祖母とフライパン
その年の盆休み、私は家族をお祝いするため、実家へ帰省していた。
両親は日中不在ということもあり、昼食を取るため、妹とふたり、ドライブへ出かけることに。
「ラーメンでいい?」
「いいよ」
「じゃあ乗って」
「うん」
返事をしているほうが私。叙述トリック。
滑らかな動きで、流れるように助手席へ乗り込む。
兄貴なんだから運転しろよ、という声も一理あるのだが、妹を乗せて運転席なんて、怖くて乗れない乗れない。
もしハンドルを握ろうもんなら、「今いけたじゃん!」だの、「ちゃんと見ろよ!」だの、スポーツ観戦中の呑んだくれのようなヤジが飛んでくる。
補助席でおとなしく座っていると、やがてラーメン屋にたどりついた。
カウンターの先には大きな窓が空いていて、そこから
ラーメンが来るまで、もう少し時間がありそうだ。
フライパンを振るう料理人を見ながら、私は祖母の話を始めた。
「おじいちゃんってさ、昔はめっちゃ厳しい人だったんだって」
***
私の祖母は、社交的で仕事を
ガーデニングと料理が趣味で、家の庭を季節の花で
一方の祖父は、背が高く
だからこそ、「昔はそうでもなかった」と祖母が控えめに口を開いたとき、私はとても驚いたのだ。
祖父母が結婚した当初、祖父は細かい掃除のしわすれを
「男は仕事、女は家庭」という考えが当然の時代だったし、祖母はまだ二十二歳と若かった。当然、六歳年長の夫の言葉に従わざるをえなかった。
祖父は中学卒業後すぐに就職したので、稼ぎは多くなかった。
二人分の生活費ですら、ギリギリでやりくりしていたと聞いている。
ある日、祖父は告げた。
「今月から実家に仕送りをすることにしたから」
祖父がいうにはこうだ。母(祖母にとっての姑)から仕送りを依頼されたので、言われた金額を毎月払うことにしたと。
祖母は
仕送り額が、手取りの三分の一から二分の一の金額だったのだ。家計は祖母が一任していたこともあり、祖父は気にしていなかったのだろう。
「ちょっと高すぎるかもしれない」と、祖母は遠慮がちに打ち明けたが、「今更無理だなんて言えない」と祖父は取り合わなかった。
このままでは
祖母は働き始めた。未明から明け方まで朝刊を配り、家に帰って朝食を作る。家の掃除を終えたら、昼過ぎに夕刊を配りはじめ、帰ってきたら夕飯を準備する。
そうして、なんとか家計をやりくりしていた。
そんななか、祖母が夕飯の支度をしていると、この日も祖父のボヤキが始まった。
ぽつり、ぽつり。
バケツに雨水が溜まるように。
結婚してから、着実に。
苛立ちは重なり、つもり、溜まっていた。
そして、この日、最後の一滴がバケツに落ちていった。
うるさい!
祖母は一言怒鳴りつけると、手に持っていたフライパンをそのまま祖父のあたまに振り下ろす。従順な妻からの思わぬ反撃。祖父が避ける間などなかった。加速するフライパンは糸を引くような軌道で、祖父にクリーンヒットする。
目を白黒させて驚いていたのよ、と祖母は笑っていたが、もはやそれは
***
私は妹の前で、「フライパンに打たれた祖父」を熱演する。
頭を小刻みに振り、舌を出し入れしながら、瞳をぐるぐると回転させて。
鬼気迫る演技を目の当たりして、
「意外だね、あのおじいちゃんが? 想像できない」
「そっからは家事のやり方に文句言われなくなったんだって」
持ってたのがフライパンで良かったね、なんて冗談まじりに笑っていると、ラーメンがやって来た。
その年の盆休み、私は妹の婚約を祝うために、実家へ帰省していた。
あんまり頑張りすぎないようにしてほしい。
笑い話に陰ながら、そんな想いを乗せている。
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