第081話 幸福の形は人それぞれ ★


 酒場の隅でごにょごにょと話していた岸さんはアキト君を連れて戻ってきた。


「こんにちは」


 ヒミコ様がアキト君に挨拶をする。


「あ、こんにちは。えーっと、高橋さんじゃないんだっけ?」


 挨拶を返したアキト君がヒミコ様に聞く。


「そうですね。私はヒミコです。アキト君は1年の時、同じクラスではありませんでしたか?」


 あ、そうなんだ。


「だね。ちょっと違和感がすごいんだけど……」

「まあ、高橋さんですからね」


 正直、私も違和感がすごい。

 というか、高橋さんはどうなっているんだろ?

 意識があるのかな?


「えーっと、ヒミコ様と呼べばいいのかな?」

「好きに呼んでいいですよ。それよりも2人共、座りなさい…………あー、席が4つしかありませんね。鈴木、お前は元の席に戻りなさい」

「うっす」


 鈴木さんがさっきまで座っていた近くの席に座ると、それを見たアイちゃんとアキト君が顔を見合わせながら席に座った。


「では、話をしましょう。さあ、篠田さん、続きをどうぞ」


 ヒミコ様が私に振ってくる。


「え? 私です?」

「あなたがこの2人を救いたいと言ったのでしょう? 私は別にどっちでもいいです」


 ヒミコ様がそう言うと、アイちゃんとアキト君の身体がビクッと動いた。


「えーっと、2人共、幸福教に入信しましょう。今なら入れます。あと少ししたら入れません」


 私は何を言っているんだろう?

 将来、営業職にはつけそうにないな。


「ちなみに猶予は数ヶ月ですね。その間にすべてが終わります」


 隣に座っている人が怖いよ……


「それは俺達を殺すってことでいいのか?」


 アキト君、すごい!

 この状況で立ち向かった!


「はい。私の世界にはいりません。邪魔なので死んでください」


 帰りたい……


「何故、殺す?」

「私は幸福を愛します。平和を尊びます。つまり、私の世界には不穏分子はいりません。ねえ、篠田さん?」


 こっちに振ってきたー!

 やめてー!

 空気を呼んでー!


「平和は大事だと思います」


 無難、無難。

 無難な答え。


「独裁者に聞こえるんだが?」


 私も聞こえる!


「独裁者の何が悪いんです? 篠田さん、南部の森は不快ですか?」

「いえ、快適です」


 これは自信を持って言える。


「大抵の独裁者は人々から搾取します。だから人々は不幸になり、独裁者は悪と呼ばれるのです。ですが、私は違います。私は幸福の神であり、人々を救うのが使命です」

「でも、敵は皆殺しか?」

「当たり前です。どこの世界に敵を放っておくバカがいるのですか? ましてや、その敵は私の大事な子を傷つける。生かしておく意味はありません」


 ヒミコ様の目には一点の曇りもない。


「俺達は幸福教団と争うつもりはない。正直、女神教もどうでもいい。最初は日本に帰りたかったが、この1年で覚悟は決めた」

「そうでしょうねぇ……」


 ヒミコ様がチラッと目線を落とし、アキト君の手を見た。

 私もヒミコ様に釣られてアキト君の手を見たが、彼の左手の薬指には指輪がはめられていた。

 アキト君の手を見て察した私はすぐにアイちゃんの左手を見たが、アイちゃんの薬指にも同じデザインの指輪がはめられていた。


 そういうことか……

 私はさっき、ヒミコ様の言っていた意味をようやく理解した。

 この2人はこの世界で生きていくことにしたんだ。

 まだ、17、8歳だけど、結婚したんだ。


 そして、ヒミコ様はそこに付け込む気なんだ。


「良いですね。実に良いですね。私は幸福の神。幸せそうな2人を見ると、私も嬉しいです」

「そう思うなら放っておいてくれ」

「いえいえ、放っておけませんね。このままではお前達は不幸になってしまう可能性もあります」

「どういう意味だ?」


 アキト君がヒミコ様に真意を尋ねたが、ヒミコ様は無視して、アイちゃんをじーっと見始めた。


「男の人は頼りになりませんね?」


 ヒミコ様はそのままアキト君を無視し、アイちゃんに声をかける。


「アキトは頼りになってるわよ」

「本当に?」

「何が言いたいのよ?」

「こういう時に男の人は女の人の不安を理解できないものです。親がいればまた違うんでしょうけどね」


 ヒミコ様の言葉を聞いたアイちゃんは驚いたように目を見開き、ヒミコ様を凝視したが、すぐに項垂れた。


 私はまったくこの話についていけていない。

 多分、アキト君もだろう。


「怖いですね。ここは異界の地。不安になります。どうしましょうか?」


 ヒミコ様がアイちゃんを追い込んでいくと、アイちゃんの目から涙がこぼれてきた。


「な、何を言っているんだ?」


 涙を流すアイちゃんを見たアキト君は動揺しながらヒミコ様とアイちゃんを交互に見る。


「怖いでしょう? だったら何をすればいいかわかりますね? 誰を頼ればいいかわかりますね? 実は私の信者には医者がいます。というか、日本の医療機関に連れていくこともできます」


 ヒミコ様がそう言うと、アイちゃんが再び、顔を上げ、目を見開く。


 私はヒミコ様の言葉とアイちゃんの表情で話している内容を理解した。


 アイちゃんは…………


「おい、アイカ、どこか悪いのか!?」


 アキト君はまだわかっていないようでアイちゃんを問い詰める。


「ね? こういう時に男は役に立たない」

「どういう意味だ?」

「まあ、お前はまだ高校生ですし、仕方がないです…………結婚おめでとう。結婚の次は何です?」

「結婚の次…………」

「男はするだけだから気楽なものですねー」


 ヒミコ様の呆れたような言葉でアキト君の顔が真顔になった。

 ようやく理解したのだろう。


「………………アイカ?」


 アキト君はアイちゃんの顔を見た後、ゆっくりと視線を落とした。

 アイちゃんは何も答えずに頷き、アキト君が見ている自分のお腹をゆっくりとさすった。


 アイちゃんは妊娠しているのだ。


「鈴木、かなり差が開いていますよ?」


 ヒミコ様が笑いながら近くに座っている鈴木さんを茶化す。


「…………何も聞きたくねーです」


 鈴木さんはその場で突っ伏して、耳をふさいだ。


「そういうところがお前はダメなんです」


 ヒミコ様が鈴木さんに追い打ちのダメ出しをすると、再び、アキト君とアイちゃんを見る。


「この世界の医療はどのレベルでしょうね? まあ、産めないということはないです。どこかに産婆さんもいるでしょう。でも、子供が大人まで生き残れる確率はどの程度でしょうね? 子供って、病気になりやすいですし、予防接種とか色々必要ですよね?」


”あれは簡単です。篠田さん達よりも簡単。守るべき者がいる者の最終決断はどれだけ悩もうとも、相手のことを考えて結論を出します。絶対に保身に走ります”


 さっき、ヒミコ様が言っていた言葉だ。

 真意はこれだろう。


「アイカ…………」


 アキト君がアイちゃんの肩をそっと抱く。

 すると、アイちゃんはそのアキト君の手をぎゅっと握った。


「だ、大丈夫、私は大丈夫だから…………」


 全然、大丈夫には見えない。

 今でも不安に押し潰されそうな顔をしている。


『もうほぼ詰みましたよ! ね!? 簡単でしょ!?』


 脳内にヒミコ様の嬉しそうな声が響いた。


『もう降るでしょうか?』

『アキト君はアイちゃんを優先する。アイちゃんはお腹の子を優先する。結論は出てるでしょ』


 まあ、そうかも。

 どちらにせよ、安心なところで子供を産み、育てたいと思うだろう。


『よーし! あと一押ししようか! 私がここで2人を冷たく突き放すから篠田さんはそんな私を止めてね』

『台本はやめた方が良くないですか? ヨモギちゃんが言ってましたよ?』


 なんかグダグダになったって言ってた。


『…………そうでしたね。やめときます』


 ヒミコ様がちょっとしょぼくれた。

 詳しく聞いていないんだけど、何があったんだろう?


「岸さん、幸福とは何かを今一度、考えてください。あなた達が私のために祈ってくれるのならば、私があなた達を祝福しましょう。あなたとアキト君と2人の子を守りましょう」


 ちょっと落ち込んでいたヒミコ様だったが、すぐに立ち直り、優しい声色でアイちゃんを諭す。


「……………………」


 アイちゃんは何も答えない。

 だが、さっきの言葉はアイちゃんに向けられた言葉ではない。

 あれは間接的にアキト君に向けられた言葉だ。

 その証拠にアキト君の顔は決意に満ちている。


「…………ヒミコ様、降ります」

「アキト!」


 アキト君が出した結論をアイちゃんが止める。


「アイカ、悪い。俺は何も気付いてやれなかった」

「アキト…………」


 2人が見つめ合う。


『席、外したくないです?』

『外したいです……』


 完全に2人の世界だ。


「俺は世界でお前が一番大事だ。それと同じくらいこの子を大事にすると誓う。だからここはお前とこの子を優先させてくれ」

「アキト…………」


 周りをよく見ると、他のお客も雰囲気を察して、チラチラと2人を見ている。


 ホント、席を外したいなー……


『私らがいなかったらキスしてるよね?』

『いてもしそうな雰囲気ですよ……他のお客さんもそれを期待しています』


 いつの間にか騒がしかった酒場がシーンとしているし。


『止めてよ』

『嫌です』


 絶対に嫌。

 私は今、いかに自分の存在感を消すかに全力なのだ。


 2人は見つめ合ったまま、何もしゃべらない。

 そして、そのまま顔が近づいていき…………


 キスするかと思ったのだが、ふいにアイちゃんの顔が止まった。

 そして、こちらを見てくる。


 私とヒミコ様は同時にサッと目線を逸らす。

 すると、アイちゃんは周囲を見渡した。

 もちろん、他のお客さんも目線を逸らす。


 私はチラッとアイちゃんを見ると、顔が真っ赤だった。


「ケッ! やってらんねー……」


 鈴木さんの悲しい声が酒場に響いた。

 



 ◆◇◆




 アイちゃんとアキト君は2人の世界から出てきて、酒場の喧騒も元に戻ったので話を再開することにした。


「あの、ヒミコ様、お世話になることにします」


 顔を赤くしたアイちゃんが頭を下げる。


「う、うん。よろしくね。頑張って良い家庭を築いてください」

「ありがとうございます。それとお見苦しい姿を見せてしまってすみません」

「いや、いいんだけどね。なるべく2人っきりの時にした方がいいと思うよ」


 ヒミコ様が素になっている。

 というか、ちょっと引いている。


「はい…………」

「まあ、何にせよ、一度、医者に見せた方がいいと思う。ウチの前野を紹介するから南部の森においで」

「すみません、お願いします」

「じゃあ、迎えを寄こすから。アキト君もそれでいい?」

「お願いします」


 迎えが来るということはアイちゃんとはここで一時、お別れかな。


「ヒミコ様は南部の森にいるの?」


 アイちゃんがヒミコ様に聞く。


「そうですね。南部の森に来たらアキト君もあわせて、一度、会いましょう」

「わかりました。篠田っちは?」

「私は勧誘の旅を続けるよ。というか、始まってすらいないけどね」


 最初の勧誘がこれとは中々、厳しい旅になりそうだ。


「そっかー……気を付けてね」

「うん」


 まあ、そこで突っ伏している鈴木さんがいるから大丈夫だと思う。

…………大丈夫かな?


「岸さん、アキト君、あなた方は他の生徒の情報を知りませんか?」


 ヒミコ様が2人に聞く。


 どうでもいいけど、ヒミコ様、多分、アキト君の苗字を知らないな……

 私はそもそも聞いてないから知らないけど、ヒミコ様は去年、同じクラスだったんじゃないの?


「他の生徒かー……多分、女子は中央近くの町に集まっていると思う」


 アイちゃんが思い出すように答えた。


「だね。私達もとりあえずはそこを目指そうと思っている」


 女子は女子生徒狩りを知ってから群がるようになっており、多分、まだあの町にいると思う。


「男子はどうです?」


 私とアイちゃんの話を聞いていたヒミコ様がアキト君を見る。


「いや、男子はわからない…………結構、ばらけていると思う」

「ですか……篠田さん、男子を勧誘することを止めはしませんが、くれぐれも気を付けてください。鈴木、あんたが守るのよ…………鈴木!」


 ヒミコ様が声をかけたのに、テーブルに突っ伏したままの鈴木さんを怒鳴った。


「聞いてますよー」

「だったら返事をしなさい。というか、いつまで落ち込んでいるんですか?」


 ヒミコ様が呆れ切っている。


「あんなんを見せつけられたらねー……どうして俺には……」

「そういうところがダメなんですよ。男だったら俺についてこい的な感じでいきなさい」

「ひー様、俺についてこい!」

「誰があんたみたいな泥船に乗るか! ついてくるのはあんたよ、あんた!」

「泥船って……ひっでぇ」


 鈴木さんって、幸福教団の幹部だったっけ?

 教団の人事係は誰だろう?

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