16 お嬢様、浮かれる


 天井を眺め、そして目をつむる。


 あれから山下さんとご飯を食べて、それからまた一緒に家に帰った。

 言ってくれてた通り、眼鏡を掛けてくれたんだけど。

 

「……(ふぉぉぉぉ)」


 ジタバタしながら枕に顔を当て、言葉にならない叫びを枕に吸い込ませる。

 自分でも分かる、今の私は怪しい。


 今思えば、山下さんのことボンヤリとした印象で見てて、単なる人? 個体? まぁそんな感じだったんだよね。ただ眼鏡を掛けるとそのボンヤリしてた顔の骨格までがハッキリとして、急に格好良く見えたっていうか。


「……(ふぉぉぉぉ)」


 お友達、お友達でいいんで仲よくなれないかな。

 山下さんにどう思われてるかは分かんないけど、でも嫌われてはいないはず。


 ん、待って。家に何度か来てたから気にしてなかったけど、そういや連絡先知らないんだけど。聞く? いや、相当なきっかけがないとムーリー。ダメだ、きっともうダメだ。終わったね、これ。







 元カノさんとのお話し合いももうほとんど終わり、四人でティータイムもしばらくないわねーと母親が木村さんと喋っている。


 そうだよねぇ。お母さんと木村さんはお友達だけど、山下さんは用事が無い限り家に来ることなんてもうないもんね。


 気にはなってきているし会えなくなるのも寂しいから、また会えたらいいなとは思う。大学では自分から誘ったりしてる人もいるけど、単なる用事で野々村さんに電話するだけでも一日かかった私には到底無理な話で。



「だいぶ内出血も消えてきたんですよね」


 母親たちの会話がお茶を飲むことで一旦途切れたとき、山下さんが笑顔で喋りだした。


「あら、良かったわねー」

「他はもうなんともないの?」


 母と木村さんの言葉に山下さんが力強く頷く。


「はい。だからまた運動を再開しようかなと思っていて」

「あ、じゃあやっと筋トレが出来ますね」


 あのイタリア料理店でも聞いた筋トレの重要性についての熱い会話を思いだし、良かったですねと笑うと、こっちを見ていた山下さんは少し間を置いたあと笑顔でまた頷いた。


「はい」


 山下さんの返事のあとなんだか微妙な空気が流れ、その空気を切るかのようにフゥという小さな息を吐いた母親が木村さんへと顔を向ける。


「最近ね、近所に美味しいショコラのお店が出来て」

「そうなんですか」

「そうなの。日本初出店のベルギーのお店で、一度食べてみたけど凄い美味しかったのよね」

「えーそれ、私も食べてみたいです。近くって、どこら辺にあるんですか?」


 このあと二人はショコラについてを語り始め、それに私や山下さんもたまに加わって喋っていると、気づけばそろそろ…なお時間になっていた。


*


 二人をお見送りするため玄関へと歩いている途中、前を歩いていた母と木村さんがピタッと止まった。


「そういえば木村さん。この間の件ね」

「ええ小田山さん。何か進展がありました?」


 今までとは違い単調で平坦な会話を始めた二人。

 二人はしばし見つめ合った後、私と山下さんの方を勢いよく振り返った。


「ごめんなさい山下さん、木村さんとまだお話があったことを思い出したの」

「あ、そうなんですか」


 少し目を見開いた山下さんに木村さんは両手を合わせ、ゴメンねと謝っていて。

 その横で母親は私に『こっちこい』と手招きしている。


 ツツツと近寄ると、内緒話のしぐさで手と顔を近づけてきて、耳元でコソコソ頼んできた。


「柚葉ちゃん、さっき言ってたお店あるじゃない? そこでショコラのギフトを買ってきてくれない? 木村さんに差し上げたいの。山下さんにも渡してあげて」


「分かった」


 なんかちょっと違和感がある声音に疑問を覚えつつも山下さんの方を見ると、彼は空気を読んだ雰囲気で玄関の方へと一歩足を出した。


「あ、待って山下さん。お買い物を頼んだので柚葉も一緒に出るから」

「そうですか」

「そう。それで悪いけど、そのお買い物に付き合ってもらえないかしら?」

「はい構いません」


 こうしてにこやかな母親と木村さんに見送られ自宅の玄関を出て、玄関ドアが閉まったところで山下さんと顔を見合わせた。


「なんか、分かりやすい追い出しかけられたんですけど」

「はい、なんの話があるんでしょうね」


 二人してフフッと笑ったあと、家の門扉もんぴまでの道を歩き出す。


「それでどこに買い物に行くんですか?」

「さっき言ってたショコラのお店です」

「あぁ。ただずっと思ってたんですけど、ショコラってチョコレートの事ですよね」

「はい。まぁ売ってるお店が使う名称によって使い分けてるだけで、普段は私も普通にチョコって言ってますよ」


「うわっ」

「あっ、すいません!」


 話しながら道路に出ようと山下さんが門扉を開けてくれたとき、外にいた人がぶつかりそうになり山下さんは慌てて自分の方へと門を引き寄せた。


「あ、葉月」

「あ、お姉ちゃん」


 私らがお互いを確認している間に山下さんはまたゆっくりと門を開け、さっきの場所から少し後ずさってた葉月にもう一回謝った。


「すいません、大丈夫でした?」

「はい……お姉ちゃんの友達?」

「まぁうん。野々村さんと同じ会社の人で、この間助けてくれた──」

「あぁ! あの山下!」


 スマホを投げられた事件を聞いて名前だけは知っていた葉月は失礼にも呼び捨てにし、かつ『こいつか!』みたいな仕草で指さしたあと興味津々な視線をあっちこっちに動かし山下さんを観察してる。ちょっと止めてよね、減るじゃん。


 あまりにもジロジロ見られたことで居心地が悪そうになってきた山下さんを助けるため、さっさとここから離れることにする。


「じゃあ、これから買い物に行くから」

「あ、うん」

「失礼します」


 軽く頭を下げた山下さんに会わせて葉月も頭を下げ、それからまた二人で歩き出す。


「妹さんとは一歳違いでしたっけ?」

「はいそうです。でも葉月の方がお姉さんに見られることが多くて。まぁ背が高いし見た目も少し大人っぽいですし」

「確かに。柚葉さんは年齢より少し若く見えますもんね」


 そんなことを話しながらお店へと向かう。

 お店の中に入ったあとは、何を買うか悩みに悩んだものの十五分くらいでなんとかお買い物は終わり、そしてお店を出て少しした所で隣の山下さんを見上げる。


「母から木村さんと山下さんにって頼まれてて。はいこれは山下さんの分です」


 ギフトBOXが入った小さな紙袋を差し出すと、山下さんはありがとうございますと会釈をして受け取ってくれた。


「値段を知ってしまったんで、大事に食べます」

「あっほんとだ。一応、お土産なのに、笑」

「あと」

「はい、なんですか?」


 お礼を言ったときよりも真面目な顔になった山下さんは、いつのまにか持っていたスマホを私の方へと軽く差し出した。


「今更なんですけど、まだ連絡先聞いてなかったんで教えてもらってもいいですか?」


(連絡先……え、ほんまに?)


 思わず関西弁になってしまった心の中。


 すぐに返事をしなかった私に山下さんが、不審者じゃないっすよーという微かな苦笑いをしてみせる。


「怪我も良くなったし、また弓道場にも行こうかと。それで日にちが合えば一緒に行きませんか? あ、よければ、ですけど」

「……えっと、はい。行きたいです」

「良かった、じゃあ連絡しますね」


 ほっこりと微笑んだ山下さんに、ヘヘッという照れた笑みをつい返す。


「はい」


 私だけかもしれないけど変な緊張感を感じる中カバンからスマホを取り出し、とりあえずはIDを交換した。


「じゃあここからは一人で帰るので。お土産を早く持って帰ってあげて下さい」

「はい」



 手を振り去って行く山下さんを普段よりは長めに見送ったあと、自分の家がある方へと体をクルッと反転させ、それからもう一回スマホの画面を見てみる。


「……」


 山下さんのプロフ画像にはハムスターが。

 ハムちゃん、飼ってるのかな。

 

 表情は固めたまま口の中だけでグフフな笑いをし、木村さんへ買ったチョコの紙袋をゆらゆら揺らしながら機嫌よく家まで足早で帰る。


 山下さんっていい人だよねー。

 なにげに言っただけの事とかもちゃんと覚えてくれてるし。


 ルンルンで家に着き玄関を入り、そのまま客間へと向かう。

 そして軽く開いていた入り口の戸をトントンと小さく二回叩いてから中をのぞき込んだ。


「ただいま」

「お帰りなさい。意外と早かったわね」

「そうかな? 山下さんとはお店の前で別れたから、少し早かったのかも」

「あら、そうなの」


 母親は木村さんと顔を見合わせたあと、ここにお座りなさいとソファーをポンポンとしてきたのでその場所に座り、それから紙袋を手渡した。


「ありがとう──木村さん、これさっき言ってたショコラなんだけど。お試しにどうぞ」

「え、いいんですか? ありがとうございます!」


 パッと顔を輝かせホクホク顔で迷いなくすぐ受け取った木村さんを見て母親が微笑んでおり、なんかとても楽しそうだ。


「そういえばさっき山下さんと家を出たとき、葉月に会ったよ」

「あぁ。部屋の前を通ったのは見掛けたから、今は自分の部屋にいるんじゃない?」


 右から左へ流すようにこの話を終わらせようとした母親が、ふと動きを止める。

 木村さんと私はそんな母をなんとなく眺め、何かを考えてる感じのその沈黙が終わるのを数秒ほど待った。


「あの木村さん」

「はい」

「山下さんに伝えておいて欲しいことがあるんだけど」 

「はい。なにをですか?」


 母親は開いている部屋の入り口へとさっと視線を向け、そこら辺に誰も居なさそうなのを確認した後、小声で喋り出す。


「山下さんは、柚葉と野々村さんがお見合いした経緯を詳しくは知らないでしょ? それに確率は低いとは思うんだけど……でも行動範囲はそれなりに近そうだし念の為に、だからね」


「はい」

「もし葉月と偶然にどこかで会ったら、野々村さんと柚葉はまだお見合い相手として継続している、ということにしておいてほしいの」


 え、そうなんですか?

 てっきりもう、そういう意味で会うことはないのかと。


「おばあさまもこの間のことは知っていて、今のところは距離を置いてるとは伝えてるんだけど、もし葉月が元々から単なる隠れ蓑だと知って、それをおばあさまに教えてしまうと、ものすごーーーーく面倒な事になるのが目に見えてて」


 あぁなるほど。それは一大事。

 興味を別に移したいと言ってしまう可能性アリだよね。


「それに柚葉が全くのフリーになっちゃうと、あの人暇なもんだからまたあっちこっちに連絡して釣書集めに精を出しそうで、ウザ……いえ嫌よね」


 肺から重く吐き出した母のため息を、木村さんが大きく頷いて受け取る。


「分かりました、私がしっかり詳細を伝えておきます」

「そう? 悪いけどお願いするわ」

「はい。ショコラも頂きましたし、その分のお仕事はします」

「あら」


 オホホ、アハハな笑いが客間に巻き起こる中、ちょっと思っていた。

 まさかだけど野々村さんとの防波堤関係、私に本物の彼氏ができるまで続くんですか? と。



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お見合い相手の恋愛事情 井戸まぬか @manu-ito

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