第9話 最期の記憶
その日、部屋に戻ったエドヴァルドを迎えた侍女のベルは、恥ずかしげもなくいけしゃあしゃあと言ってのけた。
「わたくし、今日は戻って来なくて良いと申しあげましたのに」
思わず動きを止めたエドヴァルドだったが、彼女がそんな事を言ってくるはいつもの事だと気付く。すぐに気を取り直すと、エドヴァルドはベルに言い返した。笑い混じりの、真剣味など一切感じられない、すっかり馴染んでしまったいつものやりとりだ。
「ベル、君は一体どうしてそう、いつでも明け透けに言えるんだ。俺はちょっと羨ましいよ」
「お褒めに預かり、こうえいでございますわ。ではエドヴァルド様、魔王様にこれを渡して来てくださるかしら?」
にっこりと、明らかに作った笑顔だとわかる笑みを浮かべたベルは、エドヴァルドへと何かの書類を押し付けた。見れば、その時期に各所から提出される予定の報告だった。まだ期限は先である。自分で渡せば良いものを、と彼も思ってしまうのだが。
「今、そのアレクシスの所から戻ってきた俺にそんな頼み事をするなんてさ、絶対図ってるようにしか思えないんだよなぁ」
「分かってらっしゃるなら、アタクシの為にとっとと行ってらっしゃいましぃー」
「駄目だ、ベルには全く勝てる気がしない」
全くもって敬う気も丁寧に扱う気も無いベルの言葉を聞きながら、その日もエドヴァルドは所謂使いっ走りをさせられていた。パシリと言っても、それは魔王アレクシスに関わる事限定なのは言うまでもなくて。今や誰もが知る所となったふたりの仲にかこつけて、城中がそういうものとして扱う事になってしまっている。
そして、ここの魔人達が事あるごとにエドヴァルドに頼み事をするのは、もう日常的に常態化していた。
それは今や、ベルのような顔見知りだけではない。見知らぬ魔人達にすら頼まれごとを受けるものだから、エドヴァルドはもう何も言えなかった。
「おい、そこなチビ小僧。アレクシス陛下へコレを持って行け。キビキビ動けよ。さもなくば、お前の部屋をめちゃくちゃに破壊してやろうぞ」
「アスタロト……アンタもか。もう、敵も何もあったもんじゃあ無い」
「おや、エドヴァルド様丁度良い所に――私からもこちらを、魔王様へ必ずお願い致しますよ」
「あ、はい」
そうやって行く人行く人に頼み事をされて、自室に戻った筈のエドヴァルドは、再びアレクシスの部屋へとトンボ帰りをする事になるのだ。
「ん? ああ、エドヴァルドか。……また、色々と押し付けられたな」
「うん。何だかなぁ。アレクシスの為に手伝えるのは、別に良いんだけど……わざと仕事作ってるようにしか思えなくて」
「はは、エドヴァルド伝いに渡されたものに無駄な資料は何もなかった。安心するといい」
「ううーん……」
つい先程見送った筈のエドヴァルドがやってきて、アレクシスはそれにクスリと笑みを浮かべる。そんな様子がもう最近ではすっかり定着してきてしまって、エドヴァルドもアレクシスも、傍に互いがいる事が当然のようになってきている。
もうそろそろ部屋を同じにしても良いだろうか、なんてアレクシスが考えているなんて、エドヴァルドは微塵も思って居ないのだ。そうやって、2人は最早、離れ難い程に互いを認め合っているのである。
だがそんな中で。事件は起こってしまう。
その日も、朝はいつものような始まりだったのだ。自室のベッドで起き上がり、ベルに用意してもらった服に着替え、着させてもらい、ここ最近で習慣となった読書をする。魔人の国に関する
今手元にある本で三冊目程になるのだが、専門書の類いは流石に難しく、一般的な人間側の平民の知識しかない彼はそれなりに苦労している。数時間程読み進めた所で、彼は気分転換にと立ち上がった。
肩の
だが、腕を伸ばしたその時だ。
ゾワリと、背筋に嫌なものが走る。その時彼は直感した。何か、良くない事が起こっている。アレクシスの身に、何か。そう思った瞬間、彼の頭は一気に
以前の生を思い出すかのように、エドヴァルドは部屋を飛び出した。城中の気配を極々当たり前のように探りながら、全力疾走する。彼の余りの剣幕に、すれ違う魔人達が皆、息を呑みながら道を譲っていく。
上階から平然と飛び降りながら、エドヴァルドは城外へと向かった。ボロボロになった城門へと続く道の途中、何人かの軍服を纏った魔人達が、これはまずい、とでも言いたげな表情で、エドヴァルドを行かすまいと立ち塞がるのだが。彼はいとも簡単にそれをすり抜けてしまう。
誰かが後ろから叫ぶ声も聞かず、エドヴァルドは、そこへと辿り着く。辿り着いてしまった。見てしまった。
昔、感じたような気配と匂いに、全身が殺気立つ。思い出すべきでは無いと閉じ込めておいた記憶が、無理矢理こじ開けられてしまう。
其処には、聖魔道士ヨアキムと、聖騎士ウリヤスが武器を持って並び立ち。
その目の前で、額と脇腹から血を流し、膝を突いているアレクシスの姿が、あちこちで倒れている魔人達の姿が目に映った。
誰かが自分の名前を呼ぶ頃には、もう、彼は何も聞こえなくなっていた。
「きっ、貴様――!」
そう瞬間に、ぶわりと腹の底から湧き上がるそれに、エドヴァルドは呑まれてしまった。
よくも、よくも、またしても――。そう思ったのを最後に。そこから、エドヴァルドの意識はプッツリと途切れてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます