■海風のケミストリィ
咲を東平家に送った僕は、自宅に戻るとスマホを取り出した。目当ての番号への通話ボタンを押すと、反応があるのを待つ。
数コール後に聞こえてきた声は、いつもと変わりのない調子だった。
『どうしたの? 旅都からかけてくるの珍しいね』
「……姉さん。いつこっちに来たの」
『あ、やっぱりバレた? 驚かせようと思って黙ってたんだけど』
やや早口で快活な物言い。外見以外はまるで似ていない姉・悠里へため息交じりに言いやる。
「僕の彼女に会いに行っただろう。咲に余計なことを言わないでくれないかな。不安にさせたくないんだ」
『ごめんごめん、あんたに彼女ができたらしいって博也君から聞いてさ。ほんとかどうか確かめたかったんだ』
「僕に直接聞けばいいだろう?」
『聞いてもあんた答えてくれないじゃない。あ……でも月子さんのことを口滑らせたのは悪かったと思ってる。私があんまりびっくりしたせいで、あの子に不信がられちゃってさ……』
ばつが悪そうな言いぶりに、再びため息を漏らす。察するに悠里の様子に疑問を抱いた咲が、理由を問うたのだろう。姉の正直すぎるところと顔に出過ぎるところは、相変わらずのようだ。
「もういいよ。月子のことはちゃんと彼女に話したから」
『そっか。あの子、いい子だね。安心したよ、あんたがこのまま誰も好きになれないんじゃないかって心配してたからさ』
「そう思うんだったら、そっとしておいてほしい」
『わかってるって。もう余計なことはしない』
神妙に言い切る姉に、やれやれとかぶりを振る。5歳上の彼女は昔からズレたお節介焼きで、しかも困ったことになかなかの弟想いなのだ。
「……それで、城崎と話をしたってことは、あの病院に赴任になったんだね?」
『そう、先週着任したばっかり。落ち着いたら遊びにいくから、改めて彼女紹介してよ』
「考えとくよ。じゃあ」
『あっ旅都』
「何?」
『よかったね。私も嬉しいよ』
「……姉さんも、今度は失敗しない相手が見つかるといいね」
『可愛くない弟だなあ』
そう言って笑う悠里の顔を思い浮かべる。ここ最近は泣いた顔の記憶が多かっただけに、ほんの少しだけほっとしながら。
◇◇
城崎博也は近頃、げっそりしていた。
どうも何かがおかしい。最近自分の周りで得体のしれない力が働き、己を陥れようとしているとしか思えない。
嫌な予感を払うようにかぶりを振ってから、城崎は招かれざる客たちを睨んだ。
「……でさ。なんでお前とお前の彼女がうちにいんの?」
彼の視線先で、西橋旅都が漆黒の瞳をしばたかせる。
「何故って、改めて咲を紹介しておこうと思って」
「全然そういうのいらないから、な? 頼むから俺の安寧を脅かすのはやめてくれ」
旅都の隣で東平咲がペコリとお辞儀した。
「あのときはお世話になりました。城崎先生のおかげで曾祖母も元気にしています」
「別に礼には及びませんよ。俺は俺の仕事をやっただけなんで」
以前会ったときも思ったが、この年若い彼女の持つ雰囲気には独特の透明感がある。
目前の男がつい手を出したくなった気持ちもわからないではないけれど。
「あっ私お茶でも入れましょうか」
「お構いなく。長居されても困るんで」
「そうですか……」
しゅんとなる咲を見ていると、自分が悪者にさえ思えてくる。城崎は寝ぐせ頭をかき回しながら、大きくため息を吐いた。
「というかさ、あなたもよく三十過ぎの男と付き合う気になったね。どこがよかったの?」
「どこって……」
旅都を振り返った咲は、困ったように小首を傾げた。
「むしろ嫌なところはないですし……」
「そうなの?」
意外そうな旅都に、彼女は不安そうな表情を浮かべる。
「旅都さんはあるんですか? 私の嫌なところ」
「ないよ。何しても可愛く見えるもの」
「えっ」
「もうほんとお前ら帰れよ」
そのとき、インターホンが鳴った。ぎくりと扉の方を見やったまま動けないでいる城崎に、旅都が不思議そうに問う。
「出なくていいの?」
「あーいや……」
直後、どんどんとドアを強めにノックする音に加えて、城崎が今一番聞きたくなかった声が響いた。
「あれ、インターホン壊れたのかなあ? おーい博也君! 私!」
「この声まさか……」
固まる旅都の横をすり抜け、城崎は半ば投げやりに扉を開けた。現れたのは漆黒の瞳と長い黒髪を持つ女。
「遅くなってごめん。ちょっと寝坊しちゃってさ」
「いや、俺特に約束してませんよね?」
「そうだっけ? ま、いっか。博也君いま暇なんでしょ?」
「全然暇じゃないしむしろ状況的に今すぐお帰りいただきたい気持ちでいっぱいです」
涙目の城崎の背後で、咲があっと声をあげた。
「あの人、この間植物園で会った人だ」
「……やっぱり姉さんだった」
「えっ旅都さんのお姉さんなんですか?」
今まさに、城崎が最も起きてほしくなかったことが現実になろうとしている。
西橋悠里は部屋の奥にいる二人に気づくと、驚いたように目を丸くした。
「あれ、旅都? 隣にいるのは咲さんだよね」
ああ、なんかもう色々詰んだ。
諦めの境地にたどり着こうとする城崎の胸を、悠里は気恥ずかしそうに小突く。
「やだ、博也君。弟が来てるならそう言ってくれればいいのに」
「言う暇なかったですよね?」
彼女はさっさと室内に上がり込むと、咲に向かって両手を合わせた。
「この間は失礼なこと言ってごめんね、咲さん。私、旅都の姉で悠里っていうの、よろしく」
「あ、はいこちらこそ! 改めてお会いしたら旅都さんと似てますね。あの時は動揺しちゃって……」
「動揺させたの私だもん。旅都にも叱られちゃったし」
「姉さん余計なこと言わなくていいから」
冷ややかな弟の視線にめげることもなく、悠里は二人を交互に見やる。
「にしてもなんで二人がここに?」
「それはこっちの台詞だよ。どうして姉さんが城崎の家に? 同じ病院に勤めてるのは知ってたけど」
全員の視線が城崎に集中する。
「そ、それは……」
返答に窮する彼に代わって、悠里があっけらかんと答えた。
「この間酔った勢いでそういうことになったの」
「えっ!?」
「いや違う。つき合ってはいない!」
必死に否定する城崎を「またまた、照れなくてもいいから」とあしらい、悠里は思いついたように手をたたいた。
「そうだ、私飲み物買ってくるね。博也君の家にあるだけじゃ足りないし」
「あ、じゃあ私も一緒に行きます」
「ほんと? 咲さん助かるー」
女二人が仲良く出ていった室内に、「だから長居されても困るって……」と虚しい抵抗が響く。
がっくりとうなだれた城崎に、旅都が「どういうこと?」という視線を向けてきた。
「なんでこうなったのか俺にもわからん」
悪夢の始まりは一週間ほど前のこと。系列病院から転属してきた悠里の歓迎会も兼ねて科内で飲み会が行われた。
「そのとき彼女が酔いつぶれてだな。仕方なく家まで送ったら、飲みなおすから付き合えと言われ……」
今思えば、この時点で帰るべきだった。
同科の上司であり、城崎が大学出たての頃から知っていることもあって完全に油断していた。
「そのうち『私みたいな可愛げのないバツイチ女は、一生独り身なんだ』って喚きだしたから、『別にそのままでいいんじゃないですか』と返した」
(城崎は無理してまた失敗するより、そのままでいたほうがマシじゃないかという意味で言った)
「それで?」
「『博也君だけだよ、私のことを可愛いと言ってくれるのは』と泣かれ……」※言ってない
「……」
「そのまま襲われた」
「……」
「……」
「いやわかってる。俺が阿保だってことくらいは」
この男の血縁者ってだけで嫌すぎるし、悠里本人も色々とアレで手に負えるわけもないのに、酔いと疲労と彼女の色香に理性が敗北した。
そもそも自分のような人間が迫られるという事態が想定外過ぎて、思考が完全に停止してしまったのだ。
「どうせお前も呆れてんだろ」
「……いや。拒めない程度にはそういう気があったんだなって、感慨深く思ってるところ」
「だからほんとそんなつもりじゃなかったんだって! 確かに見た目は嫌いじゃないが……」
思わず漏れた本音に、旅都はやれやれと言った様子で「姉さん美人だしね」と
「まあ、僕がいうのもなんだけど」
こちらに向けられた、いたわるようなまなざしが辛い。
「あの人、僕よりずっとやっかいだから」
――ああ。もう。
この姉弟からは一生離れられる気がしない。
虚ろな城崎の視線先で、数日前に悠里が活けた藤の花が揺れていた。
『拝啓、桜守の君へ。』番外編:藤―ふじ―「決して離れない」 久生夕貴/富士見L文庫 @lbunko
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