第二十一話「世界でいちばん熱いステージ(2)」
合同ライブは順調に進んだ。
あれだけ緊張していたトップバッターのアイドルの娘も、実に見事なパフォーマンスを見せた。
バックバンドを従えたロック・アイドルだったようで、開幕激しいサウンドを観客に叩きつけ、火を点けた。
お陰で会場は大盛り上がりだ。
「きゃっ!? す、凄い歓声ですね……」
「五万人規模だからな。ここまでくると、もう地響きって感じだ」
控室にいてもなお轟いてくる歓声と振動に、冬華が可愛らしい声を上げていた。
数万人もの人々がステージを前に一体になったこの歓声は、本当に特別なものだ。どんなアンサンブルも敵わない、唯一無二のサウンドだと思う。
「緊張するかい?」
「いいえ……むしろ、ワクワクしてきました♪」
冬華の表情に強がりの色はない。本気で言っているのだ。
心強いこと、この上なかった。
だが――。
「冬華ちゃん、冬華ちゃん」
「はい? なんですか、ヤイコちゃん」
ヤイコが何故か、少し不満げな表情で冬華に呼びかける。
ちなみに、ヤイコは先程から「おんぶお化け」よろしく、背後から冬華に抱きついたままだ。
寡黙キャラはどこへやら。この場では本来の自分を隠す気が無いようだった。
「冬華ちゃんのつよつよメンタルは尊敬してるけど……そこは『きゃぴ~ん♡ 春太さ~ん、冬華不安なんですぅ~』とか言って、甘えるチャンスじゃない?」
「っ!? そ、それは気付きませんでした! ヤイコちゃんはやっぱり天才ですね♪ ……ということで、春太さん! 改めてよろしいでしょうか!?」
「……いや。そういうのは宣言してからやるものじゃないだろう。そもそも『きゃぴ~ん♡』って、冬華のキャラじゃないだろう」
「あ、あぅ……残念です……」
しょぼんと項垂れる冬華と、その頭をヨシヨシと撫でるヤイコ。
前言撤回。どうやら冬華も、ある程度は動揺しているらしい。
今の奇行は、そのせいだと思っておこう。それがいい、それが一番だ……。
ライブはその後も滞りなく進んでいった。
控室から数人のアイドルが消え、出番が終わると息を切らせて戻ってくる。
その繰り返しが十も続いた頃、控室に駆け込んでくるビア樽のような人影が見えた。千歳さんだ。
「ごめんなさ~い、遅くなって~」
「お疲れ様です、千歳さん。あっちの現場の方は、もう大丈夫なんですか?」
「うん、そっちは大丈夫よ~。オバチャン、頑張っちゃったから」
グッと、力こぶを作るようなポーズを見せる千歳さん。
彼女は今朝方まで、急な体調不良で休んでしまった部下のフォローで、他のアイドルの付き添いをしていたのだ。
確か、沖縄本島まで行っていたはずだ。そちらが片付いてすぐ、飛行機に乗って駆けつけてくれたのだろう。
「冬華ちゃんの晴れ舞台を、見逃す訳にはいかないしね!」
「うふふ、千歳さんが見守ってくれているなら百人力です♪」
心なしか、冬華の表情が更に明るくなったように感じる。
冬華にとって、千歳さんは「芸能界における母」のような存在だ。彼女が傍にいるのといないのとでは、安心感が段違いなのだろう。
――案外、ヤイコを控室まで呼んだのも、同じような理由なのかもしれない。今更ながら思い至った。
***
ステージは進み、いよいよ冬華の順番が近くなってきた。
今、控室に彼女の姿はない。千歳さんに付き添われて、専用の更衣室で着替え中なのだ。
ヤイコと二人、ステージの音と歓声を聴きながら、無言で待つ。
――と。
「ねぇねぇ、アンタさぁ」
「ん? なんだ、ヤイコ」
「冬華ちゃんと、なんかあった? というか、ぶっちゃけ……ヤッた?」
ヤイコがとんでもない質問を耳打ちしてきやがった!
「んな訳ないだろっ! 俺を何だと思ってるんだ」
「え~? だってさ、冬華ちゃんだよ? この薄汚れた地上に降り立ったエンジェルだよ? そんな子に、あんな好き好き大好き攻撃されて、堕ちない男ってなにさ? 逆にヤバくない?」
「大人には守らないといけない常識ってのがあるんだよ。どんなにしっかりしてたって、冬華はまだ高校一年生だぞ? そんな子に手ぇ出せるかよ」
「ふ~ん。じゃあ、冬華ちゃんが大人になったら、問題ないんだ?」
「っ……」
思わず言葉に詰まる。ヤイコの言葉は、ある意味で図星を突いていた。
俺だって、冬華のことは好きだ。大人になった彼女と結ばれる自分を想像したことも、一度や二度じゃない。
だが、それは都合の良い妄想にしか過ぎない。今はあんなに慕ってくれているが、冬華の心だって、今後変わっていくかもしれないのだ。
「……冬華が大人になって、まだ気持ちが変わってなかったら、その時に考えるさ。それまでは、待つ」
「ふぅ~ん……」
「な、なんだよ」
ヤイコが何か、珍しいものでも眺めるような目で俺を見つめる。
……こいつも超絶美人なので、不覚にもちょっとドキドキする。
「いや? 冬華ちゃんの片思いって訳じゃないんだぁ~って。な~んだ、アタシが心配することないんじゃん」
少年のような笑顔で「にひひ」と笑うヤイコ。
こいつはこいつなりに、冬華と俺のことを心配してくれていたらしい。
何気にこいつは、いい奴なんだな、と再確認する。なんだよ、よせよ。惚れたらどうする。
「お待たせしました~♪」
その時、冬華が千歳さんに伴われて控室へと戻ってきた。
「おかえり」と声をかけようとして、思わず息を呑む。――そこには、いつの日か夢に描いたような、理想のアイドルの姿があった。
今日のステージ衣装は、ピンクを基調としたドレスを思わせるデザインだ。
全体的にフリルが多めだが動きの邪魔にならぬよう、稼働パーツは少なくなっている。
スカートは、少し長めのキュロットの周囲を、やはり動きやすさを考えてか、短めのフリルで飾ってある。
激しいダンスにも耐えつつ、ドレスの優美さを最低限残した、造形美と機能美を兼ね備えた衣装だった。
「どう、ですか? 春……プロデューサーさん」
「最高だ……それ以上の言葉が出てこないくらいに」
「うふふ、ありがとうございます♪」
上手く言葉が出てこなくてもどかしいが、どうやら冬華には俺の気持ちが伝わったらしい。
きっと俺の表情が、すべてを物語っているはずだから。
『村上冬華さんと、スタッフさ~ん! そろそろイヤモニ、お願いしますー!』
その時、会場スタッフから俺達に声がかかった。いよいよ出番が近いのだ。
返事をしながらスタッフのもとへ駆け寄り、大きめのイヤホンのような機械を受け取る。
「イヤーモニター」、俗に言う「イヤモニ」だ。
ステージ上では、歓声や巨大スピーカーからの音によって、自分の声ですら聞き取れないことが多い。バンドの伴奏さえ分からなくなる時もあるくらいだ。
イヤモニは、そんな爆音から耳をある程度保護すると同時に、無線機能によって様々な音を装着者だけに届けることが出来る。
例えば、マイクで拾った伴奏の音だったり、スタッフの声だったり。不測の事態が起こった時などは、観客に悟られずにスタッフからの指示を仰げるという訳だ。
イヤモニには、通常それぞれに専用のチャンネルが設けられている。
これによって、特定のチャンネルだけに声を届けることなどが出来るので、大人数グループに同時に指示を飛ばす、なんてことも可能だ。
今回は、俺と冬華に同じ音が流れるよう設定してもらっている。
「うふふ。なんだか春……プロデューサーさんと繋がっているみたいで、心強いです」
「音だけじゃないさ。舞台袖から、きちんと冬華のステージを観ている。だから、安心して行ってきてくれ」
「はい♪」
そのまま、千歳さんとヤイコも引き連れて、舞台袖の待機位置までスタッフに誘導してもらう。
観客席からは絶対に観ることの出来ないアングルで、ステージが見えてくる。
ちょうど、冬華の前の出番のアイドルが歌い始めたところだった。
――「スフィア」こそ発生していないが、上手い。
流石はこんな大規模ライブに呼ばれるだけのことはあった。
そして、長い長い十分が過ぎ、冬華の出番がやってきた。
「よし、行ってこい冬華!」
「はい♪」
冬華が光溢れるステージへと駆け出していく。
会場が歓声で出迎える。
いよいよ、いよいよ始まるのだ。夢のステージが。
『みなさ~ん、こんにちは~!』
『こんにちは~』
『村上冬華です♪ このライブもいよいよ終盤ですけど、お疲れの人はいませんか~?』
『だいじょ~ぶ、で~す!』
『あはっ♪ まだまだ皆さん、お元気みたいですね! では、冬華も皆さんに負けないように、歌います――「ゼロ・グラヴィティ」!』
冬華のMCに被せるように、激しいデジタルサウンドがリズムを刻み始める。
キレッキレのダンスと共に歌い上げる人気のナンバー「ゼロ・グラヴィティ」だ。
先ごろ発売したミニアルバムに収録されている五曲の中でも、一、二を争う人気を博している。今回のライブでは、外せない曲だった。
本職もかくやといったレベルのダンス。
普段の甘い声からは想像もつかない程にクールな冬華のヴォーカル。
それらが高いレベルで融合し、観客を魅了していた。
その証拠に、会場には既に桃色の「スフィア」が出現し始めていた。
舞台袖からその光景を見守りながら、俺はガッツポーズを決めていた。
冬華は今や、ドームの中を完全に掌握しつつあった。
――そして、一曲目が終わる。
『ありがとうございました~!』
途端に湧きおこる歓声と拍手。
地鳴りのような振動が、舞台袖にいる俺達をも包む。
冬華はしばらくその轟音に身を任せ、少し収まるのを待った。
『改めまして、村上冬華です♪ 今日は初めてのドームということで、とても緊張しています!』
冬華の言葉に、観客から「大丈夫だよ~」だとか「全然いけてるよ~」だとか、思い思いの言葉がかけられる。
冬華はその一つ一つを噛みしめるように笑顔を返すと、MCを続けた。
『冬華は今日のライブを、とっても楽しみにしていました! ……実は、冬華がアイドルを目指したのは、このドームで行われた、あるライブがきっかけなんです!』
「おお~」と感心するようなどよめきが、会場に響く。
――俺も初めて聞く話だ。MCの内容はいつも、冬華に任せてある。
俺があれこれ指示するよりも、冬華が自ら考えた話の方が観客に響くからだ。
歌と踊りだけではない、アイドルとしての冬華の完成度を高める要素の一つがMCの上手さだった。
『小さい頃に母に連れて来てもらったドームでのライブ。そこでは、観るもの聴くもの全てがキラキラしていました。「私もああなりたい。なれるだろうか?」そんな子供の頃に見た夢が、今、現実になっています。――皆さん、冬華はきちんと、キラキラ出来ているでしょうか?』
冬華の問いかけを、割れんばかりの拍手と歓声が肯定した。
『――ありがとうございます。もっともっと、これからも、更にいっぱいキラキラ出来るように、精いっぱい歌います。聞いてください、「はなことば」』
冬華が曲名を告げた途端、波が引くように会場から音が消えていき、静寂に包まれる。
そして、その一瞬の静寂を破るように、冬華の歌声がアカペラで響き渡った。
――最初の予定では、一曲目に「はなことば」を歌い、二曲目に「ゼロ・グラヴィティ」をもってくるという構成だった。
だが、冬華が「逆がいい」と言い出し、変更していた。
冬華の次に歌うみのりの人気曲は、ほぼ全てがスローテンポのバラードだ。
対する「はなことば」もしっとりとした曲だ。だから、近い曲調で「戦う」のは避けようという配慮だったのだが、冬華はそれを良しとしなかった。
『今出来る、精いっぱいの歌唱を、お客さんとみのりさんにぶつけたいんです』
対抗心でもなく、やけっぱちでもなく。それが必要なことなのだと、冬華の目が強く訴えていた。
俺は冬華の提案を受け入れて、曲順を変えることにした――。
『秘められた”はなことば” 言えなかった気持ちをこめて』
雄大なストリングスの音に乗せて、冬華が「伝えられなかった恋心」を謳い上げる。
しっとりとした曲であるにもかかわらず、会場に出現した「スフィア」の輝きは、一曲目の時よりも増していた。
観客の振るペンライトの光が一つの生き物のように揺れ動く。
会場が、冬華の歌を通じて一つになっている証拠だった。
(冬華、やっぱり君は、凄いアイドルだ)
やがて曲が終わり、会場に再び静寂が舞い戻る。
ゆっくりと、冬華が頭を下げた、その瞬間。会場に、今日一番の喝采が溢れた。
拍手が、歓声が、頭を下げたままの冬華に降り注ぐ。
俺も、ヤイコも、千歳さんも、泣きそうになりながら一生懸命に拍手を送った。
――と、その時。
「やっぱり、凄いね。冬華さんは」
「……みのり」
気付けば、ステージ衣装に身を纏ったみのりが俺の隣に立っていた。
スパンコールをちりばめた漆黒のロングドレス風の衣装が、不可思議な凄味を醸し出している。
「私も負けていられないね」
凄絶な、美しすぎる冷たい笑みを浮かべながら、みのりがステージへと一歩踏み出す。
その眼前に、ステージから戻ってきた冬華が立ちはだかる。
二人は軽く頷きあうと、どちらからともなく道を譲り合い、すれ違った。
「お疲れ様、冬華! 凄かったよ!」
「はい♪ 精いっぱい歌いました。でも――」
冬華が顔を曇らせながら、ステージの方を見やる。
丁度みのりが、ステージの中央に着いたところだった。
万雷の拍手が彼女を出迎える。
だが――
『皆さん、こんにちは。江藤みのりです』
みのりが口を開いた瞬間、ピタリと拍手と歓声が止んだ。
まるで、みのりの言葉が全ての音を消してしまったかのような、背筋の冷たくなるような光景だった。
『楽しかった宴も、もうすぐ終わります。僭越ながら私が、最後の出番を務めさせていただきます。――聞いてください、「最後に吹く風」』
そして会場は、魔王に支配された――。
***
「やっぱり、凄かったですね、みのりさんは」
「ああ……」
夢のようなライブが終わり、会場は早くも解体作業に入っていた。
俺と冬華は、片隅からその光景を見守っていた。
冬華の表情を盗み見る。
悔しさをにじませているかと思いきや、その表情はむしろ晴れやかだった。
何か、憑き物が落ちたような印象さえ受けるほどだ。
今日、冬華は最高のステージを見せた。
だが、最後にはみのりに全てを持っていかれてしまった。
冬華だけではない。他の出演者が観客に与えた様々な感情は、きっとみのりによって上書きされてしまったことだろう。
あいつは、本当に恐ろしいアイドルになっていた。
だが――。
「でも、冬華も負けていられません。もっと、ずっと凄いアイドルになって……みのりさんに勝ちます!」
「冬華……」
「だから、春太さん。これからも、よろしくお願いします。ずっと、冬華と一緒に、頑張ってくれますか?」
「……ああ、もちろんだ。俺は冬華のプロデューサーで、一番のファンで、そして――」
何かを言いかけて、はたと口をつぐむ。
俺は今、何を言おうとした? 何か、無自覚にとんでもない言葉が飛び出しかけた気がする。
「うふふ。その言葉の続きは、いずれまた聞かせてください♪」
けれども冬華は、それを追求しようとはしなかった。
その横顔には自信が満ちあふれていて、俺はなんとも言えない、正体不明の感情を持て余していた。
(……まあ、急ぐことはないか。この胸の想いの正体については、おいおい考えていこう)
後になって思えば、俺はあまりにも呑気だったのだと思う。
俺と冬華はずっと一緒にいられるのだと、根拠もなく考えていたのだから――。
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