信じた手紙は花の香り
加藤ゆたか
信じた手紙は花の香り
それは月の無い
もちろんわざわざこの日を選んだのだ。
俺が目の前の男の
俺は男の
俺は男の
なんだ、簡単なことだ。
そして、闇はすっかり俺の心も染めてしまっていた。
*
時は
それは薬売りのお
手紙があること自体は問題ではない。その中身である。
俺、山本
今の俺は情けないことに江戸の
俺の家は
薬売りのお夏が定期的に持ってきてくれる手紙はその叔父の
俺はこの
「一之進様、いらっしゃいますか?」
「ああ、いる。お夏か、待ちわびたぞ。」
夏の強い日差しを
「寝ていたのですか?」
「ん? まあ、そんなところだ。この暑さではな。」
「そんなで刀は
「何を言うか。これだけは
「はい、これですね。預かっていますよ。」
お夏は
ほのかに花の
「何か買ってくださいますか?」
「そうだな、適当に
「はいはい、かしこまりました。」
俺はお夏の問いには適当に答えつつ、お梅から手紙を広げた。いつものようにすぐに返事を書いてお夏に
叔父の訴えは相変わらず藩に相手にされていない、俺の家の再興の話はとんと進んでいないようだ。まあ、それはここ二年くらい同じ内容である。お梅からは、俺が
しかし、叔父の方で結果が出ないことには……。それも何度も書いてお梅に伝えてきた。今、俺が故郷に帰れば命も
またいつもと同じやり取りか……。
俺は気落ちしつつもお梅の手紙を読み進めて、ふと手を止めた。
これは、何が書いてある?
「どうなさいました、一之進様?」
お夏が俺に声をかけた。
いつもなら、俺が早々に返事のための
「いや、何もない。待ってくれ、すぐ返事を書くから。」
俺は筆を取って目の前の手紙に向かったものの、さてどう返事を書いたものかと
お梅からの手紙には、ある男を殺してほしいと書いてあったのである。
その男は、
手紙には、小五郎が江戸に来ていること、小五郎を殺せば俺の家の再興に
だが、
「お夏、次に江戸に来るのはいつだったかな?」
「
「では、その時にまた手紙の返事を取りにきてくれ。何、たいしたことではない。
「わかりました。それではまた一月後……。」
「ああ、
俺はお夏を送り出した後、またお梅からの手紙の前に座り、うーむと唸った。どうしたものか……。
結局のところ、俺はお梅を信じ、菊屋小五郎を殺すことにしたのである。
*
俺は小五郎を斬った刀の血を洗い、
それからの日々もあっけないほど何もなく過ぎた。
小五郎が殺されたこと、
俺はつくづくこの町では存在感がないのだとわかり
俺は、さすがに直接的な表現は避けたが、小五郎殺しの成功の報告をお梅
「一之進様、いらっしゃいますか?」
「ああ、お夏。待っていたぞ。手紙は、ここに。」
季節は秋に入ろうとしている。少し肌寒い風が開けた戸から吹き込む。
お夏は戸の前に立ちながらも、なぜか長屋の中には入ってこようとはしなかった。
「一之進様。それはもういいのです。」
「もういい? それとは?」
「手紙です。」
「どういうことだ?」
お夏の言うことは
もういいとは。お梅は俺の返事を心待ちにしているはずなのだ。
「菊屋小五郎を見事お斬り捨てになられた。」
「……なぜそれを知っている?」
お夏は俺を
「あの手紙は私が書いたのです。いえ、これまでの手紙もすべて。」
「……なんだと?」
「一之進様の叔父、佐々木忠右衛門殿は元より、あなたのお家再興のための働きかけなどしておりません。お梅さんもあなたのことなど忘れて、別の方のところに
「お夏、何を言っているのだ?」
俺はお夏の言ったことを頭では理解していても、理解したくなかった。お夏だけではない、叔父上もお梅も俺のことを
「……では、なぜこんなことを? 菊屋小五郎を殺すためか?」
「いいえ、すべては
「復讐……。」
「菊屋小五郎はお梅さんの
父が不正の罪で捕らえられた時、父の共犯として一緒に捕らえられた
「桜屋か。」
「そうです。父は罪を着せられ殺される前に、私にすべてを話してくれました。私は薬売りに身をやつし、復讐の機会を
「そうだったのか。」
俺は父のことを信じていなかった。バカなことをして家を潰したと
「なぜ、俺に話した? 目的を
「それは、一之進様の手紙が、あまりに切実だったから。その
「それを聞かされて、そのような気持ちになるはずがない。」
「そうでしょうね……。」
俺は刀を手に取った。
「お夏、ここに来たということは、こうなることも
「……はい。」
俺は刀を抜いて、お夏に刃を向ける。
もう俺は一人殺している。あと何人斬ろうとも心が動くことはないだろう。
お夏は目を
……いや、待てよ。
「最後の手紙は用意していなかったのか?」
「……いいえ。」
お夏はそっと小さく折りたたまれた手紙を俺に差し出した。
その手紙には、以前と変わらない字でお梅を名乗る者が、お家再興の
「……俺はもう、自分の目で見たものしか信じない。」
俺は刀を
信じた手紙は花の香り 加藤ゆたか @yutaka_kato
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