渋谷で客引きに捕まり、英会話教室に通う

 何だかんだ言ってオチのない話をだらだらと続けているときが一番楽しい。


 私が通う床屋には五人の理容師が準備している。ランダムで誰か一人に切って貰えるのだが、壮年の御婦人に当たったら吉日である。彼女は壊れたテープレコーダーのように決まって同じ話を振ってくる。


 話題は「宝くじに当たったらどうするか」。


 中学生ですらあきれてしまいそうなしょうもない話題なのだが、私たちはいつもキャッキャ言いながら盛り上がっている。大金を手にしたことを周囲にさとられないまま、どうやって仕事を辞めるのか。御婦人の入念な計画を聞いている途中で毎度散髪も終わる。この時間が人生のなかで五本の指に入るくらい好きな時間だったりする。


 床屋の御婦人に感銘かんめいを受けて、今回はオチのない話をしたい。



 ***



 JR渋谷駅の西口を出ると、複合商業施設ふくごうしょうぎょうしせつ「渋谷マークシティ」に繋がる連絡用通路がある。地上部分は道路で分断されているので、二階の連絡用通路が空中回廊くうちゅうかいろうとして利用客を橋渡ししている。休日に回廊を渡れば、大きな窓に張り付く外国人の姿が見えるだろう。ここからスクランブル交差点に群がる人々を観察できるのだ。高さは気持ち足りないが、無料で出入りできるのがアピールポイントか。私はひそかにB級撮影スポットと呼んでいる。


 事件は夕刻、撮影スポットの真下で起きた。買い物の帰り道、私が回廊かいろうの高架下を歩いてると、薄暗いところから声が聞こえたのだ。


 「すみません!」


 女性の声がする。まさか自分に向けられたものだとはつゆにも思わず、私はそのまま脚を進めた。


 「そこのお兄さん、ちょっと!」


 声が追いかけてくる。そこでようやく自分が呼ばれていることに気がついた。


 しかし私も上京したての小童こわっぱではない。どうせ得体のしれないアンケート調査だろう。気持ち悪いほどにこやかな表情を作り上げると、歩く速度を緩めないまま、声のする方へと首を回転させた。


 自分と同年代か少し下、ショートカットの若い女性だった。


「少しお時間よろしいですか?」


 邪念に満ちた私の笑顔を、同意の合図と受け取ったのだろうか。彼女の話が始まった。私は表情筋が釣りそうになるのを我慢しながら、何度も頷いた。彼女は何かを話している。私はひたすら聞き流している。


 間もなく奇妙な状況に気が付いた。彼女に声を掛けられてから、もう50メートルは並んで歩いているのだ。すっかり高架下を抜けて、日の当たるみちに出ていた。一体いつまで付いて来るんだ、この女。宗教かマルチか知らないが見上げた根性である。


 興味が湧くと、自然と話も耳に入ってきた。



 「見てください。この前テレビドラマに出演したときなんですけど」



 聴き慣れない話のつかみに、私は思わず足を止めてしまった。


 「言っても端役はやくなんですけど」


 彼女が手に持ったスマホにはテレビドラマの一場面が映し出されている。著作権法なんて彼女にとっては些末さまつなことなんだろう。スマホに映る女刑事と目の前の女性の顔を交互に何度も見比べた。


 なるほど。これが心理学のなんちゃら効果というやつかもしれない。眼前にいる人がだんだんと美人に見えてきた。


 彼女は女優の卵らしい。大分出身の二十歳で、今は単身東京に出て俳優活動を続けているのだという。しばらく彼女の話を聞き、私も薄っぺらい大分トークで応酬した。




 気づくと私は渋谷のビルの一室にいた。ここは英会話教室だった。

 そして、来週から授業を受けることになっていた。



 ***



 そう思いたいだけかも知れないが、英会話教室は割とまともだった。反社会的組織はんしゃの隠れ蓑でもなければ、新しい手口の美人局つつもたせでもない。


 なら良かったね、となるところ、ただ一つ問題点があった。月2万の出費が当時の私にはきつかったのだ。


 その頃、私は世田谷にある賃貸住宅に住んでいた。世田谷といえば高級住宅街。ワンルームの家賃相場は8万円を超える。近所にも要塞ようさいのような邸宅がひしめいていた。


 そんななか、私のアパートの家賃は月々4万円。


 これを踏まえて英会話教室の値段を考えてほしい。家賃の半分の額を毎月、英会話教室に持っていかれるのである。



 加えてもう一つ苦しいイベントがあった。女優の卵は劇団に所属しており、定期的に演劇を観に来てほしいと依頼される。観に行くと言っても、チケットを買わないといけない。


 謎のプライドがある私は、ひとりで行くと舐められるだろう、と誰かを誘って行っていた。誰かのチケット代は私が出していた。チケットの価格は8000円から10,000円。それを掛けることの二人分。



 高い、高いのよ。



 やっていることは、若い芸術家を応援する資産家そのものなのに、その資産家は家賃4万の鶏小屋のような家に住んでいる。あまりにもいびつではないか。



 何か月か通ったのち、引っ越しを期に英会話教室も辞めてしてしまった。



 キャッチを通じて色んな人と出会いたい。大層な夢を掲げていた卵の彼女は、今もどこかで頑張っているのだろうか。



 ***



 以上、特に終着点も見当たらないまま話を終える。とりとめのない話に最後まで付き合ってくださった方には心より感謝申し上げたい。

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