第022話 幸福教に入るだけで幸せになれます ★


 薬のようで毒にもなりそうな甘い言葉を吐いた幸福の神は集会場から出ていってしまった。


「ヨハンナ、とりあえず、元の場所に座れ」


 俺はいまだに床にへばりついているヨハンナに指示をする。


「はい」


 ヨハンナはスッと立ち上がると、何食わぬ顔でさっきまで座っていた場所に座った。


「ヨハンナ、お前は幸福の神につくということでよいな?」


 俺は皆もわかりきっていることを敢えて確認する。


「そうなります。我が信仰はヒミコ様のものです。狐族は幸福教団に降ります」


 どうやらヨハンナだけででなく、狐族全体の話らしい。


「一応、聞くが、何故だ?」

「狐族は強い者につきます。元より、幸福教団への入信はすでに一族で議論を重ねて参りました。そして、この度、ヒミコ様とお会いし、一族の命運を預けるには十分と判断しました」


 こいつは最初から腹が決まっていたのか……

 だから真っ先に接触したのだ。

 さすがは狐族。

 行動が早い。


「わかった。好きにするがいい。他の者はどう思う?」


 俺は他の一族に尋ねる。


「せめて、南部の戦の結果を知ってから結論を出すわけにはいかんか?」

「私も気になっているのはそこです」


 狼族の族長と兎族の族長は近いうちに起きると思われる南部での戦争の結果が気になるようだ。


「そこを気にする必要はあるまい。もし、幸福教団が負ければ、次は我らなのは明確。ならば、勝敗を傍観するのではなく、幸福教団が負けぬように動くべきだ」


 猫族の族長は幸福教団寄りか……


「おぬしは幸福教団につくと?」

「我が猫族は最終的にはジーク殿の判断に従う。だが、幸福教団に入るべきと考えている」


 やはり幸福教団に入るべきという者も出てくるか……

 もはや、これまでかな……

 あのヒミコは我らの弱点をついてきた。

 我らが漠然と思っていた将来への不安を的確についてきたのだ。


 俺達は今日までずっと戦ってきた。

 元来、獣人族とは臆病で繊細で戦いを好む種族じゃない。

 だが、命の危機になれば、どこまでも残酷になれる。

 獣とはそういうものであり、その血を受け継ぐ我らはそういう種族なのだ。


 戦いたくない。


 皆が思っていたことだ。

 いつまで戦えばいいのか……

 人族は殺しても、殺しても、どれだけ殺しても、川の水のようにいつまでも押し寄せてくる。


 そんな地獄のような争いに終わりが見えてきた。

 チラつかされた。

 あの幸福の神ヒミコは自分についてくれば、平和を与えてくれると言っているのだ。


「幸福の神の目的はなんだと思う?」


 俺はわかり切っていることを聞く。


「支配だろう。この世界を完全に支配し、信心を独占するつもりだ。すべての人民を自分を崇めるための人形と化すことだろうな」

「女神アテナと一緒か……」

「いや、あれよりもタチが悪い……幸福という甘い言葉で苦しむ人々の心を奪う。そして、間違いなく、逆らう者は殺されるだろう。そのために悪魔の武器を持つ狂信者がいるのだ」


 悪魔の集団か……

 女神教の精鋭を一瞬にしてミンチにしたという…………


「ヨハンナ、もし、我らが降らなかったらどうなると思う?」

「特に何もないでしょう。ただ、助けてもくれません。女神教に殺されるのを静観して、後で取って付けたように女神教を鬼畜と批判するだけです」


 ある意味、わかりやすい。

 自分に従うならば、救う。

 そうでなければ、人にあらずという考えである。


 根本的な考えは女神アテナも幸福の神ヒミコも一緒なのだ。

 まあ、神なんてそんなものだろうな。


「とどのつまり、我らは神の争いのコマか?」

「コマにしてもらえるなら結構ではありませんか? これまではコマにすらしてもらえず、ただ迫害されてきました。今なら人権と共に自由をくれると言ってきているのです。断る理由はありませんわ。ヒミコ様は天に唾を吐くことをするなとおっしゃっています」


 天……自分か……

 わかってはいることだ。

 ヒミコにつくデメリットはなく、メリットは多くある。


「戦士たちよ、正直に答えてほしい。もし、俺が幸福の神につかないと言った時にそれでもヒミコについていくという者は挙手をしてくれ」


 俺がそういうと、狐族のヨハンナをはじめ、兎族、犬族などの半数に近い長達が手を挙げた。


 犬族もか……

 いや、犬族は多くの同胞が奴隷となっている。

 ヒミコはエルフの奴隷解放を謳っているらしいし、便乗したいのだろう。


 しかし、これで数の多い犬族が抜けることは決定的か……

 これはもう戦にならんな。


「次にもし、俺が幸福の神につくといった場合、拒否する者は挙手を」


 俺が挙手を促しても誰も手を挙げなかった。


 まあ、そうだろうな。

 少なくとも、明確に拒否するのは無理だ。

 相手は自らを否定する者を許さないカルトの恐ろしい神である。

 だからといって幸福教に入るのが嫌というほどでもない。

 何故なら、ただ幸福を求めればいいのだから。


 本当に上手な神だと思う。

 規律を緩くし、誰もが当たり前に願うことだけを強制する。

 そして、その先にあるのは自分だ。

 幸福を掴めば、誰だって感謝する。

 そこまで導いてくれた絶対の神に。


「諸君らの意見はわかった。正直、俺も同じ意見だ。ヨハンナ、幸福の神の指示を仰げ。南部に援軍に行けというならば、行く」

「かしこまりました」


 俺は出ていくヨハンナを見送った。

 そして、思わず、ため息をつく。


 結局は女神教がクソな時点で俺達に選択肢はないのだ。

 あのヒミコしか選択肢がない。


 ……いや、物事はポジティブに考えた方がいい。

 ヒミコは自分の信者でさえあれば、幸福を授けてくれる単純でわかりやすい神だ。


 だったらどうすればいいかなんて子供でもわかる。

 祈りを捧げるしかない。


 しかし、複雑だな……

 自分を肯定する者のみを愛し、否定する者を殺す神って、どう考えても邪神のたぐいである。


 まさか、自分が邪神を信仰する日が来るとは思わなかった。

 エルフもこんな気分だったのだろうか……




 ◆◇◆




「ひーさまー、獣人族は降りますかねー?」


 キャンピングカーの中で休んでいると、ミサが寝ころびながら聞いてくる。


「確実でしょ。さっき、ここに来るまでにヨハンナが言っていたことがすべて。獣人族には未来がないの。このまま人族と戦い続けてもどうしようもないし、圧倒的な人数と資源の差があるからいずれ負ける。それは獣人族だってわかってる」


 あの首領はとても冷静に物事を見ていた。

 そんな男ならば、当然、わかっているだろう。

 だが、わかっていてもどうしようもないのだ。


「ジリ貧ってやつですか?」

「そうね。ここを放棄して、散り散りに逃げても、それこそ各個撃破で捕まって奴隷にされる。そんな憐れな者達を救う私はなんて素晴らしいんでしょうね」

「弱っている者につけ込むなんて、悪徳教団の本領発揮ですねー」

「覚えておきなさい。私は正しいことしか行わない。悪いのはそんな弱者を作り出す世界よ。日本もこの世界も一緒。私という救世主を必要とする世界が悪いの」


 真に世界が平和なら私は必要ない。

 だが、残念ながら世界は私を求めている。

 幸福の神にすがりたいと思う人々は大勢いるのだ。


「正しいですかー……まあ、ひー様は正しいでしょうねー」

「それよりも、南部で動きがありそうね」

「動き? 勝崎がなんか言ってました?」

「あいつとは頻繁に連絡を取っているんだけど、どうやら最寄りのマイルの町に続々と軍や物資が集まっているみたいね」

「戦争ですかー…………いや、殺戮?」


 どっちだろ?

 一応、防衛戦だから殺戮ではないと思う。

 結果は一緒だろうけど…………

 しかし、勝崎は甘いから捕虜とかもとる気がするな……

 人が少ないというのに。


 私が戦後の処理のことをどうしようかと悩んでいると、車内にノックの音が響いた。


「はーい?」

「ヒミコ様、私です。ヨハンナです」


 どうやら会議は終わったようだが、思ったより早かったな。


「ミサ、入れてあげて」


 ヨハンナはドアの開け方がわからないだろう。


「はーい」


 ミサが起き上がり、ドアまで行くと、ドアを開け、ヨハンナを迎え入れた。


「外もすごいと思いましたが、中も異世界ですねー」


 ヨハンナは驚きながらキョロキョロと内装を見渡す。


「まあ、異世界のものだからね。それにしても、随分と早いわね。もう会議は終わったの?」

「はい。全会一致で幸福教への入信となりました。他に道はありませんので……」

「よろしい。あなた達は正しい選択をしました。必ずやこのヒミコがお前達を幸福へと導きましょう」

「ありがとうございます…………して、今後の指示を仰ぎたいのですが……」


 今後か……

 獣人族をここに残しておくのも一つの手だが……


「近いうちに南部で女神教と幸福教団の争いがあります。その争いはすぐに終わるので、終わり次第、お前達には南部に行ってもらいます」

「あ、あのー、すぐに終わるんですか? それに援軍に行くのではなく、終わった後なのでしょうか?」

「我らには兵器がありますし、私の祝福を受ける者が負けるわけありません。問題は戦後です。おそらく、捕虜をとるだろうし、今後のことを考えると人材が圧倒的に足りません。如何せん、南部には人族が数名とエルフが400名余りですからね」


 勝崎や村上ちゃんと親交がある生徒もいるかもだが、それでも数名だろう。

 どう考えても人手不足だ。


「わ、わかりました。南部では何を?」

「基本的には勝崎という者に従いなさい。南部では現在、拠点作りをしているのですが、人手が足りていないのです。それと同時に武器の使い方を始め、戦い方を教えてもらうのです。将来的な話ですが、お前達にはこの地に戻り、女神教を攻めてもらいます」

「それまでにここを留守にしても大丈夫でしょうか?」

「問題ありません。キールの町のお偉いさんには私の信者がいます。その者が上手くやります」


 頑張れ、東雲姉妹のご主人様!


「わかりました。皆にそのように伝えます」

「それとですが、我が幸福教は幸福を望むことのみを教えとしています。ですので、お前達が何をしようと構いませんし、好きに生きればいい。ですが、私の信者への攻撃は許しません。周知しておきなさい」


 要約、人族に恨みを持つ者は勝手に復讐してもいいけど、相手は女神教だけだよ。


「すぐに徹底させます!」

「あとは移動手段を考えないとですね…………」


 バスはきついだろう。

 運転手がいないし、人数も多すぎる。


「南部の迷いの森ですよね? 普通に走っていくので大丈夫です」

「走るって……めっちゃ遠いよ?」


 車で3日もかかった。

 ミサの運転だからスピードは出てないけど。


「獣人族は走るのが得意なので、そのくらいの距離なら問題ありません」


 獣人族ってすごいな……


「まあ、大丈夫ならいいわ。じゃあ、その方向でいきます。南部の争いが終わるまでは待機しましょう。その間にお前達に私の偉大さを教えないと」


 獣人族を確実に私の信者にしておかねばならない。


「ヒミコ様、私ももっとヒミコ様の偉大さを理解したいです」


 私はおねだり上手なキャバ嬢キツネにキャラメルマキアートを出してあげた。


 さて、勝崎に連絡をするかね……

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