第1話 


『クロトや、ドーナツの穴こそ、盗っ人の才能を決めるんじゃよ』


 それが晩年、好物のドーナツを喉を詰まらせて死んだ爺さんの口癖だった。


 良い子なお子様たちが寝静まる夜の貴族街。

 王都アヴァロニアの老舗であるギルド商館からけたたましい警報音が鳴り響いた。


 厳重な警備と、A級冒険者の魔法ですら壊せないアダマンタイト製の分厚い扉で顧客の財宝を守る宝物庫を売りにしたお貴族御用達のギルド商館。

 その何人たりとも触れることを許されていない扉が、半開きにもなっていれば子供でも非常事態だとわかるだろう。


 現に、商館ギルドは大騒ぎ。

 商館の管理を任されている職委員たちの慌ただしい指示が飛び交い、ひりつく殺気を放つ警備兵たちが、愚かな侵入者をとらえようとガチャガチャと鎧を鳴らしながら追ってくる。


 まぁ、盗みに入った以上。こうなることは想定済みだったけど――、


「こんな甘い警備で俺をとらえられると思ったら大間違いだぜ、っと」


 トレードマークのネズミ帽子を目深くかぶり俺――クロトは、手のひらから魔力弾を射出する。

 散乱する窓ガラスに、ようやく追いついたノロマな警備兵。

 トドメとばかりに、腰のアイテムポーチから手製の閃光玉を後ろに放り投げ、


「そんじゃあBAY」

「ぐああああああああああああ!?」


 まばゆい光と爆発が夜の貴族街に響き渡る。

 何事かと視線を上げる観衆を飛び越え、自然と唇が持ち上がる。


 泥棒というのは鮮やかに、そして美しく美術品を盗む生き物の総称だ。

 指先が動けば、他人の物を盗むのは当たり前で。

 羽があれば鳥が空を飛ぶのと同じように、俺たち『泥棒』は自分の腕を試したくてスリルを楽しむ。


 つまり自分の力を他人に見せびらかしたくなるのは当然で、


「魔法サークル起動。呼応せよ、月の魔力よ!!」


 爆風を利用して商館の外に身を躍らせれば、盗んだばかりの骨董品の力を使って、重力を無視するように体が浮かび上がる。

 よしっ、うまくいった。


「それじゃあ、杖職人ニューゲート作――月下の魔杖。たしかに頂戴するぜ」


 闇夜に紛れて、アッシュウルフのマントをはためかせれば、負け惜しみの警備兵の声をあとに、ギルド商館の屋敷を駆け抜ける。

 ちらりと後ろを覗き見れば、たった今、飛び出したばかりの廊下に、出遅れた屈強な衛兵たちの悔しげな表情が。


「怪盗ラットだ。怪盗ラットが出たぞーっ!!」

「衛兵の威信を賭けて追え! 相手は一人だ」

「逃がすな。屋根伝いに西棟へ逃げたぞ」


 火の玉。氷のやり。雷の閃光。

 どれも被害度外視でより取り見取りな攻撃魔法が飛んでくるが、全部無駄だ。

 なにせ―― 


「この平和なご時世で、形式上な訓練しかしてこなかった奴らの攻撃に当たってやるほど、生半可な修羅場はくぐってないっての」

「くそぉおおおお」

「ゴリウスさんがいれば奴などあっという間なのに!!」

「俺たちじゃ相手にならないというのか怪盗ラット!!」


 悔しがる衛兵たちを背に、当初の予定通り、あらかじめ下調べしておいた逃走経路をたどって包囲網を潜り抜け、ひときわ高い鐘楼の上にたどり着く。


 そして盗んだばかりの魔杖を月にかざし、魔力を込める。

 伝承では、この魔杖が異界の扉を開けるカギになるという話だけど、


「さてと、真実はどうなのかなっと」

「スタンロープッ!!」

「おっとアブね!?」


 この独特な縄状の拘束魔法。もしや!!


 不意を突くようにして飛んできた捕縛魔法を身をよじって躱せば、鐘楼の屋根をよじ登ってきたおっさんの口から息も絶え絶えに悔しがる声が聞こえてきた。

 よれよれのトレンチコートに、異世界から召喚された者たちが持ち込んだネクタイスタイルの四十代のおっさん。


 おまけに、こんなところまで俺を追いかけてくるしつこいストーカーは一人しかいない。


「おいおい、侵入者除けに足止めトラップまで仕掛けたってのにこんなところまで追ってくるのかよ近衛のおっちゃん」


 つかなんでここに?


「はぁはぁ、目立ちたがり屋の、お前のことだ。今日の盗みで魔杖の儀式をしようとするのは、読めておったわ! 今日もっとも月の魔力が届く場所を計測すれば、おのずとお前がやってくる場所など予想できるわ」

「あーなるほど。それで現場の警備がいつもより緩かったのか」

「ふっふっふ、ようやく追い詰めたぞ怪盗ラット!! いよいよ年貢の納め時だ!!」


 うん、ほんとしつこくて、厄介な俺の天敵だ。

 その執念と才能を活かして冒険者にでも転職すれば、歴史に名を遺す英雄にだってなれるだろうに。

 なんで近衛なんてやってるの?

 早く引退したら?


「うるせぇ、貴様を豚箱にぶち込むまで引退なんざできるかよ」

「はぁ、どうせ逃げられるのによくやるねぇ」


 あーこのやり取りももう何度目だろう。

 やっぱり近衛のおっちゃんはこうでなくちゃ。

 長年のライバルの登場にちょっとだけドキドキする。

 だけど、


「あいにくと捕まるつもりは毛頭ないんだよね、っと」

「くそぉ、なぜ当たらん!!」


 ビュンビュン飛んでくるお得意の拘束魔法を月下の魔杖のチカラで強引に捌く。

 第三者の魔力線に介入するのがこの魔杖の隠された能力だ。

 おっちゃんの魔法なんて軽い軽い。


 まぁこの杖を使った奴はほとんどいないから知らないのも当然だろうけど、

 

「残念だったなおっちゃん。聖王国から王都くんだりまで追いかけてくれるのはうれしいんだけど、今回も俺の勝ちだ。このお宝はいただいていくぜ」

「貴様、それを奪って何をするつもりだ」

「特に何も。いつもどおり俺は俺を。怪盗ラットがここにありって世界に証明したいだけさ」


 次の獲物はもちろん決まっている。

 伝説の大泥棒。盗みの師匠である俺の爺さんが唯一盗めなかった、お宝を俺が盗み出すのだ。

 一か月前から仕込みは上々。

 こんな準備運動で捕まるつもりはない。


「まっ、時期が来たら予告状を出すからその時まで楽しみにしてくれよな」

「またろくでもないことを考えとるなきさまー!! ってなんだこれはぁああああ!?」


 次々と飛んでくる魔法を魔杖を使ってそのまま返せば、光の縄でぐるぐる巻きになった中年男が出来上がった。

 うん、完璧だ。さすがは伝説の杖職人の最高傑作。

 あとは、異世界召喚の儀式を完成させれば、今回の目的は達成だ。


「――って、なんだか騒がしいな?」


 ガヤガヤと妙な騒ぎを感じ、そっと鐘楼の下をのぞき込めば、そこには脳内リストにあった上級冒険者たちの姿が。


「おっと、そろそろ余計な外野が集まってきたようだな。儀式を完遂できないことは残念でならないけど、今日はこのくらいでお暇させてもらうか」

「くっ、逃がすものか。今日こそ貴様を牢屋にぶちこんでやるって決めとるんだ」

「それはその縄から脱出してから言いなっておっちゃん」

「俺はまだ三十代だっ!!」


 はいはい。

 とりあえず動けないおっちゃんは放っておいて、儀式儀式っと。


 月下の魔杖を月にかざし、隠された機能を起動して世界の法則に介入する。

 たしか爺さんもこの杖をよく衛兵と追いかけっこしてたって聞くし、たぶん転移魔法で座標を決めればうまくいくはず。


「お、できたできた――そんじゃあばよ、近衛のおっちゃん」


 そして爺さん直伝の転移魔法。

 通称――夜逃げ魔法を使い、逃げおおせるはずが、


「逃がすかぁ!?」

「ちょ、おっちゃん無理に入ってきたらせっかく構築したの転移術式が、ってのわぁ!?」


 根性で起き上がってきた近衛のおっちゃんともつれ合い、溢れる光の中に飲み込まれるようにしてに消えていく。

 そして次に目を覚ました時――


「ここは、どこだ?」


 俺は一人、やけに生臭いにおいのするゴミ箱の中に埋まっているのであった。

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