」
日本発のアイドル文化は、今や世界中に広がっている。「アイドル・ランキング」の指標には、海外の数値も含まれているくらいだ。
だが、欧米ではいまだに、アジア地域ほどの盛り上がりはない。文化や言語の壁が高いのだ。
あちらにおけるアイドル文化は、一昔前のオタク文化と同じで、市場規模こそデカいが一般的なものではない。
一部、語学力に優れたアイドルが英語や現地の言葉で営業を仕掛け、成功している例もある。が、それはあくまでも一部だけだ。
だがもし、押しも押されもせぬ映画監督であるヴァンデンバーグの作品に冬華が出演したならば。アイドル文化になじみがない欧米人にも、冬華の魅力が届くことになる。
その宣伝効果は計り知れない。欧米だけではなく、逆輸入的に日本を含むアジア地域へも、その影響は波及するだろう。
「撮影期間は、約半年。語学研修や演技指導、滞在費や警備費もあちら持ちよ。しかも! 撮影準備期間中には複数のドキュメンタリー番組も取材に入る! もちろん、冬華も取材対象。いい条件だと思わない?」
「そんな! その間、学校はどうするんですか? 冬華ちゃんは学業をおろそかにしないことを条件に、ご両親にアイドル活動を許してもらってるんですよ」
「万里江ちゃん、あちしがそんな大事なことを、忘れると思ってる? 冬華ちゃんのご両親には真っ先に許可を取ったわよ。学校側にも連絡済み。あちらにある日本人学校でなら、短期留学扱いで単位が取れるって」
オッサンは、本気だ。
俺達をここに呼んだ時点で、既に全ての手配を済ませてあるらしい。
だが――。
「貴方達の異議は認めないわ。でもね、冬華ちゃん本人が嫌だと言えば、この話は断ってもいい。――どうする? 冬華ちゃん」
場の注目が冬華に集まる。
酷過ぎる。まだ十六歳の冬華に、こんな重い決断をさせようなんて。
文句を言おうと口を開きかけるが、オッサンに視線で威嚇される。「今は黙っていなさい」と、その目が囁いていた。
「……冬華は。冬華は、分かりません。会長さん、少しお時間を頂いても、よろしいですか?」
「もちろん。重要な決断ですからね。よく考えて、自分で決めるのよ。貴女の未来なのだから」
話はそこで終わった。
***
「あのオッサン、何考えてやがるんだ! 冬華に……こんな断りづらい話を持ってきやがって!」
「まずは両親の話を聞いてみます」と申し出た冬華を自宅に送り届けてから、俺と万里江、千歳さんは「アークエンジェル」の会議室に集まっていた。
ご丁寧なことに、今日明日の俺達の予定は、マイケル会長が既にキャンセルしていた。そこにも、あのオッサンの本気度が表れている。
「悪い話ではないけれど……あまりにも急よね~。オバチャン、ビックリしちゃったわ!」
「そう。問題は、悪いどころかいい話だってところなのよね。断る理由なんて、正直見付からないくらい」
「……だな」
それは俺もよく理解していた。
冬華の今後のキャリアを考えれば、当面の予定をキャンセルしてでも今回のオファーを受けるべきなのだ。
既に日本市場には、冬華の存在は知れ渡っている。アジア全体にも、じわじわとファンが増えつつある。
欧米に殴り込みをかけるなら、勢いのある今なのだ。
だが、それでも釈然としない気持ちがある。
俺達は、既にこれからの一年間を見据えて、冬華のプロデュース計画を立てていた。アメリカ行きを了承するということは、それら全てをご破算にする、ということだ。
言ってみれば、冬華が俺達の手を離れるのと同じなのだ。悔しいような、悲しいような、そんな複雑な気持ちを抱かざるを得ない。
――なにより、冬華の心が心配だ。
まだ十六歳の彼女に決断させるには、大きな話過ぎる。
「春太。悔しいかもしれないけど、最後に決めるのは冬華ちゃん――ううん、あの子はまだ未成年だから、親御さんと決めるべきなのよ。私達に出来るのは、アドバイスすることだけ」
「……分かってるよ」
そう。そんなことは分かっている。分かっているのだ。
それでもなお、冬華を心配してしまうのは、プロデューサーとしての義務感からか。それとも――。
と、その時。俺のスマホがメッセージの着信を告げた。
送り主は……冬華だ!
そこには、こう書かれていた。
『春太さん。アメリカ行きの件で、ご相談に乗ってもらいたいです。明日、お時間頂けますか? 出来れば、二人だけで』
俺の答えは、もちろんイエスだった。
果たして、冬華の気持ちはどちらに傾いているのだろうか?
そして俺は、背中を押すべきなのか、それとも引き留めるべきなのか。
答えの出ない自問自答が、頭の中でぐるぐると回っていた。
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