第6話 


 状況。そう状況を整理しよう。

 同業者として、祖父が失敗した仕事をやり通すため、宝物室に盗みに入れば見覚えのある屋敷のご息女がこちらを覗いていた。


 見るからに絶望的な状況だが、まだ終わったわけじゃない。

 俺の類まれなる脳細胞を活性化させれば、こんな状況くらいすぐに打開するための構築式を導いて――、

 

「も、もしかしてクロトくん、泥棒さんなんですか」


 そんな決定的な一言で、俺は泥棒人生の終わりを悟った。


 よりによって屋敷の主、しかも顔見知りのお嬢様に見られるとか最悪すぎる。

 俺の計画では、誰にも見られずに、いつの間にかお宝が盗まれていた!? というお決まりのパターンで完遂するはずだったのに。

 いや、そんなことより――


(見られた。盗みの現場を、しかもバッチリ素顔まで見られた)


 慌てて顔を隠してももう遅い。

 泥棒として盗みを働く前の段階で現場を押さえられるのは、意気揚々とデートに出かけ、素っ裸の浮気現場を押さえられるに等しい非常事態だ。


 うう、爺さんに叱られる。

 お宝に夢中で周囲の警戒を怠るなんて泥棒にあるまじき失態。

 ぶっちゃけ穴があったら入りたい!!


 きっとこの後お約束のように、痴漢冤罪のごとく悲鳴を上げられ、最終的には三流な空き巣みたく大慌てで逃げ去るんだろうなー、と身構えていると、


「わ、わぁー。まさか本当にクロト君が泥棒さんだったなんて」

「へ?」


 なにか気になる単語が聞こえたような気がするが、なんだこの憧れの英雄に出会えたような喜び方は。

 俺、泥棒なんですけど?

 思わぬ感動の声に、思考が一瞬フリーズし、俺の口からこの日もっとも間抜けな声がこぼれお嬢様を凝視する。


 しかし想定外というのは、何度も訪れるもので、

 

「おじょうさまーどこですかー」

「――っ!?」


 廊下にこだまするメイド長の声に、喉の奥がひゅっと干上がる。

 ま、まずい。

 こんなところあの鬼軍曹メイドに見つかったら最悪、死刑どころか社会的に殺されかねない!!


 反射的にお嬢様を小脇に抱え、開け放たれた宝物室から即座に脱出。

 そして、メイド長がこの部屋にたどり着く前にありとあらゆる怪盗グッズとスキルを駆使して廊下を駆け抜ければ、気づけば俺は窓を蹴破るようにして誰にも気づかれず夜の空へと飛び出していた。


◇◇◇


 死にかけのゴブリンが一番厄介なように。

 どうやら窮地に陥った人間というものは、本人の意思とは関係なくとっさに体が動くようにできているらしい。


 デビューしてこの方、ピンチなんてものとは無縁の泥棒稼業を送ってきたから経験したことなかったけど、人間やろうと思えばあそこまで化け物じみた挙動ができるんだな。


 いつもなら魂の奥底に染み付いた技術の数々を喜ぶべきなのだろうだが、今日ばかりは素直に喜ぶ気になれない。

 

 というのも盗んだものが問題なわけで――


「クロト君。ティーカップが足りないんだけど、どんなものある?」

「洗面台の近くに二つあったはずだ」

「あ、ほんとだ。ちょっと使わせてもらいますね」


 誘拐の二文字が頭をかすめ、そっと視線を持ち上げれば、そこには今にも鼻歌を歌いだしそうな寝間着姿のお嬢様の姿が。

 

 勝手知ったる我が家のように調度品を使っているけど、ここにあるものはぜんぶ盗品だ。

 つまるところここはお屋敷ではなく、勝手知ったる泥棒のアジトで。

 公爵家の令嬢を拉致っちゃいました☆


「あー、やっちまった。……今世紀最大のニュースになるんじゃねぇのかこれ」


 あのままトンズラしてしまえば、まだごまかしようもあったものを、なんで連れてきてしまったんだ俺。


 正直、今後の活動のことを思うと頭が痛くて仕方がない。


「うわぁ、いまごろメイド長ブチぎれてるんだろうな。ぜってぇ帰りたくねぇよ」


 きっと今頃、屋敷は大慌てに違いない。

 もしその下手人が件の見習い執事だとわかった暁には、地獄の果てまで追いかけられ、火あぶりのくし刺しにされることだろう。


 だけど肝心の人質(大はしゃぎ)は暢気なもので――


「あの、ソフィアお嬢様。さっきからいったい何をなされてるんですか?」

「うん? お茶会の準備ですけど」


 おおう、どうやら生粋の貴族というのはこういう状況でも優雅でなくてはいけないらしい。

 正直、拉致されたら何事も慌てずお茶の準備をしろと叩き込まれるのだったら貴族の生まれじゃなくて良かった思ったね。マジで。


「いやー泥棒さんって本当にすごいんですね。騎獣を使わないでも空を飛ぶなんて初めての経験でした。あ、これお紅茶です。不思議な色合いの緑のお茶ですけど、クロト君の口にも合うよう頑張って淹れてみたので、どうぞお召し上がりください」

「あ、これはご丁寧にどうも」


 そういって俺の真向かいに座り、白磁のティーカップに入った紅茶もとおい緑茶を進めてくるソフィアお嬢様。

 差し出された緑茶を優雅にすすり、とりあえずささくれ立った気分を落ち着かせる。

 ふぅ―いい味。さすがは茨の森産の高級茶葉。

 王都の詰め所から盗んだかいあって、薫り高くて深い味わいだ。


「――っていや待て。なに雰囲気に流されてお茶なんて飲んでんだよ俺、もっと大事なことがあるだろうが」


 危うく本気でティータイムに入るところだった。


 泥棒が、拉致した令嬢にお茶をごちそうになるとかどんな冗談だ。

 しかもご丁寧にお茶請けまで用意してくれたよこの娘。

 普通、誘拐された女ってしおらしくなるものなんじゃないの?

 なんでそんなウキウキなの? 君、拉致られてるんだぞ?


「え、えっとその――ソフィアお嬢様。これはいったい」

「あ、クロト君はチョコレートは嫌いなの? でもごめんなさい。お茶請けはこれしか見つからなくて」

「いや、お茶請けはどうでもよくてですね。俺はお嬢様と俺の間にある誤解を解きたいと思っているんですけど」

「ごかい、ですか?」

「そうです。誤解です。いまお嬢様がこんな状況に置かれているのは海よりも深くヤマよりも高い理由があるんです」


 不思議そうに首をかしげるお嬢様に、ゆっくりと同意する。

 そうだ。まだ俺の野望が潰えたわけではない。


 なにせワイバーンに連れ去られたっていう荒唐無稽な作り話を信じるほど天然なお嬢様だ。


 過去は戻ってこないが、幸いにも俺は今、見習い執事の格好だ。

 怪盗の変装だってしてないし、なにかの間違いだってごまかせる可能性は十分にある。

 ここでうまく取り繕えばまだ逆転の目だって――


「え、でもクロト君が夜にコソコソと衛兵さんの横を通ってお仕事してるところ全部バッチリみていたんですけど」


 ありませんでした。

 つか最初から見てたのかよ!? なんで気づけなかった俺!!


 きらきらと尊敬のまなざしでこちらを見てくるお嬢様の視線に全身がかゆくなり、たまらず乱暴に頭を掻いて、椅子に深く腰掛ける。


「あー、くっそ。華麗に盗みだすはずだったなのに。なんで下調べの段階でバレちゃうかな」

「ふふっ、わたしもクロト君がまさか巷を騒がせている泥棒さんだったなんて知りませんでした。そういえば、よく厨房で物がなくなってるって聞いてましたし、街でも盗みの被害が多発してるってメイド長が言ってましたけど、クロト君って怪盗ラットなんですね」

 

 乱雑に積まれた盗品蔵の財宝を見て、どこか楽しげに声を弾ませるお嬢様。

 見た目からして純粋培養って感じだし、従者からため口を聞かれるのは初めてなのかもしれないが、クスクスと笑う顔に皮肉の色はない。

 というか今の言い方。やけに確信を持ってたみたいな感じだったけど。


「ちなみにいつ俺が泥棒だって気が付いたか聞いてもいいか」

「えーっと、最初からですね」

「最初から!?」

「あ、いえ正確にはクロト君が夜中にコソコソと外にお出かけしているのがわかってから、かな?」


 そういって胸元に吊り下げたネックレスのような水晶玉を取り出して見せた。


「あーその、ですね。わたし、お腹がすいたときよく厨房の料理人さんに内緒で、とっておきのおやつを戸棚に隠してるんですけど、クロト君、みんなと離れて料理してる時に、みんなの目を盗んでこっそり盗み食いしてたのをこの竜の瞳で見て、もしかしたらって」


 そういって照れ臭そうに空中に浮き出た光の映像が再生される。

 間抜け面で、戸棚に隠されてあったドーナツを盗み食いしている姿が映っていた。しかも鼻歌付きだ。


「鬱だ――」

「あとは状況証拠とこの周りにある盗品を見て、もしかしたらと思って」


 うわ、なんだよそれ、すげー間抜けすぎる。

 たまたま置いてあったドーナツ盗んで素性がばれるとか、失態以前の問題じゃねぇか。

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