第088話 引き金 ★


「いやー、やっぱり馬車よりも車だなー」


 氷室が楽しそうに車を運転している。


「…………よかったな。でも、シートベルトくらいしたらどうだ?」

「お前は村上か…………別に事故らねーからいいんだよ」


 村上が誰かは知らないが、幸福教団にも注意する人はいるらしい。


「それにしても長い仕事だったなー。これでようやくひー様のもとに戻れる」


 氷室は本当に嬉しそうだ。


「なあ、お前ってそんなにヒミコ様のことを慕っているのか?」

「あん? そらそうだろ。俺はひー様のためにある。あの人のためならなんだってやる。今回みたいにな」


 氷室は兵士数千人を毒殺した。

 計略により、ドワーフも皆殺し。

 神殿にいる生徒達も何人死ぬか……


 まさしく、悪魔の所業だ。


「気に障ったらすまないんだが、単純な疑問だ。ヒミコ様って高校生だろう? お前が従うとは思えん」

「俺はよ、海外で傭兵をやってんだよ」

「聞いた」

「そら、悲惨だったぜ。小学生みたいな子供が銃を持ち、花を持った少女が爆弾を身体に巻きつけてた。敵も味方もそんな敵を殺す。やらなきゃやられるからな」


 テレビやネットでしか知らない世界……

 知識としてはあるが、想像はできない。


「怖いな……」

「ああ、怖い。あんな世界は本当に怖い。だが、その世界はいつまで経ってもなくならない。俺も何人も殺してきたが、さすがに嫌になるぜ。それによ、そいつらはみーんな、平和を願っているんだぜ? でも、争いは終わらない」

「負の連鎖ってやつか…………平和がいいな」


 その子供たちには悪いが、日本に生まれてきて良かったと思える。


「ああ、平和が一番だ。だからひー様にはあの世界を救世してもらわなければならない。すべての人を幸福教という教えで包み込み、ひー様という絶対的な指導者のもとで争いを失くす。素晴らしいだろ?」


 理想を語る子供のようだ。


「そうなればいいな……」

「なるさ。ひー様は絶対だからな」


 絶対か……

 こいつらにとっては本当に救世の神なんだろう。

 だが、私には悪魔にしか見えない。


「あとどれくらいでつく?」

「んー? 今日中には着くんじゃね?」


 ものすごいスピードを出しているし、そのくらいかもな。


「わかった。着いたら起こしてくれ」


 私は目を閉じ、休むことにした。


 ああ……頭が痛い。

 ずっと頭が痛い。

 でも、この痛みがちょうどいい。

 痛みがないと、心がつぶれそうだからだ。

 そして、泣きたくなる。

 少女のように泣き喚いてしまう。


 あと少しだ。

 あと少しですべてが終わる。


 それまでは…………それまでは私の心が持ってほしい。




 ◆◇◆




 氷室に起こされると、中央の町の近くまで来ていた。


「お前はここで待ってろ。月城を回収してくる」


 氷室はそう言って、車を降りると、歩いていってしまった。


「ハァ…………ぐっ……すまない、すまない……うっうっ」


 車内に誰もいなくなると、自然と涙がこぼれてきた。


「ハァハァ……もう心の限界が近い。今すぐにでも手首を掻っ切りたい…………」


 死にたい、死にたい、死にたい。

 私は最低だ。

 クズだ。


 何人死んだ?

 今頃、結城たちは私を蔑み、罵っているだろう。


 嫌われたくない。

 裏切りたくない。


 でも、やってしまった。

 私は、私は…………


「落ち着け! 落ち着け! まだだ! まだやらないといけないことが残っている!」


 ヨモギを救わねば!

 あれは私の妹だ!

 絶対に救わなければならない!


 私が落ち着こうと思い、車内を観察していると、後部座席に黒い塊があるのが見えた。


「氷室のか?」


 私はその拳銃を手に持つ。


「重い……」


 私はこの銃口を自分の頭に突きつけたくなる衝動に襲われる。


「落ち着け! 死ぬのはいつでもできる!」


 私はその拳銃を懐に隠し入れると、再び、目を閉じた。



 コンコン!


 私は何かを叩く音で目が覚めた。

 何かと思って、音がした方を見ると、氷室が車の窓を叩いていた。

 その後ろには月城の姿も見える。


 ああ、寝てたのか……


 私はドアを開けると、車から降りる。


「すまん、寝てた」

「お前、どんだけ寝るんだよ。ここに来るまでも寝てただろ」

「最近、眠れなくてな……すまん」


 寝れるはずもない。


「ふーん、まあいいか。疲れがあるんだろ。さっさと南部に行くぞ」


 氷室がそう言った瞬間、車が消え、目の前にヘリが現れた。


「ヘリかー……あんた、本当に操縦できるの?」


 月城がジト目で氷室を見る。


「墜落しないから安心しろ。いいからさっさと乗れ。ここは敵地だぞ」


 氷室に急かされたので私と月城はヘリに乗り込む。

 そして、氷室が操縦席に乗ると、エンジンが起動し、ヘリが上空に飛び上がった。


「私、ヘリに乗るのは初めてだわ」


 月城はのんきに窓から外の景色を覗いている。


「まあ、そんなに乗ることはねーだろ」

「外の世界ってこんなんなんだね」

「そういや、お前はあの町から出たことがなかったんだったな。この世界は森と平原しかないからつまんねーぞ」


 月城と氷室が他愛のない会話をしているが、私の心には響かない。

 窓から見る景色も綺麗だとは思うが、私の心には一切、響かなかった。


 私がそのままぼーっとしながら景色を見ていると、ヘリはどんどんと南部に向けて飛んでいく。

 一体、どのくらい飛んだのかはわからない。

 何時間経ったのかもわからない。

 私はただただ、景色を何も考えずに見ていた。


 しばらく平原を見ていると、前方に森が見えてきた。

 その森の前には大きな砦が見える。


「あそこ?」


 月城が氷室に聞く。


「そうだ」


 氷室は月城に答えると、そのままヘリを操縦し、進んでいく。

 そして、砦の前まで来ると、降下していった。


 いよいよか……


 私は一度、懐に忍ばせている拳銃を触る。


 もう涙は出ない。

 心も痛まない。

 頭も痛くない。


 わかっている……

 私はもう…………心が死んだのだ。

 あとは計画通りに動くだけ。


 ヘリは徐々に降下していくと、ついに着陸した。

 外には車が1台あり、人族の男性とエルフの女性が2人で立っているのが見える。


 氷室はヘリのエンジンを切ると、操縦席から離れ、ヘリから降りていく。


「お出迎え、ご苦労だな、勝崎」

「よう、氷室、マジで生きてたんだな」


 2人は軽口を言い合っている。


「俺は死なねーよ」

「だろうな。ひー様が会って話を聞きたいってよ」

「ふーん、じゃあ、報告に行くかね……その女は?」


 氷室が勝崎とかいう男の隣にいるエルフを見る。


「ああ、ちょっとな……月城さんっていうのはどっちだ?」


 勝崎が私と月城を見比べる。


「あ、私です!」


 月城が手を挙げた。


「あー、そっちか。月城さんはこの子についていってもらえる? 月城さんは後で話すってさ」

「あ、わかりました」


 月城は頷くと、ヘリから降り、エルフの女性と共に歩いて、砦の方に向かっていく。


「あのエルフ、いい女だなー」

「だろ?」

「ああ…………あれがひー様が言ってたエルフちゃんね。お前が酒を飲ましてベッドに連れ込んだっていう」


 最低だな。


「いや、酒を出したのも酒に薬を混ぜたのもひー様だから」


 最低だな。


「まあ、お前の自慢話はいいわ。それよか、ひー様の所に行こうぜ」

「だな。乗ってくれ。連れていく」


 勝崎がそう言って、運転席に乗り込んだため、氷室は助手席に乗り、私は後部座席に乗った。


「なあ、勝崎、タバコねーか?」


 氷室が車を運転している勝崎に聞く。


「ないな。ひー様に頼んでみたが、触ったことがないから出せないってさ」

「絶対に嘘だろ」


 ヒミコは触ったことがない物は出せないのか……

 この情報を結城たちに伝えたいが、もう無理だ。


「だろうな。あの人、タバコの匂いが嫌いだから」

「チッ! 昔、タバコの煙を吹きかけたのが失敗だったわ」

「お前のせいかよ…………というか、ひー様に何してんの!?」


 2人が笑いながら会話をしていると、車は砦の中に入っていった。


「へー。結構、良い生活してんじゃん」


 氷室が感心しているが、正直、私も感心した。

 砦の中は道がきれいに整備されているし、仮設住宅が立ち並び、生活水準が高いことが窺えたからだ。


「幸福教だからな。幸福にしないと」

「ほーん。俺の幸福はタバコだよ」

「ひー様にそう言えよ」

「言ったよ。私はお前の健康を気遣っているんですって返された。あれは絶対に根に持ってるわ」

「そらな」


 どうでもいいけど、私もそう思う。

 タバコを吹きかけられるって最悪だ。


 氷室と勝崎のどうでもいい会話を聞いていると、前方に白い建物が見えてきた。


「ん? 本部じゃん」

「青木が作った」

「あいつ、すげーな」


 青木…………

 あ、思い出した!

 ヨモギを殴ったヤツだ!

 というか、この勝崎も動画にいた男だ!


 殺してやりたい!


 私は懐の銃に手を伸ばしそうになったが、踏みとどまった。


 落ち着け!

 こんなヤツらを殺しても意味がない。

 やるべき相手はヒミコだ。


「はい、着いたぞー」


 私が必死に動揺を隠そうとしていると、車が止まり、勝崎が声をかけてきた。


「あー、長かった。さっさと報告して休みたいわ」


 氷室が車を降りる。

 私は一度、息を吐き、気を引き締めると、車を降りた。


「こっちだ」


 私達が車から降りると、勝崎と共に建物に入っていく。

 建物の中に入ると、左横に受付があり、エルフの女性が座っていた。


 公民館みたいだ……


「ひー様に会う」


 勝崎が受付の女性に声をかける。


「伺っております。会議室へどうぞ」


 女性はニコッと笑い、正面にある扉を指差した。


 あそこか……

 あそこにヒミコがいる。


 私が何とか気持ちを静めていると、勝崎は正面の扉まで行くと、扉をノックした。


「ひー様、勝崎です。氷室と生徒会長さんを連れてきました」


 勝崎が扉に向かって声をかける。


「入りなさい」


 ヒミコの声だ。


「失礼しやーす」


 勝崎が扉を開け、部屋の中に入ったので私と氷室も中に入った。

 部屋の中は広く、床も壁も真っ白だった。

 そんな中、部屋の奥で無駄に豪華な椅子に座っている女性の赤色がひどく目立っていた。


 真っ赤な和服、金の髪飾り、人を人として見ていない冷たい目。

 間違いなく、あの時に体育館の壇上にいたヒミコだ。


 ついに来た……

 ここまで来た!


 私達は奥に行き、ヒミコの前まで進んでいく。

 ヒミコの横には銀髪の女性が立っていた。


 あれは確か、私達を転移させたリースだったかな?

 神谷は……いない?


「あれ? ひー様、神谷のバカは?」


 氷室が軽い口調で尋ねる。


「バカ……?」


 薄ら笑いを浮かべていたヒミコが真顔になった。


「あ、やべっ…………いや、神谷はどこかなーって思っただけですよ」


 氷室は慌てて、訂正する。


「……まあいいです。ミサは朝からナツカとフユミに連行されました。どうせ、釣りか探検です」


 ナツカ、フユミ……

 東雲姉妹か。


「相変わらずのバカ姉妹ですねー」

「ですね」


 氷室が今度は東雲姉妹をバカ呼ばわりしたが、ヒミコはスルーした。


 そういえば、ヒミコと神谷は幼なじみの親友同士って結城から聞いたな……


「楽しそうでいいねー」

「結構なことです。それよりも氷室、お疲れ様でした。お前のおかげで事は順調に進んでいます」

「ひー様のためなら何でもしますよ」

「よろしい。長い仕事でしたし、何か褒美を与えましょう。何が良いです?」


 ヒミコが身を乗り出して、聞く。


「タバコ」


 氷室が即答した。


「よろしい。長い仕事でしたし、何か褒美を与えましょう。何が良いです?」


 ヒミコがさっきとまったく同じセリフを言う。

 どうやら、タバコはダメらしい。


「タバコ…………いや、何でもないです。酒とか肉が良いっすわ。女神教はケチでロクなもんを食ってないです」

「あらあら、さすがは女神教。ひどいですねー。では、今夜はバーベキューにしましょう。いくらでも飲み食いしてもいいですよ」

「あざっす」


 氷室が軽く頭を下げると、ヒミコが私を見る。


「さて、生徒会長。お前もご苦労様でした。大変でしたでしょう?」

「いえ…………」

「お前にも褒美を与えましょう。何が良いです?」

「褒美はいらないですが、ヨモギに会いたいです」

「そういえば、そうでしたね。勝崎、ヨモギちゃんを呼んで」


 ヒミコが後ろに控えている勝崎に指示を出した。


「少々、お待ちを」


 勝崎は頭を下げると、部屋を出ていく。


「氷室、結城君達は仕留めましたか?」


 勝崎が部屋を出ると、ヒミコが氷室に聞いた。


「はい。食事にひー様から頂いた毒を混ぜました。毒が効けば死んでると思います」


 あいつらは生きている。

 私が食事をすり替えたからだ。


「リース、お前が作った毒です。大丈夫でしょうね?」


 どうやらあの毒はこの銀髪女が作った毒らしい。


「もちろんです。味も匂いもしない。遅効生の毒ですよ。生き残れるわけないです」

「ふーん、まあ、あんたがそう言うならそうなんでしょうね」


 よし!

 こいつらは結城たちが生きていることを知らない。

 これで結城たちはひとまずは安心だろう。


「――お姉ちゃん!」


 私が内心ホッとしていると、聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきた。

 私はその声を聞いて後ろを振り向くと、ヨモギが立っているのが見える。


「ヨモギ!」

「お姉ちゃん!」


 私がヨモギの名前を呼ぶと、ヨモギが私に向かって走ってきた。

 私はそんなヨモギを見て、強烈な違和感を覚えた。

 だが、そんなことはどうでもよかった。


 ヨモギは私のもとに来ると、飛びついて抱きしめてきた。


「ヨモギ……」


 ああ、ヨモギだ。

 私の妹だ。

 守るべき私の妹…………


 なんだ?

 なんだこの違和感は?

 何かがおかしい。


「素晴らしい姉妹愛ですねー。感動です。ふふっ」


 私は何かの違和感を覚えてきたが、ヒミコの声で違和感が消え去った。


 そうだ。

 これでいい。

 このチャンスを待っていた!


 私はヨモギを引き離すと、ヨモギを後ろに下げる。


「お、お姉ちゃん?」


 ヨモギは私の行動に疑問を持ったようだが、私は無視した。

 そして、結界を張ると、懐から拳銃を取り出し、ヒミコに向ける。


「お、お姉ちゃん! 聞いて!」

「黙っていなさい!」


 私はヨモギを遮り、ヒミコを見た。

 ヒミコは拳銃を向けられているというのにニヤニヤと笑っている。


「おやおや、それはモデルガンですかね? いけませんよ。モデルガンでも人に銃を向けてはいけません。生徒会長ともあろう者がそんなことも知らないんですか?」


 こいつはどこまで人を煽るのが好きなんだ……


「モデルガンではないことはわかっているだろう。それに人に向けてはいけないとは習ったが、悪魔に向けてはいけないとは習っていない」


 人の心を弄ぶ悪魔め!


「ふふっ。そういえばそうですね」

「笑ってろ」


 こいつは殺す。


「うーん、その結界は銃も弾くんでしたっけ?」

「そうだ! お前らは良く知っているだろう!?」

「そうなの?」


 ヒミコが氷室を見る。


「ええ。マシンガンを連射しても破れませんでした」

「それはすごい!」


 ヒミコが子供のようにはしゃいだ。


「私はお前を撃てる。けど、お前らは撃てない。私の勝ちだ」

「クスクス。お前は本当にバカですねー」


 ヒミコが心底馬鹿にしたように笑う。


「何がだ!」

「まず、神である私をそんなもので殺せると思っているところです。神が死ぬわけないでしょう? それとその拳銃は車にあった氷室の物ですよ?」

「弾は入ってる!」


 それは確認した。


「違います。氷室の物ということは私が出した物です。つまり…………」


 ヒミコがニヤッと笑った瞬間、私の手の中から拳銃が消えた。


「なっ!」

「当然、消せます。お前が余計な武器を持ち込んでは困るからわざと置いておいたんですよ。少しは疑いましょう。これがお前がバカな理由です」


 クソッ!

 確かにそうだ。

 敵の武器を使うバカがいるか!


「お前が私に降っていないことは最初からわかってました。実はね、私は誰が信者かを把握できるんです」


 神の力か……

 得体の知れないバケモノめ!


「クソッ!」

「月城さんはあんなに素直なのにねー。お前はいけません」

「月城もお前がたぶらかしたんだろ!」

「それは月城さんにも失礼ですよ。彼女がどういう想いで裏切ったと思っているんです。彼女は結城君のことが好きだったんですよ? それでも裏切った。それほどまでに追い詰められていたんです。だから私を頼ったのです。私は救いを求める者を救います」


 …………知らなかった。

 そうだったのか。

 月城って結城のことが好きだったんだ……

 いや、これはどうでもいい。


「救う? 自分の信者を集めているだけだろ!」

「それの何が悪いんです? 私は信者を得る。人々は救われる。最高ではないですか」

「そんなものはまやかしだ! ただのカルトだろ!」

「クスクス。苦しいですねー。お前のそのちっぽけな頭では無理でしょうね。頭が良くても、成績が良くても、ただの子供…………お前、なんで私を殺すんです?」

「なんでって…………」


 悪だから?

 テロリストだから?

 ヨモギを傷つけたから?


「お前、明確に私を嫌う理由がないでしょう? お前はただ、幸福教という新興宗教が嫌いなだけ」


 …………え?


「自分でも気付いていませんでしたか…………日本人は宗教に無関心。特に新興宗教と聞くとやたら嫌悪します。それがお前です」


 なんとなくだが、納得がいったような気がした。

 私は別にテロのことも気にしていない。

 異世界に来ても…………結城たちがいて……初めて友達が……仲間ができて……楽しかった。


「お前のような者こそ私が必要なんですけどね。勉強ばかりして、優等生になることばかりを重視した。とても良いことですけど、まずは自分の幸せを見つけないといけません」


 マズい……

 これはマズい。

 心を奪われる。


「黙れ!」

「まあいいですけどね。お前はもう手遅れです。心が死んでしまっています」


 そんなことはわかってる!

 私はもう……

 だが、ヨモギだけは逃がす!


 私は右腕で後ろにいるヨモギを庇うようにし、少しずつ、後ずさる。


「逃げますか?」

「この結界は破れん!」

「でしょうね。実はお前がバカな理由がもう1つあります」

「黙れ!!」


 言うな!

 しゃべるな!


「そういうところです。本当はとっくの前に気付いているくせに直視しない。現実を見ない。本当に憐れです」

「黙れ!」

「お前、誰を救いにきたんです? 誰を逃がしにきたんです?」


 ああ……

 やめて……


「そんなものを求めている人はこの地にはいないというのに」


 ヒミコがそう言った直後、私の背中が急に熱くなった。


「よ、ヨモギ……」


 後ろを見ると、ヨモギの手にはナイフが握られ、私の背中を刺していた。


「ごめんね、お姉ちゃん。でも、ヒミコ様に逆らうのが悪いんだよ」


 ああ……

 気付いてはいた。

 だって、ヨモギはどんなに追い詰められても私を頼るような子じゃない。

 あの動画が嘘くさいことにも気付いていた。

 さっきだって、ヨモギの髪や肌がやけにきれいなことにも気付いていた。


 ヨモギが……とっくの前にヒミコに降っていることに……信者になってしまっていることに……本当は気付いていた。


「認めなくなかったんですか?」


 認めたくなかった……


「お前、自分の心がいつ死んだのかわかってないのでしょうね。お前はあの動画を見ていた時にはとっくに死んでましたよ。無理やり、心を捻じ曲げて目標を作り、生きていただけです」


 わかっている。

 月城がそうであったように私の心も限界だった。

 そんな時に月城とヨモギが降ったことに気付いて……羨ましかった。

 私は降れないから……


「ハァハァ……確かにバカだ……」


 素直に降ればよかった。

 もしくは、逃げればよかった。


「まったく……幸福を求めない者はこれだからいけません」


 ヒミコが呆れたように私を見ている。


 もう……ダメかな……

 背中の感覚がなくなってきた。


 結城、風見、安元、すまん。

 本当にすまん。


「ハァハァ……ヒミコ、銃をくれ」


 私は何とか言葉を紡ぎだす。


「おやおや、最後に心を取り戻しましたか。どうぞ」


 ヒミコは何の疑いもせずに手をかざした。

 すると、さっきのハンドガンが私の目の前に現れる。


「ヒミコ、妹を頼む」

「私の子ですからね。言われなくてもそうします。幸福に導くのが私の使命」


 ヨモギ……

 ダメな姉でごめん。

 でも、お前を人殺しにはさせない。


 私は銃を手に取り、躊躇せずに引き金を引いた。


 私は氷室が言うように引き金を引ける人間だったらしい。

 自分にだけ…………

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る