第15話 おまけ・貴子の冬。(下)
キスで言えば私はとんでもない事をしてしまった。
今朝の事だ。
麗華がトイレに入った音で目が覚めた。
そうして目を開けた私は薫くんの頭に腕を回して抱き締めていて唇にキスをしていた。
どうやら寝ている間にキスをしてしまっていた。
唇に伝わる生々しい感触に驚いて飛び起きなかった私を褒めたかったのと同時にトイレに居るという事は麗華に見られた事になるので血の気が引いた。
私は必死に体勢を整えて寝ぼける薫くんに「ごめんギュッとして」と言って胸に抱き寄せて貰って寝たフリを決め込む。
やはり麗華は私と薫くんのキスを見たのだろう。
朝一番にソファをチェックしていた。
この件で良かったのは薫くんは熟睡していて何も気付いていない事。
薫くんの性格なら責任を感じて2度と来てくれなくなる。
自業自得だがそれは困る。
だから私は必死になかった事にする事にした。
麗華が大人で黙っていてくれるならそれはそれ、後日聞かれたら頭を下げようと思った。
翌朝、夜中は一度も起きずに眠れた。
今も薫くんが私を抱きしめてくれている。
リビングよりはマシだがそれでも寒い部屋、私の横で薫くんは眠っている。
悪い考えが頭をよぎる。
とりあえずあの日のように頭に腕を回して見つめ合う距離で薫くんの顔を見る。
物凄くドキドキする。
どこまで近づけるか、徐々に近づくと薫くんが起きてしまった。
ビックリした私に薫くんが「あれ?貴子さん?」と聞いてくる。
「おはよ。ごめんね。優しくして貰ってばかりだから勝手にギュッとしたくなったんだ」
「そうなんですか?俺こそごめんなさい」
取ってつけた嘘に謝る薫くん。
「え?」
「やましい気持ちとかないはずなのになんか暖かいのが気持ちよくて…今も嬉しくて、こうしてもらうのが初めてのはずなのに2度目の気がして…」
「2度目?」
「はい。夢を見ました。夢の中でも貴子さんに今みたいに抱きしめて貰って暖かくて気持ちよくて…、ごめんなさい」
「薫くん?」
「…嫌われちゃうかも知れません」
「薫くん?」
「夢の中で貴子さんは俺にキスをしてくれました。龍輝さんに悪いのにこんな夢を見るなんて俺はダメです」
驚いた。
薫くんは昨日のアレを夢だと思っていた。
「ダメじゃないよ。夢だもん」
「良いんですか?」
「なんで?薫くんは嫌だった?」
「いえ、恋愛に興味のない俺なのに嬉しくて幸せな気持ちになれて、夢の中で貴子さんの顔が目の前にあって朝の光に照らされてとても綺麗で……それに可愛かったです」
私は一気に真っ赤になる。
「じゃあまたこうしようよ」
「ダメですよ」
「なんで?」
「俺が貴子さん無しじゃ眠れなくなりますって。俺は年内だけ貴子さんと麗華さんを背負い込むのにそれはダメです。それに暖かいって凄い事だって教えてもらいました。俺は恋愛に興味がないから大丈夫なんて思っていたけどそんな事ありませんでした」
薫くんの告白に私は嬉しさと照れと様々な感情で心臓がドキドキと鳴ってしまい、バレないように願ってしまう。
「嬉しいけど私おばさんだよ?」
「だから貴子さんは間違ってますよ。貴子さんは可愛いんですから気をつけてくださいね」
「じゃあ…もう少しこうして抱きしめて見つめあいたいな」
「え?」
「だめ?」
「夢の続きみたいで嬉し過ぎますけど困りますよ」
「困るの?」
「困りますよ。麗華さんの前で顔に出てしまいます」
「ふふ。じゃあね。これは夢だよ。だから平気だよ。こうしてると不安や寂しさが消えるの。勿論抱きしめて寝かせてもらうと安心感で眠れるけど、それとは別の幸せな気持ちになれるからお願いしたいな」
「うぅ…、わかりました」
薫くんは困った顔で真っ赤になりながら私と見つめあってくれた。
「名前…呼び合ってもいい?」と聞くと照れながらも頷いてくれて「薫くん」と言うと「貴子さん」と返ってくる。嬉しくて「ギリギリまで近づきたい」と言って近づいてから抱きしめさせて貰って「ありがとう。元気出る。今日もこれで頑張れるよ」と言って私は起きた。
この日の薫くんは麗華には一度帰ると言って私には「流石に心が落ち着きません」と言って帰って行った。
この夜は結局ろくに眠れなかった。
布団の中で薫くんの匂いを探して見つけると安心したが眠って匂いがわからなくなると目が覚める。
薫くんは夜中にメールをくれたが私は「ありがとう。今日は頑張るよ。今年も後2日、2日は居てくれるよね?」と一人で頑張ると言い切れずに薫くんを頼ってしまう。
「恥ずかしいけど頑張ります」
私は嬉しくて「嬉しいよ。ありがとう薫くん。スマホ抱いて寝るね」と入れると「おやすみなさい」と返ってきた。
翌朝、麗華は「ダメだ。買い出しだよ。薫くんもウチの子になればいいのに。帰る度にお母さんがボロボロになっていく。見る?」と言ってスマホを見せてくれる。
スマホには私の寝起きの顔が写っている。
「なにこれ?」
「これは今朝のボロボロ、それでこっちが薫くんと寝た日のお母さん」
一目瞭然の別人で「アプリ使った?」と聞いてしまうと「アプリ使うより薫くんに来てもらった方が早いよ」と言われてしまった。
麗華はここぞと甘え倒していて「年末のご馳走作るから買い出し付き合ってよ」と薫くんを呼ぶと薫くんは「えぇ?」と返してくる。
「お母さんの肉ちゃんこ鍋美味しいよ。食べたくない?買い出し付き合ってくれたら明日の年越しご飯はそれだよ。夜は沢山のサラダチキンでサラダを作ってあげるよ。パンを焼くからそれを好きに挟んで食べていいよ。ドレッシングも何個も買ってあげる」
薫くんは肉の顔で「もう、荷物持ちで来ましたよ」と現れる。
どこか微妙に違う肉の顔だが麗華は「わ、やっぱりお肉で薫くんが釣れるね」と喜んで3人で買い出しをした。
麗華はバシバシと写真を撮って「新婚さんみたいだよ薫くん」と言い、薫くんは「照れるから」と返す。私は「こら、おばさんの家に来た甥っ子でしょ?」と返すと薫くんは「その認識はあらためてくださいって教えましたよね?」と呆れ顔で言いながら「貴子さん、今晩のご飯はなんですか?」とお肉コーナーの前で言う。
「んー、食べたいお肉あるの?」
「ベーコンです!」
「じゃあベーコンオムレツと麗華のサラダとパンにしようか?」
私の提案に「やりました!」と喜ぶ薫くん。それを見て麗華が「薫くん、お肉で誘拐されちゃダメだよ?」と言って笑っていた。
こうして買い出しは終わる。
薫くんは途中で帰ろうとしたが麗華が「一緒に宿題やろうよ。ウチならお母さんがコーヒー淹れてくれるよ?」と言って引き留める。
夕飯は肉肉しいメニューだったが薫くんは喜んでくれた。
大量のサラダチキンをサラダで消費してご満悦で、それでも薫くんはお風呂を最後にする徹底ぶりで、薫くんがお風呂を出ると麗華は早々に部屋に篭る。
「麗華さん?早くない?」
「このタイミングで布団に入らないと寝れる気しないんだよね。薫くんもお母さん宜しくね」
この会話だけで麗華には申し訳ない事をしたと改めて思い、どこかでキチンとケアをしなければと思った。
こうなると年末特番も見ていられない白けるような空気がリビングに漂う。
「じゃあ薫くん…もう寝る?」
「そうですね。貴子さんは昨日寝てないですよね?」
その時、私にはわかった。
薫くんは肉の顔と同じ喜びを隠し通せていない顔をした。
朝感じた微妙な違いはこれだった。
私なんかと眠る事が嬉しいのかとドキドキしてしまったが昨日眠れてないので「うん。一人は無理だったよ」と言った。
薫くんは私の手を持って「さあ行きましょう」と言ってくれた。
相変わらず手は汗ばんでいて震えていたがそれでもちゃんと布団に連れて行ってくれて先に横にさせてくれると掛け布団を掛けてくれる。
そうしてから「お邪魔します」と言って薫くんは入ってくる。
「少し早いから話そうよ」
「寝ないんですか?」
「薫くんが居てくれるからいつでも眠れるよ。眠くなるまでいいよね?」
「はい」
私が気になって聞いたのは子供の頃の薫くんについて。
薫くんは美空さんに甘えられていなかった。
抱きしめて欲しい時に言わなくても抱きしめてくれていたのは昴ちゃんで美空さんは薫くんが言えば抱きしめてくれたが、男の子から言えるわけもなく我慢する子になっていた。
「仕方ないんですが母さんは俺とも距離がありました。それに言えばやってくれるのはなんかロボットに頼むみたいで気が引けたし、俺に使う分を父さんに使ってあげて欲しかったんです」
「優しいね。じゃあこれが嬉しかったり気持ちいいならもっとおいでよ」
一瞬頷きかけた薫くんは「年末までなんです。これ以上は龍輝さんに悪いですよ」と言うので私は「真面目だなぁ」と返す。
本当、昴ちゃんと一緒で真面目で優しい。
だからこそ我慢をするのを知っている。
私は「年末までだと私が寂しいから回数減ってもお願い」と言う。
こうすれば薫くんは「…はい」と言う。この時の薫くんの顔はやはり嬉しい時の顔だった。
私は眠る時は薫くんの腕の中で薫くんを見上げながら眠る。
そして朝が来て私が先に起きた日は頭に手を回して抱きしめながら二度寝をする。
そして薫くんが起きたら見つめあって名前を呼び合う。
この日からのルーティンになった。
年越しをして鷲雄が薫くんの為に布団を買うまではずっと私の部屋でそうした。
布団が来てからはリビングのレイアウトを少し変えて布団スペースを作ると、そこでルーティンを繰り返した。
年末から何回か二度寝中にキスをしてしまっていたが驚く事はないし気にしない。
それどころか唇の感触にドキドキしながら今日はいい一日になりそうだくらいに思う事にした。
その答えは簡単だ。
理由ができたから。
一緒に眠るのは夜中に寂しくて目を覚さない為、私から抱きしめるのは美空さんに抱きしめてもらう事を遠慮していた薫くんの心を癒す為、そしてキスは寝ている最中の事だから仕方ないと言える。
龍輝には「龍輝は存在感があるからいるだけで安心できるけど薫くんは近くにいないと不安なんだよね。それに私が抱きしめる事について薫くんと話したら美空さんとの小さい頃の思い出を知れてようやく癒されてくれたから恩返しだよ」と言えば今の龍輝なら「マジかよ。そうだよな。アイツ18までそんなだったんだよな。貴子、お前は薫の母ちゃんだな。仕方ねえなまったくよ。アイツも幸せな結婚をしてもらいてえから人の温もりを知るべきだな」と言うだろう。
まあキスはバレた時は「寝ぼけて」で済ます。
現に私も無意識で薫くんは気づいていない。
それどころか知ったら真面目な薫くんはウチに来なくなる。
だからこのまま黙っていられる。
龍輝が戻ってくる気は何処かにある。
ただそれも勘違いの自惚かも知れない。
少なくとも龍輝が戻ってくるまで、戻ってこない時は出来たら麗華が巣立つまで頑張りたい。まだまだ先は長いから今くらい薫くんに元気をもらって頑張りたい。
薫くんは週の半分しか来てくれなくなったが、それでもあの肉の顔…嬉しさを隠しきれない顔で来てくれて私と布団を共にしてくれる。
寝る時は「こっちですよ」と抱きしめてくれて、朝早くに起きて抱きしめると「貴子さん」と声をかけてくれる。私はそっと「薫くん」と呼び返す。
そして何回かに一回…なんか回数増えてる気がするけどキスをする。
いつかバレたらキチンと謝ってこれからも来てもらおう。
刻まれた温もりと尊いキス。 さんまぐ @sanma_to_magro
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