下
電車に揺られて一時間、僕らは三鷹に着いた。
「やっぱり人が多いな」
「だね」
忙しなく足を動かす人々の合間を縫って外に出ると、容赦のない日差しに出迎えられる。
「家を出た時はもう少し弱かったのに」
「そろそろ昼時だからな。勘弁してくれよ」
もうそんな時間か。
僕も彼も朝ご飯を食べたのは遅く、お腹は全く空いてない。片手に握ったスマホをちらちら見ながら、目的地に真っ直ぐ向かう。
目指すは玉川上水。そしてそこにあるらしい、太宰治の石碑。
音豆さん、今度出す部誌に、太宰治の最後の心中を題材にした作品を書くみたいで、川の写真はもちろんとして、石碑の写真も頼まれていた。玉川上水の傍にあるらしい。
太宰治、石碑。
キーワードにはそう打ち込んだ。
「あー、まじか」
階段を降りた所で、大将君が呟く。
「どうかした?」
「なんか、このまま進んでいったら、ジ」
素敵な美術館があるらしい。
「そうなんだ! 確かあそこ、ポンプあるよね!」
「え、あぁ」
何でだろう、ちょっと引かれた。
僕、昔からポンプ好きなんだけどな。すごく面白いんだもん。水が特別冷たく感じて気持ち良いし。
美術館は行けそうにないけど、道中でポンプを見つけたら、手を洗っちゃ駄目かな?
スマホに指示されるまま、僕らは歩き出す。
強い陽光に晒されたほんのり狭い歩道は、人とすれ違う余裕はあっても、二人並んだままで歩くのは少し迷惑で。
前から人が来るたび、僕は大将君の後ろに回る。
それを何回か繰り返した頃、大将君が口を開いた。
「音豆さんからさ、細かいこと聞いてるのか?」
「細かいこと?」
「太宰について書くって言ってたけど、どういう感じにしていくのかって。恋愛仕立てか、怪談か、もしくは……」
「サスペンス、とか?」
僕の言葉に、勢い良く大将君は振り返る。
「サスペンスになるのか!」
「いや、適当に言っただけ。何も聞かされてないよ」
「……そうか」
肩を落として、彼は前を向いた。
大将君、音豆さんの小説のファンで、最初は僕と彼女の二人で三鷹に行くはずだったけれど、どうしても一緒に行きたいと彼が言ったから、三人で来ることになって。
小説の話、いっぱいしたかったんだろうな。
「でも、太宰治でサスペンスってなったら、どんな風になるんだろうね」
「……そりゃ、やっぱりアレだろう」
歩きながら、大将君が視線を向けた先──草木に囲まれた、玉川上水。
もっと大きいのを想像していたけれど、意外とこじんまりとしている。
時代と共にそうなったんだろうか。
「落ちたのか、落とされたのか。もしくは、落としたのか」
「心中だし、一緒に落ちたんじゃない?」
「サスペンスだからな、第三者が真実を探っていく内に、落とされたのかもしれないし、落としたのかもしれないと判断することもあるだろう」
「その場合、視点は誰になるの?」
「太宰治」
「彼は落とされたのか、落としたのか?」
「そんな感じだ」
穏やかじゃないなぁ。
「音豆さんならもう少し優しい話を書くと思う」
「俺もそう思うよ、だから好きになったんだ」
声を上げそうになるのを堪えて、彼の背中を見た。
何となくずっと、縦に並んで歩いているけれど──彼は今、どんな顔をして歩いているのか。
「遺体が発見された後、太宰治と親交のあった坂口安吾が姿を消したらしい。マスコミは彼が太宰とその相手を隠しているんじゃないかと疑ったみたいだが、それが本当だったらどんなにいいか、と坂口安吾は書き残している」
「よく知ってるね」
「母さんが文豪好きなんだよ」
その血は大して継がなかったな、と軽く笑いながら彼は言う。
「それなら、太宰の死の真相を調べる第三者は、坂口安吾になるの?」
「探偵小説が好きで、自分でも書いていた人だから、それもアリかもな」
「もしくは、本当に二人のことを隠してた、とかもアリじゃない?」
何となくそう言ったら、大将君の足が止まる。そうなると、僕も足を止めなくてはいけない。
「隠して、どうする?」
彼の顔には何の感情も浮かんでいない。
けれどその目は、純粋な疑問で満ちている。
──何故?
「さ、三人で仲良くするとか」
「……三人で仲良く、ね」
疑問と入れ替わりに浮かんだ笑みには、呆れも含まれているように見えた。
「──鷹夜は音豆さんと長いよな」
そしてそのまま、話は変わる。
「そうだね」
何が言いたいんだろうと、大将君の引っ込んだ疑問が僕の顔に引っ越してきた。
「どう思う、彼女のこと」
やばい、珈琲飲んでくつろぎだしたよ、疑問。
僕甘党なのに。
「どう思うって、僕らは幼馴染みで……」
『ケンちゃん、写真撮って!』
『ケンちゃんの写真、使わせて!』
何よりも、きっと、
「ありがたいよ」
そう思う。
僕の返答が意外だったのか、見開いた目で僕を見る大将君。
「僕の写真が好きだって、自分の小説に使ってくれる。すごく嬉しいし、うん、ありがたいんだよね」
「……」
大将君の口が開く。
でもすぐに閉じて、瞼も閉じられて。
一分か、それ以下か。
「そういや、石碑は?」
出てきた言葉はそんな疑問。
はっとしてスマホを見れば、目的地は遥か後方。
「通り過ぎちゃったみたい」
「……はっ、本当にな」
聴こえてきた笑い声は、何故かどことなく悔しそうだった。
太陽燦々、石碑どこっ!? 黒本聖南 @black_book
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