第十八話「愛の言葉はジェラシー(2)」

「おら~愚弟! お姉ちゃんが来てやったわよ~! 開けなさ~い!」

「お、お客様。他のお客様のご迷惑になりますので……」


 ――夜。

 ホテルの部屋で明日の段取りの確認をしていると、ドア越しにそんな問答が聞こえてきた。

 何事かは確認するまでもあるまい。我が従姉殿が到着したのだ。どうやら、泥酔したままで。

 光の速さでドアに駆け寄り、開ける。


「すみません! うちのが迷惑かけてしまって……」

「本当よ、もう! ちゃんと謝りなさい春太ぁ!」

「お前のことじゃボケェ!」


 案内してくれたホテルの従業員に謝罪しながら、万里江を部屋へと引きずり込む。

 ドアを閉めると、あっと言う間に部屋中に酒臭さが充満した。こいつ、この状態で新幹線に乗って来たのか? 最早テロじゃないか。


「ん~? あらやだ、ベッドが一つしかないじゃないのよ~! アンタ、まさか私のダイナマイト・バディを狙って……」

「黙れ酔っ払い。アンタと冬華の部屋は、この隣だ。ほれ、水でも一杯飲んでくれ。落ち着いたら移動するぞ」


 冷蔵庫にあったペットボトルの水を万里江に押し付ける。

 とてもじゃないが、こんな状態で冬華の部屋に入れる訳にはいかない。腐っても事務所の社長だ。こんな体たらくを所属アイドルに見せられるものではない。

 当の万里江はペットボトルを勢いよく開けると、一気に飲みし始めた。


「んぐんぐんぐ、ぷはぁ~! 生き返るぅ! よ~し、調子出てきた~。これでまた酒が飲めるわよぉ~!」

「飲むな!」


 質の悪い酔っ払いの相手をしながら、冬華に「もう少ししたら社長をつれて行く」とメッセージを送る。

 さて、我が従姉殿はどのくらいで正気に戻ってくれるやら?


   ***


「いや~ん、お布団ふかふか~。万里江、もう寝る~」


 結果として、万里江の酔いが覚めることはなかった。

 しばらく待ってみたものの全く正気に戻る様子がないので、仕方なく引き摺るようにして冬華の部屋へ運び込んだのが、つい先ほど。

 目ざとくツインベッドの一つを占拠すると、万里江はそのまま布団に倒れ込み、ゴロゴロし始めてしまった。


「わぁ。冬華、万里江社長のこんなお姿、初めて見ました」

「なんか、悪いな。ウチの愚姉が……」

「いいえ? 、こういうお姿も今の内に慣れておいて損はないですから♪」

「――っ」


 さらりととんでもないことを言われた気がしたが、あえてスルーする。

 どうも、冬華の中では将来的に万里江と親戚関係になることは、決定事項らしい。


 俺達を出迎えた冬華は、普段着姿のままだったが、少しだけ髪が湿っていた。

 どうやら、既にシャワーを浴びた後らしい。ほんのりと漂うシャンプーの香りはいつもと同じ。どうやら、お気に入りの品を持って来てあるようだ。


(――って、冬華のシャンプーの匂いを覚えてるとか、俺は変態か!)


 軽く自己嫌悪に陥りつつ、静かに首を横に振る。

 今夜は俺も、少しどうかしているらしい。万里江の酒気にあてられたのかもしれない。


 気付けば、万里江は既に安らかな寝息を立て始めている。

 酔っ払っていたのもあるだろうが、こいつも疲れているのだろう。冬華のことだけでも大忙しなのに、万里江は他のアイドルの面倒も見ているのだ。相当な激務のはずだった。


「悪いが、寝かせてやってくれるか?」

「ええ。万里江社長、冬華達の為に沢山頑張ってくれてますものね。……おやすみなさい、万里江さん」


 冬華がそっと、肌掛けの布団を万里江にかけてやる。

 下手をすれば親子くらいに年が離れているのに、何故だか一瞬、二人が姉妹のように見えた。

 ……どちらかと言えば、冬華の方がしっかりしているから姉っぽい。


「あっ、そうだ。冬華、明日の件で少し打合せしておきたいんだが、いいか?」

「はい、もちろんです♪ あ、でも……万里江社長を起こしたら可哀想ですし、春太さんのお部屋でやりませんか?」

「ええっ? いや、こっちの部屋の方が広いし、ソファーも二つあるし。俺の部屋シングルだから、ちょっと狭いぞ?」


 実際、冬華達の部屋は少し広く、窓際に一人掛けソファが二つとミニテーブルが置いてある。

 打ち合わせをするなら、そこでした方がいいと思うのだが。


「……まあ、いいか。じゃあ、移動しようか」

「はい♪」


 本当に、この夜の俺はどうかしていたらしい。

 狭いホテルの部屋に冬華と二人きりになることの意味など、とうの昔に知っていたはずなのに。


   ***


「お邪魔します♪」

「はい、お邪魔されます」


 冬華と二人で、俺が泊っている部屋へ移動する。

 シングルルームなので、冬華達の部屋よりは、大分狭い。それでも、都内のビジネスホテルよりは広い方だろう。

 部屋の構成はシンプルだ。中央にベッド、窓際に作りつけのデスク。デスクの脇には冷蔵庫やテレビがまとめて鎮座している。

 ソファは、隣の部屋と同じものが一脚だけ置かれている。そちらに冬華を座らせ、俺はベッドに腰かけた。


「じゃあ、早速なんだけど……明日のタイムテーブルで、一部分かりにくい所があるから確認しておいてほしいんだ」

「はい」


 タブレット端末を差し出し、冬華に画面を見せる。

 冬華はソファーに座ったまま、少し前のめりになって画面をのぞき込んだ。すると――。


「っ!?」


 思わず言葉を失う。

 ベッドに座っている俺の方が、冬華よりも少し目線が上だ。

 そして、冬華は前のめりになっている。必然、俺の視線の先には冬華の首元から胸元にかけてのラインが飛び込んできた。

 しかも、風呂上がりだったためか、ブラウスのボタンを首元まで留めていない。

 そのせいで、ピンクのブラジャーに包まれた冬華の双丘が丸見えだった。思わず、目が釘付けになる。


 何度か抱きつかれた時に分かっていたことだが……でかい。

 もちろん、万里江やヤイコのようなバカでかさはない。だが、小柄で細身な冬華からは想像も出来ないレベルの膨らみだ。

 普段の冬華は、布面積の多い服を好んで着るし、ステージ衣装も露出が少ないものが多い。世間ではスレンダーだと思われているはずだ。

 だがもし、水着やら露出の多い衣装やらを披露すれば、ファンの男性陣がどよめくほどのスタイルの良さを見せつけることになるだろう。


「春太さん? どうかしました……あっ」

「あっ」


 冬華が俺の視線の先にあるものに気付き、頬を赤らめながら襟元を手でキュッと隠す。

 ――そのまま、部屋を気まずい沈黙が支配した。


「す、すまん冬華! その――」

「……冬華は、構いませんよ?」

「えっ……?」


 思わず、冬華の顔をまじまじと見る。

 相変わらず、頬は羞恥に赤く染まっている。だが、その眼差しは真剣そのものだった。

 襟元を抑えていた冬華の手が、そっと離れていく。


 戸惑う俺をよそに、冬華はおもむろに立ち上がり、俺の方へ一歩、また一歩と近付いてきて――。


「春太、さん……」


 熱い吐息と共に、俺の頭をその柔らかな胸の中に抱いた。

 冬華の腕が後頭部に回され、痛いくらいに抱きしめてくる。

 顔面は、ブラジャーのやや固い感触と、その向こうにある信じられない程の柔らかさに包まれた。


「ふ、冬華……!?」

「春太さん。冬華はいつでも、覚悟は出来ています。だから――」


 冬華の腕に更なる力がこもる。

 早鐘を打つような彼女の心臓の音を聞きながら、俺は金縛りにあったように指一本動かせなくなっていた。


(まずい……これは、流石にまずい!)


 俺の心臓もバクバクと破裂しそうな勢いだ。

 脳髄の奥にも、体の芯にも熱い情動が沸き上がる。

 頭がどうにかなってしまいそうだった。


「春太、さん……」


 冬華が熱に浮かされたように俺の名を呼ぶ。

 夜はまだ、始まったばかりだった――。

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