第二十四話「めぐりあえたら」
(冬華――!)
走る。都会の雑踏の中を、ひたすらに走る。
(冬華、どうか無事で!)
震えそうになる手を押さえつけながら、スマホで最短ルートを検索し、冬華が運ばれたという病院へ駆ける。
電車を、タクシーを乗り継いで、それでも足りない所は自分の脚で走って、一分でも一秒でも早くと。
『テレビ局で撮影中に、照明が落下したらしいの。それが、冬華ちゃんに当たって、救急車で運ばれたって――』
そのまま、信じられない速度で病院へ着くと、案内表示を頼りに救急外来へと急ぐ。
途中、「走らないでください!」という誰かの声が聞こえたが、構っていられない。
滑り込むように救急外来のロビーへと辿り着くと、万里江と千歳さんの姿があった。
二人とも、俺の姿を見てギョッとしている。
「は、春太。アンタ……もう着いたの?」
「冬華は!? 冬華は、無事なのか!!」
「ちょ、ちょっと春太くん! 落ち着いて、オバチャンが説明するから――」
「冬華は、無事なのか!? なあ、二人とも! 冬華は、ふゆか……」
不意に体の力が抜ける。
どうやら、走り過ぎて既に肉体の限界を迎えていたらしい。
視界が白く明滅し、息が苦しくなる。過呼吸気味になっているのだろう。
だが、俺の体なんてどうでもいいのだ。冬華の無事を確かめられるのなら、今ここで死んでも構わない!
「春太! まずアンタが落ち着きなさい! ちゃんと息して、死んじゃうわよ!」
「お、俺のことはいいんだ……冬華。冬華は大丈夫なんだろ? なあ、姉さん。大丈夫だって言ってくれよ! ふ、冬華に何かあったら、俺は……俺はもう、生きていても……意味なんて……」
みっともなく床にうずくまり、ボロボロと涙を流しながら言葉を吐き出す。
――ああ、今なら認められる。これが俺の本心だ。偽らざる、本心だ。
冬華が大切だ。
担当アイドルとしても、一人の女の子としても。
俺の全てを捧げたっていい。命をやったっていい。
俺は、冬華のことを――。
「……春太さん?」
その時、俺の頭上で花のような声が聞こえた。
ゆっくりと顔を上げると、彼女が、いた。
「冬華……?」
「はい、冬華ですよ?」
不思議そうに首を傾げる冬華。
……いつもと変わりないように見える。
テレビ用の衣装のままだが、大きな怪我は見当たらない。
――いや、違った。左手首に痛々しく包帯が巻かれている。だが、それだけだ。
きちんと自分の足で歩いているし、顔色も良い。いつも通りの、最高に可愛い冬華がそこにいた。
「え、でも……救急車で運ばれたって」
「はい。落ちてきた照明が手首に当たって、血がたくさんたくさん出てしまったんです。現場の人達が皆さん慌ててしまって、救急車を呼んで――でも、安心してください! 見た目ほど大きな傷じゃなかったらしいですから。ちょっとだけ縫いましたけど♪」
「……お、おう」
派手な怪我をした割には、何故か冬華は上機嫌だった。
そんな彼女から視線を外し、万里江を見る。我が従姉殿は、何故かこちらを見ようとしていない。
口笛を吹くように唇を尖がらせて息をフーフー吐いているが、音は全く鳴っていない。
「姉さん」
「はい」
「……騙したな貴様ぁ!!」
「キャー! ごめんなさーい! 私も気が動転してて、命に別状はないって伝えるの忘れただけでー!」
「それを『だけ』とは言わねぇ!!」
夜の救急外来に、俺と万里江の絶叫が響いた。
――二人とも、後で病院のスタッフにしこたま怒られたのは、言うまでもない。
***
「ったく。なんだよ。走り損じゃねぇか……」
千歳さんが会計を済ませている間、俺はベンチでぐったりと伸びていた。
恥ずかしいやら疲れたやらで、もう動く気力もなかった。
――と。
「春太さん、冬華のピンチに駆けつけてくれたんですね♪」
そんな俺にぴったりと寄り添うように、冬華が隣に座ってきた。
先程からやたらと上機嫌だ。――まさか。
「あ~、冬華」
「はい、なんでしょうか春太さん」
「一つ、訊きたいんだが……いいか?」
「はい、なんでも♪」
「……さっきの、どこからどこまで聞いてた?」
恐る恐る、真実を確かめる。
だが――。
「うふふ。それは乙女の秘密です♪」
返ってきたのはそんな言葉と、極上の笑顔だけだった。
***
更に時は流れて、早くもクリスマスイブ。
俺と万里江は予定通り、冬華の家にお呼ばれされていた。
冬華の家は、都内有数の高級住宅街にある。
伊達や酔狂じゃ住めない場所だ。
俺の記憶が確かなら、冬華の父親は貿易やら不動産やら手広くやっている会社の経営者だったはず。母親は、元ピアニストだと聞いている。
富裕層とか上流階級とかいう言葉が似合いそうな感じだ。
だが、何度か会った印象では、決して堅苦しかったり、お高く止まっている印象はない。
若輩者の俺に対しても丁寧な態度を崩さない、紳士淑女という感じのご夫婦だった。
冬華を厳しく育ててはいるが、それも娘を思えばこそ。決して、冬華の意思を軽んじている訳ではないらしい。
なので、気軽な気持ちでお邪魔したのだが――。
「やあ、友木社長、春太さん。ご無沙汰しております」
玄関先で出迎えてくれた冬華の父親は、満面の笑みを浮かべながらも何故か、背後にどす黒いオーラを纏っていた。
更に何故か、足元には二頭の精悍なドーベルマンを従えている。
前にお邪魔した時は庭にいたはずだが、なんでわざわざ室内に……?
「本日はお招きいただき、恐れ入ります。本来なら家族水入らずのところを」
「いえいえ、友木社長。冬華が大変お世話になっているんです。もう、他人だなんて思っていませんよ。――春太さんも、そう思いませんか?」
「は、はぁ……」
なんだろう。万里江に対する態度と俺に対する態度が微妙に違う。
同じように物腰が柔らかいはずなのに、何故か俺の時にだけどす黒いオーラが出ている。……ような気がする。
「あなた~。玄関で立ち話もなんですから、早くお二人をリビングへ~」
「おお、そうでした。さあさ、おあがりください」
「お邪魔します~」
「……お邪魔します」
リビングの方から冬華のお母さんが催促して、ようやく俺達は玄関を上がる。
ふかふかのスリッパを履いて、広々とした廊下を少し進むと、両開きのバカでかいガラス張りの扉が姿を現した。
ガラスの向こう側では、冬華と母親がテーブルセッティングをしているところだった。
――ふと、冬華が振り向き、俺と目が合う。
可愛らしい笑顔を浮かべながら、腰のあたりで小さく手を振ってくれたので、俺も振り返す。
冬華の父親の迫力が一瞬だけ増した気がしたが、気にしないことにした。
「――それでは。一日早いですが、メリークリスマス!」
『メリークリスマス!』
全員で食卓についてから、冬華の父親の合図で乾杯する。
冬華は当然ジュース。大人勢は、高級シャンパン。俺のひと月分の食費よりも高そうな、あれだ。
どんな料理が出てくるものかと身構えていたが、以外にも家庭的なメニューだった。
鶏もも肉のオーブン焼きの他は、冬華の母親の得意料理だというものが、所狭しと並べられている。
野菜のソテー、ミートローフ、コーンスープ、ポテトサラダにタコのマリネ。何故か肉じゃがらしきものもある。カオスだ。
「うふふ、冬華にも手伝ってもらったので、はりきって作ってしまいました。沢山食べてくださいね?」
「い、いただきます……」
冬華の母親は、冬華をそのまま大人にしておっとりさせたような人だ。
確か、両親ともにまだ四十代半ばだったはず。見た目は若々しく、万里江と同年代と言っても通じそうだ。
だが、若いと言ってもやはり「親」の雰囲気がある。ちょっとだけ、俺にとっては苦手な雰囲気だ。
高校時代に勘当同然に家を放り出されて以来、俺は両親に一度も会っていない。
万里江を通じて近況くらいは聞いているが、会う気もない。
『親に迷惑をかけやがって! このろくでなしが!』
今でも、親父にかけられた心無い言葉を、時折思い出す。
「ハイ・クラス」のスキャンダルのせいで、一時は俺の実家や親父の職場にまでマスコミの連中が押しかけた。元々バンド活動に反対だった親父は、それで堪忍袋の緒が切れたらしい。
ろくに収入もない高校生だった俺を、身一つで家から追い出したのだ。
よく考えなくても虐待だったのだが、当時は俺も意気消沈し、まともな思考が出来なくなっていた。
マイケル会長に相談して、何とか作曲のバイトにありつくと、貧乏な一人暮らしを始めたのだ。
当時、既に独立していた万里江が「一緒に住もうよ」等と言ってくれもしたのだが、照れもあってそれは辞退した。
それ以来、俺には「家族」というものがよく分からない。
もちろん、万里江のことは実の姉のように思っている。だが、一緒に暮らした訳でもないので、「家族」と言っていいかは微妙なところだ。
よそってもらった料理を、順番に食べる。うまい。そして温かい。きっとこれが、「家庭の味」なのだろう。
こんな温かい料理を最後に食べたのは、一体いつだったろうか?
そうだ。あれは確か、俺が熱を出して倒れた時に、冬華が――。
「あの……春太さん。お口に、合ったでしょうか?」
「ああ。とても……とても美味しいよ。こんなに美味しいご飯を食べたのは、初めてかもしれない」
「っ!? うふふ、良かったです♪」
照れているのか、冬華が頬を赤らめながら俯く。
――と。
「春太さん。シャンパンのおかわりはいかがですか?」
「あっ、私はお酒はそんなに――」
「まあまあ、そう言わずに。今日はとことんまで付き合ってくださいよ。ええ、とことんまで」
冬華の父親が有無を言わせぬ勢いで、俺に酒を勧めて来た。
とても断れる雰囲気ではない。
結局俺は、潰れる寸前まで飲まされることになった。
冬華のアメリカ行きの件とか、色々と話したいことがあったのに。ひたすらに酒と料理を勧められるばかりで、ろくに雑談も出来なかった。
***
「うげぇ……一生分飲まされた気分だ」
「だらしないわねぇ。折角の高級酒なんだから、体内で分解される過程まできっちり楽しみなさいよ」
「……そんな特殊な趣味は持ち合わせてねぇよ」
冬華の父親が呼んでくれたタクシーで、俺達は帰宅の途にあった。
いや、天井灯が付いていないから、これはハイヤーなのかもしれないが。酩酊した頭では、両者の区別さえ分からなくなっている。
「俺、冬華の親父さんを怒らせるようなこと、したかなぁ?」
「あはは、あれを怒っていると感じるようじゃ、春太もまだまだ子供ね」
「はぁ?」
「あれはね、お酒が飲める歳の息子を持った、父親よ」
「――っ」
万里江の言葉の意味するところに、言葉を失う。
あれ、嫌がらせじゃなかったのか。いや、万里江が勝手に言っているだけ、という可能性もあるんだが。
「冬華ちゃん、おうちじゃ春太の話ばっかりしてるって。前に、冬華ちゃんのお母さんが言ってたわ。で、私にアンタのこと、根掘り葉掘り聞いてきて。あれは相当に気に入っているわね――アンタもう、村上家から逃げられないわよ~?」
「……勘弁してくれよ」
どうも、俺の知らない所で外堀を埋められていたようだ。
「冬華が大人になるまでは」だとか、「将来的に俺以外の誰かを選んでも受け入れる」だとか、考えていた自分が馬鹿馬鹿しくなる。
「春太。アンタが考えていることも分かるし、私も今すぐに冬華ちゃんとどうにかなれ、なんて野暮なことは言わないわ。でも、覚悟だけは決めておいた方が、いいんじゃない?」
「……分かってるよ」
そう、分かってはいるのだ。
冬華が俺に向けてくれている気持ちは本物だ。まだ若い故の、恋に恋する部分がない訳じゃないのだろうが、真剣だ。
俺だって……。
年が明ければ、冬華はアメリカへ旅立つことになる。
半年の間、俺達は離れ離れになるのだ。
その前に、きちんと冬華に伝えなければ。俺の気持ちを。
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