第5話
そして屋敷のみんなが寝静まった時間。
警備の目を潜り抜けて、明かりの消えた廊下を慎重に駆け抜ければ、俺は屋敷でひときわ頑丈なセキュリティに守られた宝物室の前に立っていた。
ふつうこういう場所には衛兵が何人か立っているものだが、今日のところはご退場願った。
壁に寄りかかってグーグー寝ている間抜けな門番の横を通り抜け、目的地へひた走る。
「よしよしちゃんと時間通り効いているな」
睡眠薬――夕食にネムリ茸の粉末入りのスープを飲ませたから、ほとんどの衛兵は使い物にならない。
何のためにオヤツ係に甘んじたかと言えば、このためだ。
厨房の料理人の信頼さえ得られれば、ひそかに隠し味と称して毒物を混入させ、夕食を食べた人間がある時間帯に強烈な眠気を襲うように調節することなんて簡単だ。
何度も頭の中に叩き込んだ屋敷図を思い浮かべ、隠し通路を利用しながら廊下を走れば、屋敷の中の警備はザルもいいところだった。
「ちょろいな」
時に肩に背負った月下の魔杖を使って、最後のセキュリティを無効化し、時折現れる巡回兵をやりすごす。
まぁ百はくだらない貴族の屋敷に盗みに入った俺にかかれば、こんなの夕飯前だ。
厨房で料理すると見せかけて作った怪盗グッズの数々を使わずに終わるのは少し不満ではあるが、本番はここからなので良しとしよう。
「さてさてこの結果が吉と出るか凶と出るか、見ものだな」
◇◇◇
ゆっくりと手をこすり合わせ、最後の宝物室の扉の前に立てば、俺の心臓がいつになく高鳴っていた。
いつもなら何をビビっているんだと一笑しているところだが、今日はそうは言えない。
なにせ――
「ドラグニール公爵家の秘宝と言えば、建国譚にも出てくるような代物で有名だからな」
一説では竜王が恋した乙女のために遺した宝物だ。
数ある盗っ人がこの宝物を盗もうと挑戦し、ことごとく帰らぬものとなった話は泥棒界隈では有名な話だ。
今までこの時代でやってきた盗みの数々はすべて、この伝説に挑むための前哨戦でしかないと言っても過言ではない。
なにせ――
「こんな挑戦状送り付けられたら、受けるっきゃねぇだろう」
この時代に飛ぶ前。死んだはずの爺さんから届いた『挑戦状』を懐から取り出し、懐かしさに頬をゆがめて悪態をつく。
そう、俺の順風満帆な怪盗人生が奇妙な方向に進み始めたのは、すべてはこの一通の『遺言状』が原因だ。
長々と書かれた年寄りの説教は割愛するが、本題は『わしが盗み損ねた秘宝を盗み出してみせろ』ということだった。
死んでまで弟子に課題を出してくるのは茶目っ気な爺さんらしいけど、まさかこんな形で伝説に挑戦する羽目になるとは思わなかった。
「ったく、自分の失敗のツケをちゃっかり孫に押し付けんなよな」
わしを超えてこそ名実ともに大泥棒じゃろう? だなんて言われちゃ大泥棒の孫として動かざるおえない。
死んでまでロマンを貫くとか、さすが大泥棒。
わかってやがる。
(特に今回はあの伝説の大泥棒。爺さんが唯一失敗したヤマだし慎重になりすぎて損するってことはないよな)
ああ、この緊張感、久しぶりだ。
初めてのデビュー。聖王国の王様のズラを盗んだとき以上の高鳴りを感じる。
稀代の盗っ人である俺でも、ドラグニール公爵家の秘宝は万全の準備をしなければ挑戦できない。
秘宝の実態がわかっていない上に、情報もほとんどないのだ。
秘宝の在りかを調べるのだけでも、苦労した。
しかもここにいたるまで爺さんの言う通り、ここでも『ドーナツの穴』がついて回っているのだから、つくづく癪に障る。
『ドーナツの穴は盗めるか』
それは、大泥棒をめざす俺たちの怪盗の間での永遠のテーマだ。
ないものをどうやって盗むかなんて、そいつ次第だとは思うが、怪盗なんて自分の盗みの技術を世に知らしめたいエゴイストの集まりだ。
出来ないだろうと言われたら、なおさら盗んでみたく生き物だ。
金が欲しければ冒険者でもして一獲千金を夢見ればいいし、地道に働いて安定した稼ぎを得ればいい。
それでも危険を冒して一生を檻の中で過ごすリスクを負ってでも悪事を働くのは、それが一番、かっこいいからだ。
「まっ、時代的にまだ爺さんは挑戦してないみたいだけど、いいよな」
盗みはぜんぶ、早い者勝ち。
爺さんには悪いが大泥棒の称号。俺が盗ませてもらうぜ。
鼻歌交じりに、泥棒の七つ道具をアイテムポーチの中から取り出し、手慣れた手つきで魔法錠をいじくりまわす。
ふむふむ、時空凍結式のモジュロ構造式か。
確かに解錠するのに時間はかかるけど、天才な俺にかかればちょちょいのチョイよ。
「――っと、セキュリティ解除っと」
グオングオンと魔力の胎動していた宝物室が、ガチャンとひときわ大きな音を立てて沈黙する。
会場成功っと。
あとは部屋の中を確認して、竜王が愛した乙女に残したとされるお宝を盗むだけなんだが、
「ここが、秘宝の隠し場所? 女性向けの寝室の間違いじゃないのか?」
パッと見た感じ成人女性用のかわいらしい部屋だ。
使用感はほとんどないが、それでも貴族の女性にふさわしい装飾品の数々が並んでいる。
だけど時間凍結魔法をかけてまで保存するほどの値打ち物はないような気がするんだが……。
「もしかして例の乙女の部屋をそのまま保存したとかそういうことか?」
だがそれにしては解せない。
侵入者撃退用の魔法トラップや旧式の警報システムを全部つぶし、睡眠薬でほとんどの警備兵がぐーすか眠っているとはいえこの静けさと難易度の低さ。
本当に、こんな警備であの爺さんが盗みに失敗したとは思えないんだが。
「まっ、それもこれも気づかないうちに俺の技術が爺さんを超えてたって証拠か。見るからにお宝らしきものもあるし、どこかにあるのは間違いないんだろうけどっと、――なんだこれ」
意気揚々と宝物室の中に入れば、小さなテーブルの上に見慣れたドーナツが。
なんでこんなところにベーグルが置いてあるんだ?
もしかしてこれがお宝なのか?
いやいや時間凍結されてまで保存されてたんだぞ? きっと誰かの忘れ物かなんかだろう。
まぁ置いてあるんならお宝ついでに盗み食いするけど。
「勝利の美酒ならぬ勝利のドーナツってとこか」
とにかく俺は爺さんを超えたのは間違いない。
あとは爺さんを超えたと証明できる証拠でも持ちかえれば、俺が世界一の大泥棒だと世界に証明できるだろう。
なぁに、時間はたっぷりあるんだ。
屋敷の連中はみんな夢の中じっくり見分すればいい。
そのはずだったんだが……
「じいいいいー」
「――っっっ!?」
何やら不審な視線を感じ、恐る恐るゆっくりと後ろを振り向けば、俺の身体が雷に打たれたように硬直した。
開け放たれた宝物室の扉。
その開け放った出口の隙間から、やけに見覚えのある小さいシルエットがこちらを凝視していて、
「ソフィア、お嬢様?」
無防備にこちらを覗く見慣れた幼女の姿に、俺の理想の泥棒人生はガラガラと崩れ落ちるのであった。
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