「カップ一杯のコーヒー」バケツ一杯

帆尊歩

第1話 バケツ一杯


俺の前には、十年ぶりに会った大嫌いな娘の砂羽が、結婚するとか言う彼氏を連れて座っている。

砂羽とは徹底的にやりあった。

反抗期なんて生やさしい物ではない。

でも一週間前に、本当に十年ぶりに会った砂羽は、ぜんぜん違っていて、かなり驚いた。

トゲトゲしさはなくなり、上品な娘に変貌していた。

十年の月日は、こうも人を変えるのかと、驚くばかりだった。

あのまま一緒に暮らしていたら、なんとなく水に流して、普通の父親と娘になれたかもしれない。

そして結婚すると言うなら、手放しで喜んでいたかもしれない。

でもあの十年前のイメージしかないのに、いきなり変貌した姿を見せられても、はいそうですかとは行かないだろう。

でもどこかでそういう関係に戻りたかったのかもしれない。

だから。

カップ一杯のコーヒーを飲む間、話を聞いてやる。

なんて言ってしまった。

「で、俺にどうして欲しいんだ」まずは俺から話し出す。二人は黙ったままだ。

「謝りたいんだろ。それはこの間、聞いた。結婚の報告もこの間、聞いた。彼氏とやらにも今会った。後は何が望みだ」あえて俺は突き放す。

心の内は大いなる迷いだ。

確かに娘の結婚式に出てみたいと言うのはある、でもそれはあの砂羽だ。

今は見た目おとなしい感じだが。

でも俺の中で砂羽は、全く会話の成り立たない存在だ。

そのイメージは今だ払拭されていない。

そう今、目の前にいる砂羽は、全くの別人だ。

そういう認識しかない。


「はい。それだけで良いです」砂羽は弱々しく言う。

砂羽のコーヒーは全然へっていなかったが、一杯飲むくらいの時間はたっただろう。

「おめでとう、幸せにな。君も、こんな娘だが、よろしくな」そう言って立とうとした。

「まってください。お父さん」

「お父さんって。砂羽に言われるのも、ピンと来ないが、君に言われるのは、もっとピンとこないな」

「すみません」

「いや。別に良いけど」

「僕の話も一杯のコーヒー分聞いてくれる約束ですよね」

「申し送りは密にされているんだな。良いよわかった」俺はうかせた腰をもう一度戻した。

「砂羽さんは本当に素敵な女性です」

「まあ、そう思うから結婚するんだろうな」

「本当です、僕には姉がいますが。うちの姉の十倍素敵です」

「おいおい、身内をそんな風に」

「でも、それはお父さんのおかげです」

「俺の?」

「はい、砂羽は、イヤ砂羽さんは、お父さんに、ひどいことをしたと、ずっと後悔して来ました。だからその罪滅ぼしとして、他に人に優しく接し、いつも笑顔を絶やさず、どんなことも嬉しそうに、行う。理由はどうあれ、お父さんとの関係の上でそういう砂羽さんの人格が形成されたな、僕はその事に感謝をします」

「何だよそれ。砂羽が勝手に俺を嫌い、徹底的に攻撃して、それで自分の中で反省をしただけだ。おれは何もしていない。砂羽のそんなところに惚れたのなら、それはそれでいいじゃないか。俺のおかげだなんて思わなくたっていい。でなにか、結婚式にも出てくれってか。砂羽が変わったのは分かったよ、だからちょと砂羽の結婚式に出てみたいな、なんて思いもした。でもな、俺も砂羽とはやりあったんだ。砂羽ほどじゃないにしても、砂羽の事も攻撃した。父親としては大人げないとは思うよ、でもしちまった。そんな俺がどの面さげて、砂羽の結婚式に出られるって言うんだ。他の招待客にだって失礼だろう。それはこいつの母親だってそう思っているだろう」

「それは違います」黙っていた砂羽が、急に顔を上げた。

「それは違います。僕の姉も同じ状態でした。でも今はそんなこと忘れたと言って、平気で父親に子守させたりしています。父もまんざらでもない。そんな父と娘の関係を砂羽にも作ってもらいたい。ただそれだけでいいんです」

「そんなに、君は、砂羽のことが好きなのか」

「どういうことですか」

「普通は嫁の家庭関係なんてどうでも良いだろ、必要なのは君と砂羽の関係だけのはずだ。なのに砂羽と俺の関係を砂羽のために元に戻そうとしている。そこに関しては君には何の得もないのに、純粋に砂羽のためだけに。すごいな。俺も砂羽のために、なんでもしてやれる父親になっていたらどんなによかったか。でももう今更だからな」

「なら、結婚式に出てくれませんか。そうすればお父さんの中の今更、という気持ちも解消されるのでは」

「そうかもしれないな」

「なら是非」俺はかなり長い時間考えた。

「仕方ないな。ならカップ一杯のコーヒーを飲む間。参加して見るかな」

「なら、すぐなくなっちゃうんで。バケツで用意しておきます」

「それは結婚式終わっても飲みきれないよ」少し場が和んだかなと思って。

俺は砂羽の方を見た。

すると砂羽はじっと俺を見つめながら、静かに涙をこぼしていた。

俺はその涙が、わだかまりを流してくれたような気になっていた。


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