第十七話「愛の言葉はジェラシー(1)」

「ふ、冬華? ぼちぼち出番だから、そろそろ離れてくれないかな?」

「いーやーでーすー! 冬華、ギリギリまで春太さんを独占しちゃいます♪」


 あの日以来、冬華はすっかり俺にべったりとくっつくようになってしまった。

 他人の目がない場所では、いつも俺に抱きついてきて、離れようとしない。

 どうやら、俺を誰かに――恐らくみのりに――取られまいと、独占欲を発揮しているらしい。


 幸いにして、万里江や千歳さん、そして親友であるヤイコ以外には、こんな姿を見せていない。だが、それも時間の問題だろう。

 四六時中くっついていれば、いつか誰かに目撃されてしまう。そうなれば……結果は考えたくもない。


 それに、他人の目以外にも問題があった。――俺の理性だ。

 想像してみてほしい。特級の美少女が、四六時中腕に縋り付いてその小柄で細身ながらも柔らかい極上の肢体を惜しげもなく押し付けてくるのだ。

 しかも事あるごとに「冬華は春太さんだけを見ていますから、春太さんも冬華だけを見てください♪」だなんて甘えた声でささやかれるのだ。脳が沸騰しそうだよう!

 

 冬華はまだ十六歳の少女で、守るべき存在で、大切な大切な担当アイドルで。親御さんから預かっている未成年で。

 決して手を出していい相手ではない。それはよく理解している。

 だが、俺も健康な若い男なのだ。しかも、俺だって冬華のことが嫌いな訳じゃないのだ。むしろ大好きなのだ。歳の差とか立場とかなかったら、どこかの怪盗の孫よろしく、見事なダイブを決めて襲い掛かっているかもしれない。


(持ってくれよ、俺の理性!)


 俺の孤独な戦いは、その後も数日間続いた。

 耐えきった俺を、誰か褒めてほしい……。


   ***


 どうにか「べったり期」を乗り越え、冬華はいつも通りの彼女に戻った。

 が、それはどうやら表面上のことだけらしい。

 俺にべったりとくっついて離れないようなことはなくなったが、彼女には明確な変化が現れていた。

 「スフィア」の質が、如実に下がっていたのだ。


『みなさ~ん! ありがとうございました~♪』


 会場が歓声に包まれる。観客の反応は上々。傍から見れば、十分に成功と言えるライブだった。

 だが、足りない。冬華の実力はこんなものではない。

 ライブ初見のファンは、十分に楽しんでくれたことだろう。だが、もしリピーターがいた場合、些細な違和感を覚えるはずだ。

 「あれ? 冬華ちゃん、前はもっと迫力があったような?」と。


 今日のライブ会場は、徳島県内のとある小ホール。

 ミニアルバムの発売が十一月初旬に決まった為、再び全国を回って地方営業に勤しんでいるのだ。

 と言っても、今回は全国のCDショップなどを巡る地道なモノとは異なる。小規模の会場を使っての、ミニライブツアーを敢行していた。

 前回は足を運べなかった街を中心に、全国十か所を巡る予定だ。


 今日はその初っ端だったのだが……幸先の悪いスタートだった。


「春……プロデューサーさ~ん! 冬華のステージ、きちんと観ていてくれましたか?」

「ああ、もちろん。きちんとここから観ていたよ」


 舞台袖に戻ってくると、冬華は真っ先に俺の所へ駆けてきて、甘えてきた。

 流石にスタッフさん達の目があるので抱きついてきたりはしない。だが、それでも冬華の態度はあからさまに俺への好意に溢れている。

 スタッフさん達の視線が、少し痛かった。


 痛いのは、スタッフさんの視線だけではない。頭も痛ければ、胸も痛い。

 今日のミニライブでも、冬華は見事に「スフィア」を発生させていた。だがそれは、本当に淡く、今にも消えそうな程に弱弱しい光だった。

 会場のキャパは数百人で満員御礼。本来の冬華の実力ならば、会場いっぱいに眩いばかりの「スフィア」を発生させられるはずだ。それなのに……。


 実は、原因は既に分かっている。


「冬華、今日も春太さんの為に歌いました♪」


 他のスタッフに聞こえぬように、耳元にその愛らしい唇を寄せ、冬華が俺に囁く。ぞくぞくするほどの甘い声で。

 本来ならば嬉しいその言葉が、今や俺の悩みの種だった。

 

 ヤイコの協力で「ファンの為に歌うこと」を思い出してくれたはずの冬華。けれども、今の彼女の歌は、主に俺へ向けられていた。

 冬華自身は、ファンを蔑ろにしているつもりはないのだろう。それは、弱まったとはいえ「スフィア」が発生したことからも窺える。冬華の歌声は、きちんとファンにも向けられている。

 だがファンに向けられているのは――恥ずかしながら、俺への想いがふんだんにこめられた歌声だった。

 この何か月も冬華のことばかり見てきたのだ。彼女が歌にどんな思いを込めているかなんて、言われなくなって聴けばわかる。


 冬華の心の中には、みのりに俺が奪われるんじゃないか、という恐怖心が未だにあるらしい。

 抱きついてきて離れなくなるようなことはなくなった。が、むしろ俺のへの依存心や独占欲は、日に日に増しているように思える。

 俺がいくら言葉で「大丈夫だ、どこにも行かない」と言ったところで、彼女の不安は消えない。


(一体どうすればいいんだ?)


 上機嫌な冬華に笑顔を返しながら、俺は心の中で頭を抱えていた。


   ***


 幸い、と言ってはファンに失礼になるが、今回のツアーの観客の殆どは、冬華のライブを観るのは初めてなようだった。

 そのお陰もあって、日程の半分を終えた本日までの間に大きな失敗なく、表面上だけでも順調なツアーとなっていた。

 だが――。


「ほんっとうにごめんなさい!」

「いや、謝る必要なんてないですよ千歳さん。早く、息子さんの所に行ってあげてください」

「そうですよ~千歳さん。ただでさえ、毎日のように冬華の傍にいてくださってるんですから、こちらが謝りたいくらいですよ?」

「うううっ、この埋め合わせは必ずするから!」


 ツアーの為に、秋田まで来た時のことだ。

 突然、千歳さんの電話が鳴った。発信者は旦那さん。なんと、一番下の息子さんが急に高熱を出したらしい。

 幸いにしてただの風邪らしいが、家族の一大事には違いない。俺達は万里江に報告した上で、千歳さんを東京へ帰すことにした。当たり前の話だ。


「……行こうか?」

「……はい」


 二人きりになったことで、俺と冬華の間には微妙な空気が流れていた。

 空は既に夕暮れに染まっている。ミニライブの開催は明日――つまり、前泊の予定だった。

 当然、ホテルの部屋は二つ取ってある。冬華と千歳さんの部屋と、俺の部屋を。

 それでも、二人きりでホテルへ向かうシチュエーションに、俺も冬華も、何かいけないことをしているような気分になってしまっていた。


(万里江姉さん……早く来てくれ!)


 俺と冬華の部屋は隣同士だ。だがそれでも、未成年の少女を一晩部屋に一人にさせる訳にはいかない。

 そこで急遽、万里江に秋田まで来てくれるように頼んだのだが――。


『了解! ちょっと業界の人達と接待で呑んでる最中だったけど、新幹線の切符取れたから! 大船に乗った気持ちで待ってなさい! アハハハハハッ~!』


 先程の電話口で、万里江は既に出来上がっていた。

 日が落ちない内から、何をやっているんだあいつは……。

 いてくれるだけでいいのに、果たして無事に秋田まで辿り着けるかどうか、はなはだ不安だった。


 不幸中の幸いなのは、利用するホテルが「ミカエル・グループ」御用達の、信頼出来る所であることだろう。

 失礼な認識かもしれないが、そこいらのホテルだったら、俺と冬華が二人きりでチェックインしたことで、変な噂が立ってしまうかもしれない。

 ホテルの支配人は千歳さんとも顔なじみらしく、そちらから連絡も入れてもらっていた。変な勘繰りをされる心配だけはなさそうだった。


 そのまま、無事にホテルにチェックインし、まずは冬華の部屋に荷物を運び込む。

 ポーターの女性はこちらをジロジロ見ることもなく、丁寧に荷物を運び入れ、去っていった。プロの仕事だった。


「さて、じゃあ俺は自分の部屋に行くから、何かあったら……ケータイで連絡してくれ」

「……春太さんも一緒の部屋に泊まるのは、駄目なんですか?」

「――っ」


 可愛らしく首を傾げながら、俺のアイドルがそんな爆弾発言を放ってきた。こうかはばつぐんだ。

 ……反射的に素数を頭の中で数え、冷静さを取り戻す。大丈夫だ、俺は完璧に機能している。


「流石にそれはまずいでしょ?」

「冬華は気にしませんよ?」

「いや、そこは気にしなさい! 若い……いや、若くなくても家族以外の異性と同じ部屋ってのは、猛獣の檻に飛び込むようなものなんだぞ?」

「春太さんも、猛獣なんですか?」


 ――おおっと、我がアイドル様は今日に限ってやけに攻めてくる。

 ただ単に無邪気なのか、それとも分かってて言っているのか。

 普通に考えれば後者だが、冬華は男女関係においては結構天然なところがある。さて、どう答えたものか?


「……そう、だな。可愛い可愛い冬華と一緒の部屋に寝泊まりなんてしたら、俺も猛獣になっちゃうぞ? が、がおーっ!」

「……」


 しまった。流石に滑ったか? それとも引かれたか?

 冬華は目を真ん丸にして、驚いたような顔をしている。

 だが――。


「うふふ、可愛い猛獣さんですね♪ では、食べられないように、きちんと別室にしますね?」

「あ、ああ。じゃあ、そういうことで。――何かあったら」

「スマホで連絡、ですね? 大丈夫です。寂しくなったら、すぐにお電話しますから♪」

「ドアチェーンもしっかりかけておくんだぞ」

「は~い」


 そのまま、極上の笑顔の冬華に見送られながら部屋を出る。

 ……なんだかどっと疲れた。

 万里江が到着するまで部屋で一緒に過ごす、という選択肢もあったのだろうが、やらなくて正解だったかもしれない。

 ホテルの部屋で冬華と二人きりというシチュエーションは、思った以上に攻撃力が高すぎた――。

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