第10話 いつまでもずっと


「陛下ぁぁッ!」


 アレクシスはその時、悲鳴のような声を聞いた。いつも冷静沈着れいせいちんちゃくで、いつだって頼りにしている友人の公爵が。アレがそこまで声を張り上げている。その原因は分かっていた。


「ふふ、ハハハハッ! そうだ! 奴が居なくとも、我等だけで、弱り切った魔王の首なぞ再び落としてくれよう!」


 見慣れた顔だった。いつかの聖魔道士と、聖騎士が、揃って自分に武器を突き付けているのだ。軍を引き連れ、城下の様子を見ようと出発したところで不意を打たれた。

 真っ直ぐに魔王を目掛けて飛び掛かってきた人間達に、アレクシスは聖魔法の攻撃を受けてしまったのだ。

 聖魔法は魔人の力を弱体化させる。よく知られたこの世の常識だった。魔王とは言え、人間達の頂点に立つ者の聖魔法は毒にも等しい。体を巡りだしたそれの気配に膝をついてしまった。

 魔王アレクシスがとんだ大失態である。それを恥じる間も無く、目の前の血走った目をしたその人間は、その両手をアレクシスへと向けていた。祝詞のりとを唱え終えればすぐにでも、その両手からは聖魔法が放たれるだろう。魔王はひとたまりもない。再びからだを失うだろう。

 次に復活するのはきっと、この国が滅ぼされてから。もしかすると復活すらも危ういのかもしれない。せっかくここまで来たと云うのに。アレクシスはいっそ、真の滅びを覚悟した。


 だが、その時の事だった。

 この場で、あってはいけないその名前を、アレクシスは聞いてしまった。


「止めろエドヴァルド!」

「ッ!?」


 その叫び声を耳にして、アレクシスは即座に振り返る。先程と同じ、アスタロトの声だった。

 そしてそれを聞いた聖魔道士達も、全く同じ反応を示してみせた。ありえないはずのその名前を聞いた瞬間、彼らはビクリと大袈裟なほど、その体を大きく震わせてみせた。奇妙な沈黙がその場に落ちる。


 その場には、右手に見慣れぬ真っ黒い剣を握りしめたエドヴァルドの姿があった。だがその気配は、全くの別人のそれだった。

 真っ黒く、怖気おぞけがするようなおぞましい気配を纏って、禍々しい黒い剣を構えるその姿は。

 まるで、この世を破壊し尽くす存在であるかのような。

 さしものアレクシスも、その姿に恐れを抱いた。


「――なはず……そんなはずは、無いのだッ! 奴は死んだ、死んだはずだ――ッ!」


 発狂でもしてしまったかのように、その聖魔道士は叫び声を上げた。アレクシスへと向けていたその両手を、エドヴァルドへと向ける。溜めもせずに聖魔法を放つも、それが彼に当たることはなかった。

 エドヴァルドの姿は突然、彼らの視界から消えた。

 そして次の瞬間には、アレクシスの目の前にその姿があった。アレクシスの目の前に立ち塞がっていたはずの聖魔道士達はいつの間にか、城をぐるりと囲むその城門へと叩き付けられていたのだった。先の戦のなごりにより、瓦礫がれきとも間違わんばかりの草臥くたびれた城門。

 生き物が潰れたかのような声を上げ、瓦礫のようにぐしゃりと地面に落ちた人間たちは、ガクガクと震えながら、その場でもがいていた。


 アレクシスは、エドヴァルドの後ろ姿を見上げた。立ち登る黒々とした気配に、アレクシスですら声を掛けるのを躊躇う。だが、そうしていられたのは、ほんの僅かな間だった。

 再び姿を消したエドヴァルドは、驚くべき力でもって、次々と人間達を斬っていった。軍の一個中隊程でやってきた彼等を、みな一様に、一撃で、図ったかのように、その首を飛ばしていったのだ。それは余りにも凄惨せいさんな光景で、魔人達ですら誰もが絶句した。


 敵の姿も見えず、次々と首を落としていく仲間たち。その恐ろしさの余り逃げまどう人間達も、逃される事なく、その首を飛ばした。

 そこら中に、人間達の首がゴロゴロ転がるそこは、まるで地獄のような光景だった。


 アレクシスはしかし、それを放って置く訳にはいかなかった。いくら敵だとは言え、その光景をエドヴァルド本人が見て悲しまないはずがない。

 恐怖すらも忘れて、思うように動かない体を動かし魔力を振り絞って、目にも止まらぬ速さで暴走するエドヴァルドへと近寄っていった。


 一瞬の事だった。背後から逃すまいと、アレクシスはその背を捕まえる。暴走している割には簡単にその腕に収まったその背は、アレクシスの中で微かに震えてた。ギュウと更に力を込めると、その震えは更に大きくなる。下に俯いているせいでその顔は確認できない。けれどなぜだか、彼が――エドヴァルドが泣いている気がして、アレクシスは哀しくなる。

 そっとその耳元に顔を近付け、彼はなだめるように言った。


「エドヴァルド。もう、止めよう。お前がこんなことをして、傷付いていないはずがない。自分の為にも、私の為にもな。帰ろう」

「ッ……」

「そして、私といつものようにあの城で眠ろう。私がそれを望んでいる」

「そんな言い方、ズルい……」

「ああそうさ。私は狡いんだ。お前の優しさにつけ込みいつだって、思う通りにしてきた」

「アレクシス、俺、アイツらに――みんな……、俺のせいで――っ、憎くて憎くて、みんな無くなってしまえばって……」

「ああ、分かっている、エドヴァルド。私は、そういう所を含めて優しいと言っている。お前のお陰で何もなく終わる。大丈夫だ。だから帰ろう。お前が何をしようがどうなろうが、私はそれも含めてお前だと思うのだよ。私に、その顔を見せてくれ」


 しゃくり上げるように言った彼を優しくなだめすかしながら。血塗れの勇者エドヴァルドを、魔王アレクシスはその場から連れ出す。戦いの時でしか使わないはずの空間転移を使って、その場からあっという間に、2人は忽然と消した。


 そしてその後。いとも簡単に彼等を制圧して見せた魔人軍は、後始末に追われる事になる。エドヴァルドによって殆どの戦力が殺され尽くしてしまったのだから、人間達にはもはや抵抗する力などなかったのだ。

 そして――


「グッ――貴様らぁ! 離せっ、その薄汚い足を退けろぉオ!」

「おやまぁ、下品だこと。このお人らですってねぇ? わたくしのエドヴァルド様を散々虐めてくれたというのは」

「貴女のエドヴァルド様では、無いと思うのだが……」

「あら、細かい事は気にしてはいけませんわよ、イェレ様。わたくしが身を粉にしてお世話しているのですから。わたくしのものに間違いありませんわ、ええ、そうですとも」


 その後始末係の筆頭は、自らそれを申し出たまさかのベルと、それに付き合わされているイェレだった。時折場違いな会話を繰り広げながら、ベルは魔力で拘束した2人の人間の頭を、両方の足で踏みつけにしている。ギャンギャン騒ぐ聖魔道士も、諦めたような顔で力を抜く聖騎士も歯牙しがにもかけず、ベルはいつもの調子だ。


「ふふふ、イェレ様? こういう高慢こうまんチキな自信過剰野郎と言うのは、その力を過信している節があるとは思いませんこと? ――その、力を二度と使えなくしてやれば、このお人らにとっては、死ぬよりも辛い余生を過ごす事になると思うのですよ」

「ああ、成る程。それは良い考えだ」

「ええ、そうですとも。……ゾクゾクしますわぁ」

「なっ、貴様ら、一体何を――」

「何をって……そんなもの、決まっているではありませんか」


 そして次の瞬間。

 その場には、まるで地獄にるかのような絶叫が響き渡った。


 ところ変わって、その頃の魔王の寝室はと言えば。まるで子供のように泣きらした様子のエドヴァルドを抱き寄せながら、ベッドに潜るアレクシスが其処には居る。遠慮なく顔のあちこちに口付けを贈るその様子は、何処か幸せそうである。もちろん、それは眠りについたエドヴァルドも同様の事で。

 そんな一件で、ふたりの仲は更に一層深まって行く事になった。

 エドヴァルドには、それ以上に隠すことなど何も無いし、それすらも易々と受け入れてしまったアレクシスは無論、エドヴァルドが離れて行く事など望んでは居ない。

 例えこの先また、エドヴァルドがそれに呑まれてしまったとしても、そんなふたりであれば乗り越えられる気がするのだ。


「エドヴァルド様、今日は帰って来ないでくださいませ」

「ベル……その、君はほんと、ますます酷くなってるよ、それ」

「妙な勘繰かんぐりは辞めてくださいまし。私今日、イェレ様と約束があるんですの!」

「おお、君の方はやっとか」

「鈍感クソ野郎は調子に乗らないでくださいましッ」

「…………」

「ははは、仲が良いのはいい事だが、少し妬けるんだが」

「!」

「あらあら、魔王様まで――いったいどう料理してやりましょうかしら」


 そんなやり取りが、彼等の間ではいつまでも延々と続いていく。辛い事も苦しい事もあるけれども、共にるだけで何だって乗り越えていけると、そう信じている。



 あの日から数日が経った。

 エドヴァルドとアレクシスは、ふたりであの中庭へとやってきていた。庭の奥の方、初めて目にした時には蕾だったそれが今や、薄紅色の花をつけて満開に咲き誇っている。城の三階にまで達しそうなその大きな木は、今にも零れ落ちそうな程の花に覆われ、ともすれば怪しげな雰囲気をたたえている。

 その一画だけが別世界だった。


「アレクシス、前から聞きたかったんだが……この木の株、もしかして××××から持ち帰ったんじゃないか?」


 その花に見惚れながら、エドヴァルドはアレクシスの手に自分のそれを重ねつつ問うた。外では見られるのが恥ずかしいから、と手を繋ぐことすら許さなかったエドヴァルドの思いがけない行動に、アレクシスはビクッと僅かに体を震わせた。


「あ、ああ……確か、近くにそのような村があった気がする。一株、小さなものを拝借した」

「やっぱり。この木、多分俺の故郷にもあった木だ。もう、今は全部燃やされてなくなってしまったけど。これだけ、残ってたんだ……」


 そう、嬉しそうに言うと、エドヴァルドは更にアレクシスに体を寄せた。頭をその体に預けるようにこてん、と首を曲げると。エドヴァルドの肩にアレクシスの手が置かれた。


「生き残ってた。俺達と、同じように」

「……ああ、同じだ。あの時、これを持っていかなければならないと強く感じたのは……この時のためだったのかもしれないな」


 余りにもロマンチックな事を言うものだから、エドヴァルドはくすくすと笑みを漏らす。

 自分だけではない。ただの木だとはいえ、生き残りに出会えたことが、彼には単純に嬉しく思えたのだ。

 勇者と魔王と故郷の名残り。この時が永遠に続けば良い。エドヴァルドは柄にもなく、そんなロマンチックなことを考えるのだった。



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【BL】勇者は魔王に剣を突き立てた @tatsum111001

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